犬神スケキヨ~さざれ石

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国民と言う主権者の主たる権利

2023-11-29 17:07:00 | 草莽崛起
さて本年令和5年、西暦2023年、皇紀2683年も終わりを迎え様としています。
本年中の解散も無くなり、選挙はありません。
年始は通常国会にて予算審議があり、その後臨時国会開催で冒頭解散か、或いは岸田下ろしの末に総裁選があり、後に解散か。
政治は生ものですから、どうなるか刮目せねばなりません。

相変わらず若年層の政治離れが問題視されています。投票率の低さは若年層で顕著に現れているのは事実です。
その為に政治の主体が投票率の高い高齢者層に対して偏っていたりして、高齢化する我が国の負担が若年層や現役世代に対して皺寄せされると言う状態を招いています。

若い世代が投票と言う意思表示をしない事には、このスパイラルから脱する事は難しいのです。
投票と言う意思表示が如何に大切かと言う事を表す話しがあります。

ルバング島で終戦後も一人戦い続けた小野田寛郎さんのお話しです。
小野田さんは晩年、知の巨匠渡部昇一教授のインタビューでこう述べています。

『私は帰国して皆さんから、軍国主義だの人殺しだのと罵られました。しかし私が戦争に行ったのは二十歳です。行けと命令されたなら軍人ですから従います。しかし同時二十歳だった私に選挙権はありません。選挙権がある国民が選んだ政治家が戦争を選択し、我々に命令したのです。私は投票していない』

言葉は違いますが、この様な趣旨の話しをされていました。
同時、投票する権利もなかった若者に戦地へ赴けと命令したのは投票する権利のあった者達であると言う事です。

小野田さんのエピソードが、投票と言う意思表示の大切さを物語っているのではないでしょうか?
時は戦前ですし、旧憲法下であった事を考慮してもこれは大切な話しだと思います。

確かに若者が政治に無関心であったとしても、そうそう命の危険があるわけではないのかもしれません。そうであるならば政治に関心も持たず投票に行かなくても良い程に我が国は素晴らしいと言う見方も出来ます。

しかし、先の小野田さんのエピソードにもあるように自分が知らないところで知らない間に様々な事が決まってしまうと言う事態が起きてしまいます。
決まった事に文句を言っても後の祭りです。
そもそも、後の祭りで大騒ぎするのは民主主義の基本にも反します。
だから、皆さましっかりと意思表示をしましょう!と様々な分野の方々が、様々なメディアを通じたりして訴えているわけです。

他方で、この様な意見もあります。
『投票を義務化すれば良い』
と言う様な意見です。

投票を義務化すれば確実に投票率は上がります。間違いなく皆、意思表示をせねばならなくなります。
間違いなく国民の意思は示されるでしょう。

一見、正論にも感じますが...
果たしてどうなんでしょうか?

確かに、投票を義務化し更には投票しなければ罰金を課すと言う国家も存在します。
しかしその様な国家とはどの様な国政をやる国なのでしょうか。


意外と多いとは思いますが。
さてこれらの国では民主主義が完備なのか?と考えます。

そもそも選挙とは予め多数意見を決める民主主義の大切な手続きです。
多数意見を獲得した者が、これに基づき国民の代理人として政(まつりごと)を行うのです。少数意見者の代理人は如何に多数意見に少数意見を盛り込むか。
これが議会であり政治です。

例えば、今般補正予算で政権与党はガソリンのトリガー凍結解除を上げました。
野党である国民民主党はこれに賛成に回りました。
国民民主党は野党ですから少数意見です。
この政党が2年前からトリガー凍結解除を掲げていました。
その少数意見を多数意見が受け入れたのですから『賛成』に回るのは当たり前の話しです。
これを『岸田政権を利する行為だ』と批判する立憲民主党は政治の基本がわかっていないと言えるでしょう。

そして多数意見、少数意見どちらにしてもそれらを選び決めるのが国民たる主権者です。
それが投票行動です。

そして生存権や幸福追求権などの自然権を除けば主権者にとって最も重要な権利であるわけです。

そしてこの『権利』であると言う事が、我が国の民主主義に於いて最も重要な事です。

投票行動を義務化するならば、主権者にとって最も重要な『権利』をお上に渡すと言う事です。
我々の権利は憲法で保証されています。

この投票行動が権利であると言う事が民主主義に於いて最も重要であると考えるからです。

この権利を行使するか否かは、あなたの自由なのです。
誰に投票するかはあなたの自由なのです。

自由主義、民主主義、法の支配は近代国家に於いて最も重要な主義です。

その自由な権利を易々と国家に渡すなど私は大反対です。

例えば、投票を義務化すれば国民は政に関心を持たざるを得ないでしょう。
当然、投票率も上がる。
その事により政治は変わるかもしれません。
しかし、そう仰る方々の前提は何なのか?

恐らくは、今現在の日本である事を前提としているからでしょう。

義務化された時点で、その大前提は崩れてしまうのではないでしょうか。

必ず投票しなければいけないとなると、国民の政治への関心が高まるのか?
恐らくはたいして変わらないでしょう。
関心を持たない国民の投票行動はポピュリズムに走る政治家に人気が集中するでしょう。

誰に入れたらよいかわからない人、或いは関心のない国民は義務だから仕方ないとなり酷い場合は一票を『金』に代える人も出るでしょう。
あからさまに『金』で票を買う候補者も出ることになります。当然です、利害が一致するからです。

また、プーチンや習近平或いはヒトラーやムッソリーニの様な独裁者も出るかもしれません。恐怖や抑圧で有権者を縛り付けても一票は一票です。

はたまた、認知症など患って老人ホームにおられる高齢者の投票はどうするのでしょうか?

意思疎通も図れない方々にも義務を課すならば、どの様に投票行動を取らせるのでしょうか?
誰かが代筆するのでしょうか?代筆者が勝手に候補者の名前を書き込めばどうなるでしょう。
また、その様な高齢者を投票から排除するならば、これは国家による『選別』で人権侵害極まりない民主主義の冒涜です。

この投票行動が『権利』であると言う事が重要な事だと少し考えれば理解できるはずです。

認知症を患っておられる高齢者も、体にハンデキャップがあり実際の投票行動が中々に難しい方々も選別や排除をしない。
これが『権利』である事の重要性です。

投票したいと思う候補者がおらず棄権する事も『権利』です。

多数意見に従うと白紙委任を選択する事も『権利』です。

この人なら!と一票投じることも全て憲法に保証された、あなたの権利です。

その権利を自ら放棄するのでしょうか?

投票率が上がれば、確かに国は変わるでしょう。

平成21年(2009年)、衆議院選挙にて近年にはない投票率69.28%と言う高い投票率でした。
民主党政権誕生の時です。

確かに政権交代が起き、国は変わりました。
悪夢の3年3か月の始まりです。
その政権時に起きたのが、東日本大震災です。
自民党にお灸を据えるとポピュリズムに走った国民の選択は悪夢の始まりでした。

義務化すれば国民の政治への関心が高まるのか?殆ど影響はないでしょう。

いい歳した人間が、親の収入や年金をアテにして『働いたら負け』とばかりに一切勤労する事なく、ニート等と横文字で呼ばれるアホがいますが、労働が義務付けられているのに働いて収入を得ると言う事に関心はありません。

ならば義務化したところで政治への関心が高まる等と言うのは幻想ではないでしょうか。

むしろ投票が義務化され、罰則まで設けられたなら、とにかく投票行動を取らせる国民は誰かに1票を投じなければならなくなります。
そうなれば誰に投票すれば良いかわかりません。そこを突いてどうしようもないアホで無能だが知名度は高く、投票迷子の人々の票が取れる人間を候補者に立てるでしょう。

そんな無能が議会に行けば、益々政治は混迷を極めます。

そんな状態が続いていけば、国民は投票には行くが『白票』を投じる事になる。
もうカオス状態です。

そして遂には投票そのものを忌避する様になり、誰か代表で投票すればよい等と考え出すでしょう。
そうなれば、最早民主主義は瓦解します。
独裁を目論む連中の思う壺。
外国勢力が我が国の政治に入り放題。
沖縄知事選挙を見れば理解出来るでしょう。

また『権利』であるが故に、その裏表として責任の所在も示しているのです。
政治の最終的な責任者は主権者たる国民です。

自らの自由な意思で決める事が出来るのが『権利』であり、意思表明として『行使』しているのです。だから最終責任者でもある。
間違った選択をしたなら、その責任者として自由な意思により修正する。

重い税や社会保障費、儘ならぬ政府の経済政策に耐えて、日本国民として義務を果たして日々皆苦しみ生きています。

その中で、これ以上生殺与奪の権利を国にくれてやるつもりは毛頭ありません。

それほどに『投票』の『権利』は重要なのです。

生殺与奪権を他人に預けない!委ねない!他者に奪われない為にしっかりと自らの権利を行使する事で、課せられた義務を果たす。

義務と権利の当たり前の見方です。

義務を果たしたから権利が与えられるのではありません。

我々は義務を果たす為に権利を行使しているのです!

人類の長い歩みの中で、我々は自ら『権利』を獲得したのです。

さあ我々の権利を行使して、代理人に国民の為に働け!お前は国民に対して職責としての義務を果たせと迫ろうではありませんか!