9.11同時多発テロ。
ニューヨークにある世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突入すると言う、衝撃的な事件以来、世界はグローバル化するテロと対峙しなければならなくなりました。
世界は潜在的なテロの脅威と対峙せざるを得ない時代へと突入したのです。
我々日本は例えばイスラム過激派なるテロ以前に、宗教によるテロも経験している。
にも、関わらず『テロと対峙する方法』は全く周知されていません。
テロに遭遇したら、どうすればよいか?
日本国民は全く知らない。
更に、グローバル化するテロも他人事だと思い込んでいるのです。
地政学的にもイスラムを抱える国は必然的にその脅威が大きくなるのです。
今だ世界ではテロが起き、ネットで感化された単独テロすら起きているのです。
その中で『イスラム教』の人々新疆ウイグル自治区に暮らす『ウイグル人』について考えてみたいと思います。
内容に関してはキャノングローバル戦略研究所研究主幹・宮家邦彦氏のリポートを基に話してみようと思います。
宮家氏が初めてウイグル自治区ウルムチに訪れたのは2002年春。
ここに新疆博物館がありますが、ウイグルの博物館なのにイスラム関係の展示文物はほとんどないと言異常さ。
漢と唐の時代に支那人はこの地にいた!
清王朝はこの地を統治した!
内容はどれも漢語ばかり。
博物館のウイグル人職員も会話は支那語。
発音は相当訛りがあったようですが当時のウイグル人にとって支那語は『外国語』であったようです。
2002年当時はまだまだ中央アジアのムスリムであるといった感はあったのです。
喧騒、匂い、色彩、それらはまだまだ間違いなく中央アジア。
それから10余年。
町の中心部は漢族が圧倒的に増え、ホテル、オフィス、商店、看板、サイン、広告は漢字だらけ。
ウイグル語は事実上消えつつあるのです。
これは漢人の大量移住を物語るものです。
新疆ウイグル自治区の漢化は最早止められぬ不可逆的事実である
今やウルムチ中心部の人口は70〜80%は漢人。
ウイグル人達はウルムチ南部の一角に追いやられてしまいました。
しかし、この一角には近代的バザール、大きなモスクはあるようで、中央アジアムスリム人文化は残っているようですが、現在はどうなっているのでしょうか。
ウイグル人の不満は政治的なもの、経済的格差、不公平さと様々、或いはそれら全てでしょう。
広大な土地と豊富な資源のあるウイグル。
石油や天然ガスの開発をする漢族。
百歩譲ってそれは良しとしても、現地ウイグル人には利益の享受は殆どありません。
漢族による差別的意識は強く、ウイグル人の大半は真面目に慎ましく生きているにもかかわらずイスラム過激派の影響もあるのかテロリスト呼ばわりです。
これにはウイグル人も耐えられないでしょう。
ウイグル語による民族教育も出来ず、ウイグルの『漢化』は更に加速するでしょう。
そもそもウイグル人は『反漢族』でもなく『反共産党』でもなく『反中』でもなかった。
けれど、支那による弾圧や漢化が反漢族感情を生み出していると、更にそれら感情を助長しているのです。
勝手な支那人よる自治区と言う名の民族支配。
ウイグル人による抵抗は『テロ』と見なされ徹底的に弾圧されます。
支那は9.11直後にもテロと対抗するとしてウイグル人弾圧をやった前科があるのです。
中国反テロ当局によれば2012年以降、東トルキスタン独立組織のメンバーらがシリアに渡り、シリア反体制派内の過激派と結びつき、シリア政府との戦闘に参加していたと発表しています。
ウイグル人はウイグル人であって、決してウイグル族ではないのです!
民族の言葉や文化を奪えば、奪われた民族は滅亡してしまいます。
自らのアイデンティティを無くせば人は生きる目的を失います。
その民族の宗教を無くせば、民族は死に絶えてしまうのです。
多様性を声高に叫ぶ日本のアホ左翼が、この事実を無視し続けている現在。
アホの左翼が一体何に阿ているか理解出来ようと言うものです。
或いは支那のエージェントではないのか?
その様に疑ってみたいといけません。
欧州や米国で起きている様なテロが今後中国で起きる可能性は高い。
そうなれば、その火の粉は再び世界に飛び火するのです。
支那にテロと対抗する力はありません。
飛び火する火の粉を我々は払えるのか?
ムスリム対人権侵害国家と言うような状況になった時、我々日本人は一体どちらの味方をするのが正しいのか?
その答えを出す日が必ず来ると私は考えます。
我々日本は世界で初めて人種差別撤廃を求めた国てす。
また中国全土にテロが広がった時、在中日系企業や日本人をどう守るのか?
ウイグル自治区の問題は支那やウイグル人だけの問題ではないのです。
その時、我々の憲法、我々の自衛隊はどうなっているでしょうか?
時間はありません。
今すぐにご自分の頭で考えてください。
ニューヨークにある世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突入すると言う、衝撃的な事件以来、世界はグローバル化するテロと対峙しなければならなくなりました。
世界は潜在的なテロの脅威と対峙せざるを得ない時代へと突入したのです。
我々日本は例えばイスラム過激派なるテロ以前に、宗教によるテロも経験している。
にも、関わらず『テロと対峙する方法』は全く周知されていません。
テロに遭遇したら、どうすればよいか?
日本国民は全く知らない。
更に、グローバル化するテロも他人事だと思い込んでいるのです。
地政学的にもイスラムを抱える国は必然的にその脅威が大きくなるのです。
今だ世界ではテロが起き、ネットで感化された単独テロすら起きているのです。
その中で『イスラム教』の人々新疆ウイグル自治区に暮らす『ウイグル人』について考えてみたいと思います。
内容に関してはキャノングローバル戦略研究所研究主幹・宮家邦彦氏のリポートを基に話してみようと思います。
宮家氏が初めてウイグル自治区ウルムチに訪れたのは2002年春。
ここに新疆博物館がありますが、ウイグルの博物館なのにイスラム関係の展示文物はほとんどないと言異常さ。
漢と唐の時代に支那人はこの地にいた!
清王朝はこの地を統治した!
内容はどれも漢語ばかり。
博物館のウイグル人職員も会話は支那語。
発音は相当訛りがあったようですが当時のウイグル人にとって支那語は『外国語』であったようです。
2002年当時はまだまだ中央アジアのムスリムであるといった感はあったのです。
喧騒、匂い、色彩、それらはまだまだ間違いなく中央アジア。
それから10余年。
町の中心部は漢族が圧倒的に増え、ホテル、オフィス、商店、看板、サイン、広告は漢字だらけ。
ウイグル語は事実上消えつつあるのです。
これは漢人の大量移住を物語るものです。
新疆ウイグル自治区の漢化は最早止められぬ不可逆的事実である
今やウルムチ中心部の人口は70〜80%は漢人。
ウイグル人達はウルムチ南部の一角に追いやられてしまいました。
しかし、この一角には近代的バザール、大きなモスクはあるようで、中央アジアムスリム人文化は残っているようですが、現在はどうなっているのでしょうか。
ウイグル人の不満は政治的なもの、経済的格差、不公平さと様々、或いはそれら全てでしょう。
広大な土地と豊富な資源のあるウイグル。
石油や天然ガスの開発をする漢族。
百歩譲ってそれは良しとしても、現地ウイグル人には利益の享受は殆どありません。
漢族による差別的意識は強く、ウイグル人の大半は真面目に慎ましく生きているにもかかわらずイスラム過激派の影響もあるのかテロリスト呼ばわりです。
これにはウイグル人も耐えられないでしょう。
ウイグル語による民族教育も出来ず、ウイグルの『漢化』は更に加速するでしょう。
そもそもウイグル人は『反漢族』でもなく『反共産党』でもなく『反中』でもなかった。
けれど、支那による弾圧や漢化が反漢族感情を生み出していると、更にそれら感情を助長しているのです。
勝手な支那人よる自治区と言う名の民族支配。
ウイグル人による抵抗は『テロ』と見なされ徹底的に弾圧されます。
支那は9.11直後にもテロと対抗するとしてウイグル人弾圧をやった前科があるのです。
中国反テロ当局によれば2012年以降、東トルキスタン独立組織のメンバーらがシリアに渡り、シリア反体制派内の過激派と結びつき、シリア政府との戦闘に参加していたと発表しています。
ウイグル人はウイグル人であって、決してウイグル族ではないのです!
民族の言葉や文化を奪えば、奪われた民族は滅亡してしまいます。
自らのアイデンティティを無くせば人は生きる目的を失います。
その民族の宗教を無くせば、民族は死に絶えてしまうのです。
多様性を声高に叫ぶ日本のアホ左翼が、この事実を無視し続けている現在。
アホの左翼が一体何に阿ているか理解出来ようと言うものです。
或いは支那のエージェントではないのか?
その様に疑ってみたいといけません。
欧州や米国で起きている様なテロが今後中国で起きる可能性は高い。
そうなれば、その火の粉は再び世界に飛び火するのです。
支那にテロと対抗する力はありません。
飛び火する火の粉を我々は払えるのか?
ムスリム対人権侵害国家と言うような状況になった時、我々日本人は一体どちらの味方をするのが正しいのか?
その答えを出す日が必ず来ると私は考えます。
我々日本は世界で初めて人種差別撤廃を求めた国てす。
また中国全土にテロが広がった時、在中日系企業や日本人をどう守るのか?
ウイグル自治区の問題は支那やウイグル人だけの問題ではないのです。
その時、我々の憲法、我々の自衛隊はどうなっているでしょうか?
時間はありません。
今すぐにご自分の頭で考えてください。
「民族の言葉や文化を奪えば、奪われた民族は滅亡してしまいます。
自らのアイデンティティを無くせば人は生きる目的を失います。
その民族の宗教を無くせば、民族は死に絶えてしまうのです。」の部分、沖縄で政治的リーダーシップをとろうとされている政治家の方々にも噛みしめていただきたいと感じております。