田中新兵衛
幕末四大人斬りの一人。
岡田以蔵と並ぶ、暗殺実行回数では抜きにでた存在でもあります。
しかし人斬りに恍惚としたり、興奮したりする殺人マニアの岡田以蔵と比べても、動きに無駄がない。
狙った相手は冷静かつ確実に仕留める
いかにもプロフェッショナルと言った感じでしょうか。
薩摩男らしい、寡黙さ。
無駄口を叩かず、仕事をこなす。
幕末のゴルゴ13のようです。
更にこの男、出自が謎で諸説あるのです。
薩摩藩領に生まれた事だけは間違いないようですが、最も有力な説としては鹿児島城下近郊の前之浜にいた船頭の息子であると。
つまり、上士でも郷士でもない。
武士階級でもない町人です。
普通一般には庶民に剣術修行は許されないのだけれど、この男自顕流を身につけていました。
自顕流とは薩摩お家芸である示現流の別派で、城外の郷士たちによく学ばれた流派です。
城下中心の示現流よりは門戸が開かれていたようで、幕末の動乱期、物騒この上ない時代から新兵衛の様な町人も学べたのではないかと思います。
自顕流の真髄も、渾身の気合を込めた初太刀。
防御を捨て、初太刀に全身全霊を込める。
初太刀をかわされたら斬られる特攻剣術。
単純明快!
しかし、死の恐怖を克服する胆力と体力がなければ会得し難い剣法でもあるのです。
田中新兵衛の気骨と体力はこの流派にぴたりと合ったのでしょう。
めきめきと上達したのです。
この凄腕の船頭に目をつけた男がいた。
西郷隆盛を盟主と仰ぐ薩摩精忠組とも関係の深かった豪商森山新蔵が目をつけます。
安政の大獄に激昂した精忠組の者達が、上洛して報復を計画します。
その為に森山新蔵は船を仕立てます。
その船長に指名されたのが田中新兵衛。
上洛計画は藩主の命令で中止となるものの
『あの船頭、腕はかなりだぞ』
いつしか勤王派の間でも田中新兵衛の剣客ぶりが噂になります。
いつしか家臣に取り立てようという藩士も現れ、晴れて帯刀を許され武士となります。
しかし、この藩士が田中新兵衛を家臣にしたのは単なる親切とか友情なんて甘っちょろい話しではありません。
幕藩体制の身分制度の頂点にある武士からすれば、庶民の新兵衛などは一つの駒。
しかし、剣術の腕前は凄い!
『使える』と思ったのでしょう。
勤王派は安政の大獄への復讐は諦めていません。いずれやる、京での報復の為に田中新兵衛の様な男が必要だったのです。
一方、田中新兵衛本人が何を考えて武士となり勤王派の地下活動に加担したかはわかりません。
寡黙なこの男の本心を知る者はいません。
文久二年(1862)に上洛してからも寡黙に仕事をこなすのみ。
しかしその仕事は凄まじい。
上洛して早々に、もうやっている。
標的は安政の大獄で勤王派を弾圧した九条家家臣島田左近です。
幕府の威光を傘に、京の政界を牛耳るフィクサ。
この島田、大変用心深くなかなか隙を見せない。
剣法はスピード勝負の一撃必殺の自顕流
しかも暗殺のチャンスをじっくりとまつ辛抱強さも人並み以上。
標的への執着はヒットマンとしてはこの上ない資質ではないでしょうか。
そして田中新兵衛の執念は実ります。
島田の愛人が住む家を見つけ数日張り込みます。
そこへ遂に島田が現れた。
『天誅!』
濡れ場の最中にいきなり乱入!
田中新兵衛を含む刺客三人。
島田は慌てふためく。
しかし、逃げ足の速さに定評のある島田。
この時も素早く塀を乗り越えて逃走。
唖然とする刺客を置き去りに、夜の路地を走りに走って逃走。
『ここまで来れば...』逃走は成功...と、思い余裕が出来たのか、ふと後ろを振り返ると、阿修羅の如く形相で田中新兵衛が迫って来た。
船頭で鍛えた足腰。
京の都で贅沢三昧の島田が逃げ切れるものではありません。
至近距離まで迫られ、背中に一太刀、臀部に一太刀!
全力疾走での太刀筋に必殺の威力はないけれど、その出血は獲物の体力を確実に奪う!
遂に島田は動けなくなった。
命乞いも、断末魔の叫びも許さぬ太刀筋。
躊躇いもなく振り下ろした刀は、島田の首筋から頸動脈を切断する。
血飛沫を上げながら、一瞬の絶命。
この後、島田の首は青竹に串刺しとなって四条の河原に晒されてしまいます。
京の影の支配者の哀れ末路。
街は騒然となってしまいます。
『おい!あれは田中新兵衛の仕事らしいぞ』
勤王志士たちの間に瞬く間に広がり、一夜にして有名となってしまったのです。
やがて田中新兵衛は土佐勤王党・武市半平太とも親交を持つようになります。
武市半平太からの依頼で同じ尊皇派で越後浪士・本間精一郎を暗殺する事になります。
この暗殺には土佐の人斬り岡田以蔵も参加しています。
作戦はほろ酔いで一人、暗い路地を歩いて来た本間を待ち伏せ、三人の同志に襲わせるというものです。
田中新兵衛と岡田以蔵は路地の入り口で待機です。
しかし、本間精一郎も剣の腕は立つ。
それなりに修羅場の経験もある。
この襲撃にも動じず、三人の同志を斬って撃退。
レベルの違いを見せつけた。
やはりここは、同じ修羅場を潜り抜けてきた剣客の出番というところ。
田中新兵衛と岡田以蔵は逃さぬよう、抜刀して前後から襲いかかる。
しかしこの時、岡田以蔵自慢の長刀が路地沿いの家の軒先に引っかかるというアクシデント。
本間はその隙を逃さず、岡田以蔵の脇をすり抜け脱出を図る。
『キェイ!』
気合いを入れて飛び込んで行く田中新兵衛。
本間精一郎の前に回ると素早く身を沈め、目にも止まらぬ速さで抜き打ち!
本間の剣が振り下ろされるよりも早く、田中新兵衛の刀が本間の胸を突いた。
一撃で絶命。
噂が噂を呼び『田中新兵衛に狙われたら絶対にやられる』
田中新兵衛の標的となった4人の町奉行与力は、恐怖にかられて洛中から逃亡します。
執念深い田中新兵衛は地の果てまでも追いかけて来る。
三十人の暗殺団を率いてこれを追い詰め、遂に逃亡先の近江の宿で襲撃。
命乞いする4人を、眉一つ動かさず無表情に首をはねたのです。
この非情さ、その正確な太刀筋。
仲間の志士達でさえ、背筋に寒気を感じるほど。
しかし、常に正確無比、完璧な仕事をしてきた田中新兵衛も思わぬ失敗をしでかします。
文久二年(1863)
五月二十日
姉小路公知(あねのこうじきんとも)が御所北側で襲撃に会います。
重傷を負い、姉小路公知はその日に死にますが、刺客と乱闘しその刀を素手で奪うという、公家には珍しいド根性を見せるのです。
現場に残された刀。
奥和泉守忠重の業物。
犯人特定の重要な証拠です。
京町奉行が持ち主を探したところ、田中新兵衛のものである事が判明します。
早速、田中新兵衛を奉行所に呼び説明を求めますが、彼は一切語らず。
それどころか、いきなり奉行に襲いかかり脇差しを奪うと自らの腹を突き、更に喉を突いて絶命してしまうのです。
あまりの突然の出来事に呆然としてしまい誰も止める事が出来ませんでした。
見事な自決と言えるでしょう。
自らを殺す事で事件を闇に葬り去ったのです。
仕事完遂の為なら、必要とあらば自らの命さえも容赦なし。
しかし、一説によれば田中新兵衛愛刀は事件数日前に盗まれたとも言われます。
それが事実ならば濡れ衣という事ですが。
それでも彼が一切の弁明なく、自ら死を選んだのは刀を盗まれた失態を恥じたからか?
今となっては真相は闇の中。
しかし、田中新兵衛というヒットマンのプライドだけは間違いないのではないかと思います。
幕末四大人斬りの一人。
岡田以蔵と並ぶ、暗殺実行回数では抜きにでた存在でもあります。
しかし人斬りに恍惚としたり、興奮したりする殺人マニアの岡田以蔵と比べても、動きに無駄がない。
狙った相手は冷静かつ確実に仕留める
いかにもプロフェッショナルと言った感じでしょうか。
薩摩男らしい、寡黙さ。
無駄口を叩かず、仕事をこなす。
幕末のゴルゴ13のようです。
更にこの男、出自が謎で諸説あるのです。
薩摩藩領に生まれた事だけは間違いないようですが、最も有力な説としては鹿児島城下近郊の前之浜にいた船頭の息子であると。
つまり、上士でも郷士でもない。
武士階級でもない町人です。
普通一般には庶民に剣術修行は許されないのだけれど、この男自顕流を身につけていました。
自顕流とは薩摩お家芸である示現流の別派で、城外の郷士たちによく学ばれた流派です。
城下中心の示現流よりは門戸が開かれていたようで、幕末の動乱期、物騒この上ない時代から新兵衛の様な町人も学べたのではないかと思います。
自顕流の真髄も、渾身の気合を込めた初太刀。
防御を捨て、初太刀に全身全霊を込める。
初太刀をかわされたら斬られる特攻剣術。
単純明快!
しかし、死の恐怖を克服する胆力と体力がなければ会得し難い剣法でもあるのです。
田中新兵衛の気骨と体力はこの流派にぴたりと合ったのでしょう。
めきめきと上達したのです。
この凄腕の船頭に目をつけた男がいた。
西郷隆盛を盟主と仰ぐ薩摩精忠組とも関係の深かった豪商森山新蔵が目をつけます。
安政の大獄に激昂した精忠組の者達が、上洛して報復を計画します。
その為に森山新蔵は船を仕立てます。
その船長に指名されたのが田中新兵衛。
上洛計画は藩主の命令で中止となるものの
『あの船頭、腕はかなりだぞ』
いつしか勤王派の間でも田中新兵衛の剣客ぶりが噂になります。
いつしか家臣に取り立てようという藩士も現れ、晴れて帯刀を許され武士となります。
しかし、この藩士が田中新兵衛を家臣にしたのは単なる親切とか友情なんて甘っちょろい話しではありません。
幕藩体制の身分制度の頂点にある武士からすれば、庶民の新兵衛などは一つの駒。
しかし、剣術の腕前は凄い!
『使える』と思ったのでしょう。
勤王派は安政の大獄への復讐は諦めていません。いずれやる、京での報復の為に田中新兵衛の様な男が必要だったのです。
一方、田中新兵衛本人が何を考えて武士となり勤王派の地下活動に加担したかはわかりません。
寡黙なこの男の本心を知る者はいません。
文久二年(1862)に上洛してからも寡黙に仕事をこなすのみ。
しかしその仕事は凄まじい。
上洛して早々に、もうやっている。
標的は安政の大獄で勤王派を弾圧した九条家家臣島田左近です。
幕府の威光を傘に、京の政界を牛耳るフィクサ。
この島田、大変用心深くなかなか隙を見せない。
剣法はスピード勝負の一撃必殺の自顕流
しかも暗殺のチャンスをじっくりとまつ辛抱強さも人並み以上。
標的への執着はヒットマンとしてはこの上ない資質ではないでしょうか。
そして田中新兵衛の執念は実ります。
島田の愛人が住む家を見つけ数日張り込みます。
そこへ遂に島田が現れた。
『天誅!』
濡れ場の最中にいきなり乱入!
田中新兵衛を含む刺客三人。
島田は慌てふためく。
しかし、逃げ足の速さに定評のある島田。
この時も素早く塀を乗り越えて逃走。
唖然とする刺客を置き去りに、夜の路地を走りに走って逃走。
『ここまで来れば...』逃走は成功...と、思い余裕が出来たのか、ふと後ろを振り返ると、阿修羅の如く形相で田中新兵衛が迫って来た。
船頭で鍛えた足腰。
京の都で贅沢三昧の島田が逃げ切れるものではありません。
至近距離まで迫られ、背中に一太刀、臀部に一太刀!
全力疾走での太刀筋に必殺の威力はないけれど、その出血は獲物の体力を確実に奪う!
遂に島田は動けなくなった。
命乞いも、断末魔の叫びも許さぬ太刀筋。
躊躇いもなく振り下ろした刀は、島田の首筋から頸動脈を切断する。
血飛沫を上げながら、一瞬の絶命。
この後、島田の首は青竹に串刺しとなって四条の河原に晒されてしまいます。
京の影の支配者の哀れ末路。
街は騒然となってしまいます。
『おい!あれは田中新兵衛の仕事らしいぞ』
勤王志士たちの間に瞬く間に広がり、一夜にして有名となってしまったのです。
やがて田中新兵衛は土佐勤王党・武市半平太とも親交を持つようになります。
武市半平太からの依頼で同じ尊皇派で越後浪士・本間精一郎を暗殺する事になります。
この暗殺には土佐の人斬り岡田以蔵も参加しています。
作戦はほろ酔いで一人、暗い路地を歩いて来た本間を待ち伏せ、三人の同志に襲わせるというものです。
田中新兵衛と岡田以蔵は路地の入り口で待機です。
しかし、本間精一郎も剣の腕は立つ。
それなりに修羅場の経験もある。
この襲撃にも動じず、三人の同志を斬って撃退。
レベルの違いを見せつけた。
やはりここは、同じ修羅場を潜り抜けてきた剣客の出番というところ。
田中新兵衛と岡田以蔵は逃さぬよう、抜刀して前後から襲いかかる。
しかしこの時、岡田以蔵自慢の長刀が路地沿いの家の軒先に引っかかるというアクシデント。
本間はその隙を逃さず、岡田以蔵の脇をすり抜け脱出を図る。
『キェイ!』
気合いを入れて飛び込んで行く田中新兵衛。
本間精一郎の前に回ると素早く身を沈め、目にも止まらぬ速さで抜き打ち!
本間の剣が振り下ろされるよりも早く、田中新兵衛の刀が本間の胸を突いた。
一撃で絶命。
噂が噂を呼び『田中新兵衛に狙われたら絶対にやられる』
田中新兵衛の標的となった4人の町奉行与力は、恐怖にかられて洛中から逃亡します。
執念深い田中新兵衛は地の果てまでも追いかけて来る。
三十人の暗殺団を率いてこれを追い詰め、遂に逃亡先の近江の宿で襲撃。
命乞いする4人を、眉一つ動かさず無表情に首をはねたのです。
この非情さ、その正確な太刀筋。
仲間の志士達でさえ、背筋に寒気を感じるほど。
しかし、常に正確無比、完璧な仕事をしてきた田中新兵衛も思わぬ失敗をしでかします。
文久二年(1863)
五月二十日
姉小路公知(あねのこうじきんとも)が御所北側で襲撃に会います。
重傷を負い、姉小路公知はその日に死にますが、刺客と乱闘しその刀を素手で奪うという、公家には珍しいド根性を見せるのです。
現場に残された刀。
奥和泉守忠重の業物。
犯人特定の重要な証拠です。
京町奉行が持ち主を探したところ、田中新兵衛のものである事が判明します。
早速、田中新兵衛を奉行所に呼び説明を求めますが、彼は一切語らず。
それどころか、いきなり奉行に襲いかかり脇差しを奪うと自らの腹を突き、更に喉を突いて絶命してしまうのです。
あまりの突然の出来事に呆然としてしまい誰も止める事が出来ませんでした。
見事な自決と言えるでしょう。
自らを殺す事で事件を闇に葬り去ったのです。
仕事完遂の為なら、必要とあらば自らの命さえも容赦なし。
しかし、一説によれば田中新兵衛愛刀は事件数日前に盗まれたとも言われます。
それが事実ならば濡れ衣という事ですが。
それでも彼が一切の弁明なく、自ら死を選んだのは刀を盗まれた失態を恥じたからか?
今となっては真相は闇の中。
しかし、田中新兵衛というヒットマンのプライドだけは間違いないのではないかと思います。