二つ目に話したのは北朝鮮についてです。
我が国は北朝鮮のミサイルや核の脅威に晒されています。
この脅威に対する対応は全く出来ていません。
更に我が国には拉致事件という問題も抱えています。
なのに、国民の関心は低い。
ミサイル
我が国はミサイル攻撃を北朝鮮から受けました。
しかし、Jアラートと呼ばれるミサイルなどの攻撃を受けた時に鳴らす警報は出されませんでした。
出なかった理由は国土に着弾する恐れがなかったからだそうです。
しかし我が国の排他的経済水域に着水しています。
我が国の管轄下にある海域にミサイルを撃ち込まれながら、何ら警報を出していないのです。
排他的経済水域は我が国の漁師が仕事をし、資源を採取したり研究する人々が仕事をしているのです。
今回、たまたま被害が出なかっただけですが、着水したミサイルの破片や燃料が環境汚染を引き起こす恐れはあります。
我が国の管轄下にミサイルを撃ち込む行為は明らかな戦争行為です。
それを撃ち落としもせず、警報すら出さないとは一体政府は国民の命を何だと思っているのでしょうか?
排他的経済水域は漁師の仕事場です。
そこを攻撃されたのです。
例えば、畑で農家が仕事をしています。
畑は農家の仕事場です。
その畑に突然、他国の戦闘機が現れて機銃掃射をして飛び去ったらどうするのでしょう?
人的被害がなければ、何もしないのでしょうか?
それと同じだと考えられない現在の日本は大問題です。
我々は策源地攻撃、つまり敵地攻撃をする能力を有していません。
厳密には無くはないのですが、我が国の空自は空対地攻撃の訓練が殆ど出来ていません。
これは専守防衛なる訳のわからん安全保障の理念を掲げているからです。
だから盾はあっても鉾はない。
例えばアホの左翼は
「日本にも個別の自衛権がある」とアホな事を言って憲法に定めた交戦権放棄を「素晴らしい」と賛美しています。
これはアホです。
交戦権とは単純に戦う権利だけではありません。
交戦権には戦地を選ばないということと報復する権利があるのです。
やられたらやり返す。
これは国際法にも定められています。
戦地を選ばないとは、やられたら防ぐと共に相手国に出向いてやり返すこと。
だから、相手はやり返されるので攻撃を躊躇するのです。
これが抑止力というものです。
と、いう事は我が国には抑止力がないのです。
来たら防ぐぞ!
これは抑止力ではありません。
盾は抑止力の意味を殆ど持ちません。
やり返す鉾があって盾は抑止力となるのです。
我が国は米国にその鉾を預けてしまっています。
北朝鮮に対する我が国の抑止力はありません。
我が国が北朝鮮に対し抑止力を発揮するならば、飛んでくるミサイルを弾道計算し、我が国の管轄下に進入する恐れのあるものは全て撃ち落とす。
更に、やり返す能力を有して常に発揮出来る状態にあらねばなりません。
その鉾を持たないからこそ、自国民を拉致されるのです。
自国民を拉致されたなら軍事的オプションを選択する、あるいは北朝鮮の要人を片っ端から拉致してくるぐらいでなければならないのです。
拉致を単なる国際犯罪とかテロと見る向きもあります。
確かにそう言えます。
しかし、我々はもう少し踏み込んで考えなければなりません。
北朝鮮とて国連加盟の主権国家です。
主権国家として国連加盟193か国中、166か国と国交を持っています。
その主権国家が他の主権国家の主権者を拉致する事は国際法上戦争行為です。
これは明らかな侵略行為です。
そういう立ち位置で考えなければなりません。
その立ち位置ならば、現憲法や現行法で充分対処出来ます。
我が国は法治国です。
ならば、その法治国らしい振る舞いで拉致被害者を取り返す方法を考えなければなりません。
立ち位置をしっかり考えれば、現行法や現憲法でやれることはあるのです。
憲法改正や法整備をしなければ、拉致被害者を取り返すことが出来ないなどでは考え方として間違いです。
その上でツイデモ等の啓蒙も考えなければなりません。
少しでも多くの人に拉致を知ってもらう。
少しでも多くの人に拉致を考えてもらう。
これは必要なことです。
しかし、我が国で拉致を知らない人はいないでしょう。
ならば、どんな啓蒙が必要なのか?
それを考えてみなければならないと思います。
先に述べた様に、我が国は戦争行為を仕掛けられています。
拉致もミサイルも、或いは核の脅威も全て同じ線上にあるのです。
皆に考えてもらうには、その『考える為の材料』が必要であり、知ってもらうことから更に一歩も二歩も進めて取り返す方法を考えていかなければなりません。
国民は拉致を知っています。
知っていながら、国の対応に『どうせ取り返せないだろう』と見ています。
それは諦めです。
諦めたら終わり!決して諦めない!
そう言いながら、具体的に諦めずに考えて行く方法を示せずにいるのが現状ではないか?
その様に感じ、更に危惧もします。
もう少し踏み込んで考えてみるべきではないかと思います。
我が国は北朝鮮のミサイルや核の脅威に晒されています。
この脅威に対する対応は全く出来ていません。
更に我が国には拉致事件という問題も抱えています。
なのに、国民の関心は低い。
ミサイル
我が国はミサイル攻撃を北朝鮮から受けました。
しかし、Jアラートと呼ばれるミサイルなどの攻撃を受けた時に鳴らす警報は出されませんでした。
出なかった理由は国土に着弾する恐れがなかったからだそうです。
しかし我が国の排他的経済水域に着水しています。
我が国の管轄下にある海域にミサイルを撃ち込まれながら、何ら警報を出していないのです。
排他的経済水域は我が国の漁師が仕事をし、資源を採取したり研究する人々が仕事をしているのです。
今回、たまたま被害が出なかっただけですが、着水したミサイルの破片や燃料が環境汚染を引き起こす恐れはあります。
我が国の管轄下にミサイルを撃ち込む行為は明らかな戦争行為です。
それを撃ち落としもせず、警報すら出さないとは一体政府は国民の命を何だと思っているのでしょうか?
排他的経済水域は漁師の仕事場です。
そこを攻撃されたのです。
例えば、畑で農家が仕事をしています。
畑は農家の仕事場です。
その畑に突然、他国の戦闘機が現れて機銃掃射をして飛び去ったらどうするのでしょう?
人的被害がなければ、何もしないのでしょうか?
それと同じだと考えられない現在の日本は大問題です。
我々は策源地攻撃、つまり敵地攻撃をする能力を有していません。
厳密には無くはないのですが、我が国の空自は空対地攻撃の訓練が殆ど出来ていません。
これは専守防衛なる訳のわからん安全保障の理念を掲げているからです。
だから盾はあっても鉾はない。
例えばアホの左翼は
「日本にも個別の自衛権がある」とアホな事を言って憲法に定めた交戦権放棄を「素晴らしい」と賛美しています。
これはアホです。
交戦権とは単純に戦う権利だけではありません。
交戦権には戦地を選ばないということと報復する権利があるのです。
やられたらやり返す。
これは国際法にも定められています。
戦地を選ばないとは、やられたら防ぐと共に相手国に出向いてやり返すこと。
だから、相手はやり返されるので攻撃を躊躇するのです。
これが抑止力というものです。
と、いう事は我が国には抑止力がないのです。
来たら防ぐぞ!
これは抑止力ではありません。
盾は抑止力の意味を殆ど持ちません。
やり返す鉾があって盾は抑止力となるのです。
我が国は米国にその鉾を預けてしまっています。
北朝鮮に対する我が国の抑止力はありません。
我が国が北朝鮮に対し抑止力を発揮するならば、飛んでくるミサイルを弾道計算し、我が国の管轄下に進入する恐れのあるものは全て撃ち落とす。
更に、やり返す能力を有して常に発揮出来る状態にあらねばなりません。
その鉾を持たないからこそ、自国民を拉致されるのです。
自国民を拉致されたなら軍事的オプションを選択する、あるいは北朝鮮の要人を片っ端から拉致してくるぐらいでなければならないのです。
拉致を単なる国際犯罪とかテロと見る向きもあります。
確かにそう言えます。
しかし、我々はもう少し踏み込んで考えなければなりません。
北朝鮮とて国連加盟の主権国家です。
主権国家として国連加盟193か国中、166か国と国交を持っています。
その主権国家が他の主権国家の主権者を拉致する事は国際法上戦争行為です。
これは明らかな侵略行為です。
そういう立ち位置で考えなければなりません。
その立ち位置ならば、現憲法や現行法で充分対処出来ます。
我が国は法治国です。
ならば、その法治国らしい振る舞いで拉致被害者を取り返す方法を考えなければなりません。
立ち位置をしっかり考えれば、現行法や現憲法でやれることはあるのです。
憲法改正や法整備をしなければ、拉致被害者を取り返すことが出来ないなどでは考え方として間違いです。
その上でツイデモ等の啓蒙も考えなければなりません。
少しでも多くの人に拉致を知ってもらう。
少しでも多くの人に拉致を考えてもらう。
これは必要なことです。
しかし、我が国で拉致を知らない人はいないでしょう。
ならば、どんな啓蒙が必要なのか?
それを考えてみなければならないと思います。
先に述べた様に、我が国は戦争行為を仕掛けられています。
拉致もミサイルも、或いは核の脅威も全て同じ線上にあるのです。
皆に考えてもらうには、その『考える為の材料』が必要であり、知ってもらうことから更に一歩も二歩も進めて取り返す方法を考えていかなければなりません。
国民は拉致を知っています。
知っていながら、国の対応に『どうせ取り返せないだろう』と見ています。
それは諦めです。
諦めたら終わり!決して諦めない!
そう言いながら、具体的に諦めずに考えて行く方法を示せずにいるのが現状ではないか?
その様に感じ、更に危惧もします。
もう少し踏み込んで考えてみるべきではないかと思います。