犬神スケキヨ~さざれ石

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子供たちを守るのは?

2015-07-29 10:00:36 | 草莽崛起
今回は少し教育について考えてみようと思います。

今回考えるのはイジメに付いてです。

先般も岩手県にて村松亮君が自殺しました。
まだ13歳です。

何故、彼はまだ見ぬ未来を捨て自ら命を絶ってしまったのでしょうか?

一体この国は何時になったら少年少女の命の重さを自覚するのでしょうか?

またか…

岩手県矢巾町の中学生村松亮君が7月5日、イジメを苦に列車に飛び込み自殺をしました。

正直、「あぁ、また子供の自殺か…」と率直に思いました。
その「またか…」の意味はイジメで自殺か、と言うことです。

もう今更驚きもしない自分がいる事に気付きながら、また一人未来ある少年が死んだ。
そんな感じでした。

これが自殺でなく殺人であっても、昔ほどには驚きはしないでしょう。

今迄生きてきた経験の中で知らぬ間にマヒすらしてしまうのです。

それと同時に未だ少年少女の自殺が、それもイジメを苦に自ら命を絶ってしまう。
それが無くならない事実に怒りと失望を感じます。

村松亮君はある特定のグループから連日、頭を叩かれたり、髪の毛を掴まれたり、机に頭を打ち付けられるなどのイジメを受けていました。
それは他の生徒からも度々目撃されています。

言わば誰もが知る周知の事実でもありました。

また、これは本当に驚くことですが担任も把握していた。

生活記録ノートなるものがあり、これを担任と交換しながらやり取りをしていました。
その中に「なぐられたり、けられたり、首しめられた」と書いていました。
「もうげんかいです」とまで書いてあった。
自らのについても村松君は書いていました。

村松亮君はずっとSOSを発信していました。

それに対して担任は「上から目線ですね」とか「明日から研修たのしみましょう」と村松君のSOSを実質無視していました。

こんな事は幾度繰り返されたでしょうか?

イジメがエスカレートし殺されてしまった事件すらあったのにです。

同じような事件が何度起きても、この国の教育現場には変化がない。
行政も変わらない。
全く教訓として生かされていない。

何故でしょうか?

先ずイジメと言う言葉で片付けてしまっている事に問題があると思います。
人を自殺に追い込むほどの事を「イジメ」等と言って良いのか?

頭を殴る、又は万引きを強要したり、金を奪ったり。これを「イジメ」なる言葉でごまかしているのではありませんか?

これはどう考えても犯罪行為です。

その犯罪を同級生や同じ学校の生徒がやっているのです。
仲間が仲間に犯罪行為をしているのです。
何故イジメなる軽い言葉で片付けているのか。

そして、その被害に遭った少年が自殺すると大人は「死ななくても…」とか、学校や教育委員会や教師が悪い!と短絡的に考えます。
それは単なる犯人探しです。

この少年少女の自殺は自ら命を絶つ事で行う、大人達への復讐なのではないでしょうか?

イジメられる少年は多数から被害を受け抵抗も出来ず「自分は無力だ」と感じます。
無力な少年少女が取る復讐の手段が自殺なのではないのでしょうか?

自分をイジメたグループに、更に幾らSOSを発しても助けてくれない大人達へ。
自殺することで「自分の思い」を伝える。
それが村松亮君に出来る「復讐」だったのではないかと思います。

そうする事で、直接イジメを行なって来たグループに、SOSを無視した大人達へ復讐を果たす。死んで初めて周囲の人間に知らしめることができる。
それは、この死を背負わせることになる。

少年少女の自殺は自殺ではあるが復讐なんだと思います。

我々は、この様な事件が明るみに出て初めて考えます。

我々は彼の死による復讐を受けたのではありませんか?

全く生かされていない

一昨年のこと。

いじめ防止対策推進法が成立しましたね。

しかし、また少年の自殺という復讐を受ける事になってしまいました。

この法が全く機能していない、何の効力もない事が判りました。
正に絵に描いた餅であった訳です。

未だイジメが起きれば、学校や教育委員会は把握していた事が明るみに出ます。

知っていながら隠蔽する。

大津では中二の少年が自殺しました。

先の法律のキッカケになった事件です。

その時、隠蔽どころか虚偽発表までしており、自殺した、つまり被害者少年の家庭に問題があり自殺したとまで虚偽発表する始末でした。

それを教訓に出来た法律が全く機能していないのです。

そしてイジメと言う言葉を使う事で軽く扱われてしまいます。
これは犯罪なんだと認識しなければなりません。

心理的圧迫、直接的暴力或いは傷害、そして恐喝。全てこれに当てはまります。

この認識の甘さこそが、この問題の核心です。

担任教師や学校にしても自分の受け持つクラスや学校にイジメがあると教師や学校としての力量が問われる事になります。
だから隠したくなる。

更にマニュアル化された事は淡々とこなせるが、自分の評価に係る事は踏み込まず、我関せずとなる。

むしろイジメに気付いた事をプラスと評価し、それに向き合い克服した教師や学校をプラスとして評価するシステムにしなければ学校や教師は積極的に関わりません。
マイナスの評価を受けるならば、自分の受け持つ間は事なかれに過ごし、その責任を次へ次へと先伸ばしにし、見て見ぬふりをします。

イジメに気付く事が評価プラスになるならば、教師も積極的に考えます。
そうなれば小さなことにも目が行き、最悪な状況まで行く手前やまたは早い段階で表に出ることになるでしょう。

これぐらいのシステムの変更は直ぐにでも出来ます。
勿論、此れだけではありません。
しかし、先ずは直ぐ出来る事から始め、少しでも自ら命を絶つ子供を減らし、子供は国の宝だと大人達が守らねばなりません。

大人達に求められている事はこれ以上、犠牲者を出さない!子供を死なせない!と言う気概です!

そして、ここへ行き着く

先に示したシステムだけではこの問題は解決しません。

更にもっと考えるならば、自らの死によってしか伝えられないとか自らの死によってしか復讐が出来ないなんて社会は地獄そのものです。

支那の圧政に焼身と言う形でしか抗議出来ないチベットを見れば判るはずです。

幾らシステムだけを変えようと運用する人間が変わらなければ自殺する子供は減りません。

同じ学校で学ぶ仲間を自殺まで追い込むことをさせてはいけない。

させない為にはどうするのか?

やはり教育であると、ここに行き着きます。

我々の日本は「シラス」の国です。

天子のもと民は平等である。
此れがシラスです。

敗戦後、アメリカから頂いた憲法で生きて来た、そして国は自ら理念を持つ事を捨てました。

アメリカの理念で作られた憲法を有り難がり、他人の理念で生きています。

そして先の大戦で我々後世の為に戦って下さった方々を悪者にしてきました。

その中で受けた教育に日本人としての理念も哲学もありません。

そんな生き方をしているうちに、親が子を殺し、子が親を殺し。
同じ学び舎の仲間を殺し。
同じ日本人が拉致され様と見て見ぬふりをする。

そんな社会になってしまいました。

僅か13歳で生きる望みを捨て、ただ復讐の為に自らの命を絶つ。

あの沖縄で散華された少女達は我々の為に自ら自決なさった。
我々を生かしてくれた。
それはこのブログでも紹介しました。
例えばここです。

しかし、村松君は復讐の為に自ら死んでしまいました。

他者の理念で生き、ただ自分の為にだけに人は生きれば良いと教育されました。

元来日本人はそんな生き方はしません。

他者を生かし、他者の為に生きる。
そうする事で生きる意味、死ぬ理由を身につけました。

自分の為にだけ生きてもつまらない、他者を生かす事で自らも生かされ、そしてそれが次の世代へと受け継がれ…死んで灰となるだけの虚しさもそれで報われるのです。

その象徴的存在が天皇陛下の御存在です。
民が大事、民こそ宝。
あなたの為に、あなたこそ宝。
其れこそが天皇陛下の御心であり、生き方です。それを真っ先に御示しに成られる。

だからこそ、このブログにて古事記を取り上げているのです。
古事記には日本人の哲学があります。

日本人とはどう生きるのか?
人間とは何の為に生きて、死ぬのか?

自分の利益の為には人は死ねません。

其処を子供たちに教育し、大人達に再教育しなければ根本はかわりません。

イジメる側とイジメられる側と言う私事の狭い関係の中でしか考えられなくなってしまっていても「将来、こんな自分も人の為に生きることが出来る。こんな自分も誰かの役に立つ」と理解できれば自ら死んで復讐を果たす子供たちが減るのではありませんか?

あなたの為に死ぬなら私は本望だ。
あなたの為になら死ねる。

だから、私はあなたを守る為に生きる。

そんな、生き方をするならば仲間をイジメ殺したり出来なくなるのではないかと思います。

日本人は死ぬ理由から生きる意味を見出せる民族なのです。



戦争は嫌だ!だから固く守る!

2015-07-23 20:23:32 | 草莽崛起
今回は古事記をお休みします。

で、何を話すかと言えば

安保法制です。

今ある危機は何か?

その危機はいつからか?

一体誰が?

などを考えてみようと思います。

常に申してますが、このブログは様々な意見がある事は承知の上で「ひとつの問題提起」として書いています。

その上で、自分なりの考えなどを事実を踏まえてアップしています。

皆さんが考えるキッカケになりますれば幸いです。

そして、古事記から離れても我々日本人は、この哲学からは逃れられないのです。

むしろ遅すぎた

安保法制、更に集団的自衛権反対派は「何故、今か?」
保守と呼ばれる人間でも「急ぎ過ぎだ」とよく聞かれますね。

果たして急ぎ過ぎでしょうか?今じゃ何故ダメなんでしょうね?不思議です。

むしろ遅すぎたのではありませんか?

我々と同じ日本人、つまりは同胞が北朝鮮ごとき国に拉致され、どれほどの時間が過ぎたでしょうか?

2002年小泉訪朝からも、随分時間が経ちます。
しかし、あれ以来誰一人として帰ってきてません。

支那が東シナ海のガス田開発を始めたのは10年以上も前です。
日中中間線ギリギリで操業し、明らかに日本側へパイプを伸ばし好き放題に我々のエネルギーを取り続けています。

我が国は、随分と長い間、人もエネルギーも他国に好き放題盗られています。

国民とエネルギーは国の安全保障の根幹です。

主権国が他の主権国の主権者を拉致するのは立派な戦争行為です。

主権国が他の主権国のエネルギーを盗掘することも立派な戦争行為です。

また、韓国にしても我が国固有の領土である「竹島」を不法に占拠しています。

これら全て戦争行為です。

日本はもう何十年も前から「戦争」を仕掛けられているんです。

拉致被害者を取り返す為には「返さないなら取り返しに行くぞ!」と言って初めて交渉になるのです。

自国のエネルギーを盗掘する行為は「完全な戦争行為だ!」と言って初めて相手は態度を変化させるのです。

不法に占拠されたら「武力で取り返すぞ!」と言って初めて世界が注目するのです。

それを遣らずに来た日本。

いつから拉致があったのかすら解らない程に時間が経過している現在。

それで急ぎ過ぎ?

話しは逆だ!明らかに
遅すぎだ!

こんな事になる前にやっておかねばならなかったはずです。
それを急ぎ過ぎとはバカか?
例えば小泉訪朝後、直ぐにこの法案を成立させていたら拉致被害者は帰っていたかもしれない。

いや、30年、40年前にやっていたら「拉致」そのものが無かったかもしれない。

横田めぐみは両親の愛情を受け、たまの休みに夫と共に孫の顔を見せに実家に帰省していたでしょう。

横田夫妻も正月には孫にお年玉の一つもあげる事が出来たでしょう。

この普通の、日常の幸せを感じる事が出来たはずです。
我々が普段、何気なくやっている日常が横田家にもあったのではありませんか?

脅威が其処に

拉致、エネルギー、不法占拠。

全て日本の脅威です。

そして安倍総理がハッキリと答えられない脅威は「中華人民共和国」つまり支那です。

それはチベットやウイグルを見れば解ります。

支那がチベットを侵略した理由は「」です。
このチベット侵略から見ると支那が何故日本の脅威となるのか?が解ります。

かつてチベットは、広大な地域を持つ人口600万人の仏教国でした。

清王朝時代には、その皇帝すら敬う程の国でした。
清朝の柵封国ではありましたが、清朝の領土ではなく、清朝皇帝から敬われた独立国でした。

国民の1割は僧侶という仏教国で、争いもなく平和な国でした。

日本は神道を根幹に平和を築いていましたが、チベットは仏教を根幹に平和を築いていました。日本とチベットはDNA型が同じだそうで、日本人と同じ「血」が流れているそうです。

先の大戦終結後の1949年、建国したての支那共産党人民解放軍がドッとチベットへ押し寄せた。
我が国領土を確定するという信じられない理由です。

支那共産党は蒋介石率いる国民党軍を倒し政権樹立を果たしました。

何故、国民党軍に勝ったかと言えば、ソ連軍から援助を受けたからです。

それは旧日本軍から取り上げた武器を支那共産党軍にソ連が与えたからです。
ソ連にしてみれば、日本軍から取り上げた武器ですからタダで渡しても腹は痛くもない。

その軍事的供与により崩壊寸前の支那共産党は盛り返し、国民党軍を打ち破りました。

しかし、これにはソ連の思惑があった。
当たり前です。見返りもなく助けてやる筈はありません。世界はその論理で動きます。
それは世界がウシハク国家だからです。

ソ連の援助のまま建国すれば、「ソ連の属国」と化します。
支那領土を確定した瞬間「租借」と言う名目で土地を差し出す、或いはそれ以上にソ連の影響下にある国、つまり「属国」となってしまいます。

その属国化を避ける為には支那共産党はソ連に対して「援助の対価」を払わねばならない。

支那と言う国はそもそも、大きく分けて7つ程の軍閥があり、更にその下にも小さい軍閥があり…という階層的な社会構造でした。
支那は古来からそういう国で、清王朝と言えど単一国家としての国民国家ではありません。
現在の支那も同じ構造で、中央の共産党があり、その下に地方共産党があり、更に小さい共産党がありと全く昔と変わらぬ国です。

逆に言うなら、幾つかの権力が有り、その下部に中小様々な組織が有る階層的構造の上に支那と言う国が乗っかっているのです。

蒋介石は、本人は貧乏人でしたが宋美齢と言う金持ちの娘を嫁にした事で成り上がった人物です。その為に潤沢な資金がありました。
資金面で他者に頼る必要はなかった。

国民党軍ですら、一軍閥です。
ですから、蒋介石が他の軍閥に頼る場合は、其れなりの見返りを与えねばりません。
これがウシハクの飴です。

蒋介石の野望は支那を統一国家にすることでした。だから「支那事変」となる訳です。
しかし、国民党軍だけでは日本に対抗できません。
他の軍閥の協力が不可欠です。
しかし「飴」が必要です。
その為には巨額の富を得なければなりません。
その為の手段が紫禁城への攻撃です。

紫禁城には清王朝が世界各地から集めた財宝がありました。
蒋介石はこれを根こそぎ奪いました。
清王朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」に残されたのは自転車1台、今着ている服、古びた玉座だけでした。

強奪した財宝は他の軍閥への報酬となり、対日戦の為の欧米に対する宣伝工作資金にもなりました。他人の財宝ですから自分の腹は痛みません。

しかし、これは支那の伝統方法です。
王朝交代の度に繰り返されて来たことです。
支那と言う国は伝統的に他人の富を奪う、それは庶民も同じです。
先進国の技術や物をコピーする。
バクリ国家は支那の伝統的お家芸なのです。

自分達で作り出すとか考えないのです。
「富は他人から奪う」
これは支那の国是です。

共産党はソ連に受けた「恩」に対価を支払わねば国を盗られます。

そこで支那が目を付けたのがチベットです。

大戦終結後、国民党軍は富を得る為にあらゆる場所から富を強奪していました。
国内の財宝は最早空っぽです。

その時点で最も富を持っていたのが地続きのチベットだったのです。
地続きのチベットの財宝を奪う為に「我が国領土を確定する」という名目でチベットを侵略したのです。

その後も1979年に支那はベトナムへと侵攻します。これも1977年まで続いた文化大革命により停滞した経済を立て直すこと、軍閥の共産党離れを食い止める為にベトナムを狙いました。

支那は軍閥というヤクザが地域を牛耳り、そのヤクザの上に国家が乗っかる、その為にこのヤクザ達に富をばら撒き豊かにしておかなければ国家が成り立たないのです。
支那が国内の支配力を失うことは、つまりヤクザに金を渡せなくなる事です。
政府が存続する為には飴を与え続けなければならず、飴を貰う方は如何に飴を貰うかを考え続けます。

支那は常に他人の富を狙い続けなければならないのです。

チベットは仏教国で兵力など保持していませんでした。
仏教の聖地で清王朝から敬われる国に兵力など必要なかったからです。

結果全人口の4分の1にあたる人々が虐殺されました。

そして、人だけでなくパンダまで奪い自国のものとしてしまいました。
パンダはチベット固有の動物です。

このチベットの悲惨な圧政は未だに続いています。チベット人はチベット語を禁止され、北京語を話す事を強いられています。

日本統治時代の朝鮮や台湾は日本語教育もしましたが母国語教育もしっかりやりましたね。
支那は言語すら奪いました。

その後、経済政策に転換した支那は宣伝工作もあり外資を招き入れ経済を活性化し、年間二桁の成長をし軍閥の、つまりヤクザの懐を肥やしてきました。
つまり飴を沢山与えました。

ところが遂にバブルに終わりがきました。
完全に経済が停滞。
なんとか、粉飾したり、誤魔化してきました。
しかし、飴を与え続ける為の経済が停滞、或いは破綻の影を落とし始めた。
飴をくれないなら支那政府はヤクザにとって「飴もくれない偉そうな奴」でしかありません。ヤクザにとって邪魔者です。

それでも東シナ海、南シナ海の海洋資源、象牙の密売、更に小笠原の赤珊瑚などを奪い飴をなんとか与えて来たが最早限界です。

飴を与え続ける為には支那伝統方法を取るしかありません。
それは「富を持つ者から奪う」です。

そして今…支那の近くにあり、最も富んだ国はどこですか?

我々は右とか左とか、賛成や反対とか言う国論を二分している場合ではありません。

我々は世界有数の富んだ国です。

この現実を直視し合わせるべきを合わせる事が必要なんです。

日本人は争いを好みません。

しかし、其処に我々の富を狙う輩が厳然といる。これは間違いない現実です。

お互いに情報を共有し、お互いに補完しながらお互いを固く守る。

日本は「シラス」の国。

ウシハクに飲まれる事は決してあってはいけない。

今般の安保法制や集団的自衛権が必要な理由が、その現実なのです。

古事記を摘んで日本を知る!その14

2015-07-20 10:57:40 | 古事記
古事記シリーズです。

いよいよ前回から大国主命へと突入しました。

前回も話しましたが、この部分は古事記の中でも特に重要な部分です。
そして言わば秘伝です。

そこから一体何を伝え様としているのでしょうか?

それらを少し考えてみようと思います。

ウシハク・シラス

古事記は結論から入る様な英文の様な記述だったりします。

大国主命と言えばクライマックスはやはり「国譲り」です。

この国譲りに関してウシハクシラスが出て来ます。

このウシハクとシラスが初めてここに表れ、そしてこのウシハクとシラスが日本人の哲学を現しています。

汝之字志波祁流
此葦原中國者
我御子之所知國

と、原文はこうなります。

現代語ならば
「汝のウシハケる、この葦原の中つ国は、我が御子のシラス国なるぞ」

この「ウシハケる」はウシハクです。
ウシハクとは領有すると言う事です。
「シラス」とは統治すると言う事です。

この記述は「日本書紀」にはありません。

これはその部分を軽んじたのではありません。
これが前回お話しした秘伝だからです。

此れこそが日本統治の極意であり秘伝なのです。そして日本の根幹であり、哲学の重要な部分なんです。

シリーズ中でも申してますが、古事記と言うのは疑問や理解し難い部分を別の書物などを用いて解決してはいけない!という大原則があります。

古事記は古事記内で解決しなければ、それは最早古事記ではなくなります。
つまり、この部分は日本書紀に書かれていないからと無視したり、なかった事にしては古事記を理解出来ないのです。

ウシハクとは領有です。
ウシとは主人と言う意味です。ハクとは佩くと言い、此れは身につけると言う意味です。
つまり主人が身につけると言う事です。
これは一人の主人が居て私有する事を現しています。

これは一人の権力者が全てを私有することで、領地を持つ権力者はその領地内の全てを私有することです。「全て」です。
水、土、草、木、作物、獣。そして「人」です。

一組の夫婦が居て、その夫婦の夫は妻が自分のものです。しかし、夫は領主のものです。私有する夫の妻は領主のもの。
これがウシハクとなる訳です。

ですから、領主=権力者は夫の妻を好きな様にできます。また、夫婦の所有物を好きな様にできます。領地内にある全てを好きな様にできます。夫婦が気に入らなければ権力者は殺します。権力者の私有物ですから殺しても構わないのです。

一方シラス。
シラスとは「知らす」です。シラスとは「統治」とも書きます。
原文には知國とありますね。
これは共有社会と言う意味で「知ることを共有する」と言う意味になります。
ウシハクでは全てが権力者の私有ですから、共有などしません。
情報も権力者のものです。

シラスは知ることを共有します。情報共有社会です。
これは「シラス」とい統治システムを最も重要な事だと言っているのです。
ここに日本人の生き方死に方に対する哲学があるのです。

このシラス=統治とは、國譲りの物語を通して我々日本人とは「この様に生きる」と教えています。

それは、日本統治の根幹であり大原則です。

我々全ての民は「大御宝」であると示しています。大御宝(おおみたから)と言います。
國譲りで言うならば、「この世界は天照大御神の統治する世界で、大国主命が私有するものではない」と言っているのです。

大国主命の国作りは決して簡単なものではありませんでした。
それは次回より又詳しくお話しします。

しかし、艱難辛苦を乗り越えやっと理想の国作りを成功しました。
しかし、それは大国主命が私有するものではなく天神である天照大御神が統治する国である。

では統治するとはなんでしょうか?

それは広く全てを見ていると言う事です。

その広く全てを御覧になっている神の御子が統治する「知らす」のであって私的に領有してはいけない!と言っています。

そしてその御子が降りてくる。

これが國譲りから天孫降臨へという流れの話しです。
そしてシラス存在の末裔が天皇となるのです。

世界はウシハク

ウシハク=権力者には全てが集中します。
何もかもが権力者の私有ですから、富も情報も全て権力者に集中してしまいます。

ウシハク者はその全てを私有する訳ですから、富を独り占めし、贅沢三昧を尽くし、逆らう者は殺してしまいます。

一人のウシハク者は財力と贅沢三昧と言う特権を与え例え神々であっても懐柔する事は簡単です。巨大な財力で政治を行います。
人はその財力や特権に懐柔されてしまう弱い生き物です。

ですから、その「弱さ」に負けてしまいます。
弱さに負ければ、その財力で懐柔されてフェアな決断ができません。

財力に買収されおかしな判定を下す。

スポーツにおいても金で買収されおかしな判定を下す。
嘘の情報でも、その財力に魅せられあたかも本当であるかの様に流す。

権力者はこれを継続したい。つまり権力を維持したいと考えます。
維持する為にはどうするか?
愚民化政策です。

つまり権力者にとって都合が良いのは民がアホである事です。
権力者に対して疑問を抱かせない事です。
逆らう者は殺し、逆らわない者には飴を与えます。
民は権力者を崇めてさえいれば殺されず飴を貰える。飴が欲しいから貰う為だけに生きる。

権力者はアホの民が反抗しない様に飴を与えます。朝鮮の格言に泣く子は飴を沢山貰える。大泣きする子は飴を全部貰える。とあります。
反抗されたくない権力者は大泣きする子に飴を与え、殺されず飴が欲しい民はどうすれば飴を貰えるのかに必死になります。

こういう社会で育つとありもしない話しを泣きながらして飴を貰おうとします。
「従軍慰安婦」の記者会見など正にズバリ!

世界はこのウシハクで成り立っていました。
有史以来、世界ではこのウシハクが続けられてきました。

それを、修正しようとしたのが市民革命であったりする訳です。支配する者とされる者。この力関係を破壊し、民衆が選んだ代表者に政治をさせる。自由と平等を勝ち取る。これがリベラリズムということです。
しかし、どういう訳か一旦のこの座に就くと理想が曖昧になり「ウシハク権力者」になってしまう。
民を私物化してしまいます。

アジアやアフリカで白人が行なった「植民地支配」は正にこのウシハク政策であったのです。

日本はシラス

日本はシラスの国です。

シラスとは広く全てを見ていると言う事です。

統治者はその全てを広く御覧になる訳で私有化する訳ではありません。

日本は古来、歴史が書かれる以前よりウシハクを否定していました。

大日本帝国憲法には第1条に「万世一系の天皇これを統治す」と書かれています。
日本という国は万世一系の天皇が統治する、つまり天皇が広く全てを御覧になると書かれているのです。
これ、実は最初「しらす」と書かれていたんですよ!これはあまり知られていませんね。

この大日本帝国憲法草案を考えたのは井上毅(いのうえこわし)という人物です。近現代日本の天才です。

この人物はあの「教育勅語」を書いた人です。

伊藤博文から「お前が憲法草案を書け」と言われて世界中の憲法を読破し、日本初の成文憲法を持つに辺り真似ではない、日本固有の根幹を成す為に努力した人です。

古事記や日本書紀を読破し、更にその中から「日本固有」の国体をズバリ現す。
これはかなり難しいですよね。
それを見事に「大日本帝国は万世一系の天皇がこれをしらす」としました。
しかし、当時既にしらすは古語でもあり解り難いとなり「統治す」としたのです。

では、この日本固有の「知らす者」とはなんでしょうか?

それは常に民の幸せをを祈り続ける存在です。

天照大御神も統治する人々の幸せをを祈り続け、そこから長く長く続く歴史を経て今上陛下に繋がり、その今上陛下も民の幸せを祈り続けて居られます。

日本はこの統治者が民の幸せを祈り続ける事でまとめてきました。

いろんな人から報告を受けて「そうか」、「ではがんばりなさい」とその責任を激励し、皆に仕事をさせて話しを聞く。
話しを、聞くだけで国をまとめてしまうのです。国土がまとまり、人々がまとまり、文化や伝統、習俗、習慣、意識など日本そのものを一つに束ねてきました。

こんな国は世界広しといえど日本だけです。

いざとなれば民の為に犠牲になる覚悟を持って、生きる。民の幸せだけを祈り続けて生きる。

それが日本の「シラス統治」なのです。

古来の武将も領地を持ち、領主となっていました。しかし、その領地も領地内にある全ての者や物は領主の私有ではありません。
「シラス統治」からの預かりなのです。
ですから、領地の夫婦を見ても妻は夫の者で領主の私有ではありません。
民も木々も土も獣も「シラス」お方の大御宝でその御宝を「お預かり」しているのです。

ですから、大御宝を苦しませる様な事は「シラス」に逆らう事になります。
領主は存在として「ウシハク」ですが、そのウシハクをウシハクとしないのが「シラス」でお預かりした民の為に治世を行わねばなりません。
領主は民の為に開墾をし、飢えさせない為に努力します。飢饉になれば民に備蓄米を分け、洪水が起きれば治水をし、常に民の為に治世を行う。
その為、領主は実は借金塗れで贅沢三昧とは程遠い生活です。
だから武士は食わねど高楊枝などとなる訳です。

その御存在

そしてそのシラス統治をする御存在の前では人々は謙虚に振る舞います。

それは民の幸せを祈り続け、民の為に生き民の為に死ぬ。私事を真っ先にお捨てになる。
その御存在の末裔が天皇陛下であるのです。

話しを聞くだけで国をまとめてしまう御存在とはその様な尊い存在なのです。

一つの案件に対し、右だ左だ、賛成反対に分かれ、口汚く罵しり合っていても、その尊い御存在の前では「バーカ!」とか「ハゲ頭!」などと罵る訳にはいきません。

「陛下、只今この案件について二つの意見が御座います」となるのです。
そしてその尊い御存在の前では謙虚に振る舞い「此方にはこの様な問題もあり…」とか「其方の意見のここは同意できますな」とか話しているうちに一致点を見出し話しがまとまる。

合議の上で総意を得るのです

で、統治者は最後に「では、その様に致しなさい」と仰る。

それは政を行う者を選ぶにも同じです。
「我々はこの人物に政を行わせる事にしようと思います」とお聞きします。
統治者は「では皆で決めたのならば、それはその様に致しなさい」と仰る。

これが天皇陛下の国事行為になるのです。

総理任命、内閣任命、国会召集。

我々が決めた、それを統治者がお聞きになり「では民の為にがんばりなさい」と仰る。

そして今で言うならば安倍晋三その人に「大御宝」を預ける。
その大御宝を預かった安倍晋三は民の為に治世を行うのです。
大御宝が飢えたり、苦しんだり、無闇に死なない為にがんばります。
今般の安保法制と集団的自衛権がこの「大御宝」を預かる安倍晋三の責任であるのです。

この尊い御存在は我々日本人にとっての根幹です。文化、伝統、習慣、習俗全ての根幹です。
これらを一つに体系化した古事記が日本人の哲学書だと主張する理由です。

今から1300年前に文書として示した。
しかし、文字にしたというだけで、この哲学がそれ以前より存在したのです。

そしてこの哲学を象徴する御存在が天皇陛下であり、国民統合の象徴とはそうした事です。

我々日本人にとっては当たり前の御存在で、其処に居られる。

それは何かというならば大豆や昆布や魚とも同じ事です。

急になんだ?

そう思うでしょう。

しかし、大豆から醤油や味噌が作られます。
昆布や魚から出汁を取ります。

我々は生まれながらに、そこに醤油も味噌もあり出汁もあり、その味を疑う事もなく過ごしています。既に其処にあり日本人ならば当然の当たり前の事です。

しかし、明日から大豆や昆布や魚を禁止されたらどうしますか?
味噌や醤油や出汁はない。
何の疑いも無く味わい続け、それで生きて来た、其れを明日からダメだと言われたら日本人は立ち上がるでしょう。

天皇陛下という御存在もまた同じなのです。

広く御覧になって、常に民の為に生き、民の幸せを祈り続け、自らは真っ先に私をお捨てになる。

その「シラス」を以って日本はアジアの解放をしようとした。

その「シラス」を以って朝鮮、台湾の統治をしようとした。

しかし、その「シラス」を無視すればどうなるのか?

先の大戦突入前の御前会議で昭和天皇は明治天皇の御製四方の海を二回詠まれた。
そこで皆気づいたが、止める事ができなかった。

我々日本人の哲学とは何時からあるのかわからない、わからない時代からその哲学を基に生きて来た。

それを古事記から、その行間から読み解こうとするのが古事記シリーズの目的です。

次回へ続く…




ピンチ?チャンスです!

2015-07-13 22:06:24 | 草莽崛起
今回はまた古事記から外れてみます。

今般腹立たしい世界遺産登録の一件!

皆さんも腹立たしく思うしだいと…

しかし、もう起きてしまった事です。

そして支那の株価暴落。
日本への影響は?

少し考えてみようと思います。

一体何が?

ご存知の方もおられるでしょうが、自分なりに調べてみた結果から考え様と思います。

先ず、やられました。
これは日本の外交の負けです。

推薦された時点で韓国はお決まりの「反日」に出ました。
強制労働された負の遺産だと主張しました。

当然、我々は「またか」と考えました。
政府もその様に考えていました。

しかし、突然に「協力」すると言い出しました。
明らかにアメリカからの圧力に韓国は折れた形になりました。

またお互い協力しようと話は決まっていました。これは明らかな韓国の裏切りです。

しかし、韓国と言う国は常に裏切りをやります。そこの警戒心を解いた日本の負けです。

先ず、韓国は徹底的に日本の世界遺産登録の施設を調べました。
これがアメリカの圧力後辺りではないかと思います。

徹底的に調べた上で隠し玉としたのです。

その隠し玉は「世界遺産の施設の中に1910年以降の稼働」の施設がある、と言う物です。
施設はそれまでに出来ていた。
しかし、稼働が1910年以降であった。

これは日本側は全く把握していなかった。
韓国はこれを文字通り「隠し玉」にし、「協力」等と吐かしていました。

韓国側の世界遺産登録が可決され、いよいよ日本と言う段階になり「アウシュビッツ」を持ち出しロビー活動を始めます。
突然それをスピーチします。

日本は完全にやられた状態。さすがに投票による登録を視野に入れました。

その後に「隠し玉」を遂に出した。
日本側は完全に手玉に取られました。

担当者達は外務本省に指示を仰ぎましたが本省の指示は「登録が無くなる事態は防げ」と言うだけでした。
この時の本省の本音は投票やむなしでした。
しかし、現地には其れに付いて具体的指示はなかったのでした。

担当者達は「妥協しろ」だと思いました。

そうして、現地が混乱している状態に韓国側との折り合いが変な形で手打ちになりました。
それは…言葉です。

言葉が原因と思われます。

強制労働はForced laborとなる。しかし、韓国側は「Forced to work」とややニュアンスを甘くした。

此れに外務官僚は飛びついた。強制労働ではなく徴用だと考えた。それで手打ちにしてしまいました。

これも韓国は折り込み済み。
労働だろうが徴用だろうがForced が付けばネイティヴからすれば違いはない。

下手に英語が解る、いや受験英語に長けていた外務官僚は解らなかったのです。

戦時徴用ならば「Wartime recruitment」や強制徴用ならば「Forced recruitment」となる。
これが下手に受験戦争を勝ち上がって来た連中には解らなかったのです。

強制的な労働は国際法では禁じています。
しかし、戦時、災害時などの場合は覗かれています。ですから、戦時徴用は国際法違反でもなくまして強制労働ではない。

軍艦島で働く人は日本人、台湾人、朝鮮人で、朝鮮人だけが働いた訳ではありません。
また、厳しい労働条件であった為に他より賃金も高く支払われており稼ぎたい人々は敢えて選んだ。
それは日本人、台湾人、朝鮮人も同じです。

しかし、戦時下でも徴用は自由意思ではない!と言う人もいる。成る程、その考えもあるでしょうがならば別な表現になるであろうし、日本人や台湾人からは「強制」なることを主張しないのは何故か?
論理的な説明はできません。

韓国の主張ではまるで無理にさらわれ強制労働をさせられ、或いは死人すら出たと言っています。これは全く違います。

しかし、世界には既に強制労働として配信されてしまいました。国際舞台で発言したならば取り消せません。

韓国からすれば米国の圧力をかわし「日本側が自ら言い出した」と言う言い訳になりました。

韓国にみすみす外交カードをくれてやった様なもねです。

外交の失敗です。

延いてはこの責任は安倍晋三にあります。

この癌を抱え「安倍談話」に向かわねばならなくなりました。

ではどうすれば?

完全に韓国ごときの外務大臣に騙されました。

更にインフォメーションセンターなるものを作る合意をした。

このインフォメーションセンターは強制徴用なる嘘を調べて喧伝する目的です。

しかし、これは幸か不幸か日本側が作る。
ならば、これを逆手に取ってやれば良いのです。

英語、日本語、中国語、ハングル語でしっかりと喧伝すれば良いのです。

強制的な労働など露程もなく、日本人、台湾人、朝鮮人が皆等しく働いたと解説すれば良い。

更に従軍慰安婦など存在しないとめ喧伝する。

日本が世界に向けて嘘の歴史を封じる反撃の場にしなければなりません。

日韓関係がどれほど冷えこもうと、韓国側がどれほど吠えようともです。

アメリカは圧力をかけて来るでしょうが、日本側にではなく韓国側へかけるでしょう。

アメリカはやがて北朝鮮は崩壊すると考えています。
それにより戦争にまでなるとは考えてはいない様ですが、やはり有事となる。

その時、日本に駐留する海軍、海兵隊、空軍と韓国に駐留する陸軍が連携しなければ対応できません。
また、韓国に駐留する陸軍兵士の安全も脅かされる。それを懸念しています。
日本側が過去散々歩み寄りをして来た事も理解していますし、世界遺産なる平和的な話の場にまで「反日」を持ち出した事へ強い懸念も抱いています。

外相会談での経緯や韓国側の騙しを全て詳らかにしてしまえば良い。
そして日本は「約束を果たした」とアピールすれば良いのです。

バブル

チャイナマネーの破綻が見えてきましたね。

株価は大暴落。

少し回復しましたが、信じらない、凡そ世界経済の常識では考えられない手段に出ました。

株価大暴落したら、売るのを止める。
それも支那政府の介入で、です。
また、その様な相場になれば企業側が取引を勝手に中止出来る。

支那企業なるものは殆どが民間企業ではない。
国営企業です。ですから政府の思い通りに動かせる訳ですね。

つまり資本主義経済を装いながら、実は支那共産党の共産主義に則る企業なんです。
生かすも殺すも共産党次第。

我々、民主主義で資本主義経済、市場経済を行う者には到底考えられません。
鶴の一声で何とでもなるのです。

これを独裁と言うのです。

支那はバブルを作り、それが崩壊し出すと更に大きなバブルを作り、それが崩壊すると又更に大きなバブルを作り出す事でどうにか経済を回してきました。

しかし、それは限界です。
当たり前ですが、地球を超えるバブルは作れません。経済も人が行う事です。
人口を超える、厳密には経済に関わる人口を超えるバブルは作れません。

さて、どうしましょう?

不動産そして株式とバブルを作りましたが、いよいよ次のバブルの手はありません。

人口を超えるバブルはありません。
人口を超えようとするならどうするのか?

それは国内から国外へ向かいます。

しかし、我々の様な投資などで儲けを出すのではありません。
何故ならば中華人民共和国だからです。
中華思想と言う支那人なしか理解できない思想があるからです。

その新しいバブルがAIIBなるものです。
外へ向う為のものです。

国際銀行を作りアジアのインフラへ投資する。

この投資の実情は実際には支那の覇権を確立する為であるのは皆さんもご存知ですね?

他人の金で覇権主義に走る。

アジアに投資などと言っているが、全く信用はなく更に外貨準備高は目減りしまくり。
その目減りを対外債務で埋めている。
つまり借金塗れ。借金塗れで他人に金を貸す。
意味がわかりません。

そして南シナ海での不沈空母なる埋め立て。

アジア全体の脅威です。

そして世界の脅威です。

数年内に間違いなく軍事的小競り合いを起こします。
そして何よりも間違いなく起こるであろう事はアメリカとの軍事的衝突です。

アメリカは先般ハッキリと、支那を「脅威である」と発表しました。

あの不沈空母が軍事施設になり、更に現在領土を主張しています。
領土ならば、領空、領海も設定します。
さらに排他的経済水域をも設定します。

日本にとっても重要なシーレーンです。

支那が他国と小競り合い、又は米国との衝突をする際に日本の振る舞いが問われます。

今般、審議中の安保法制案は更に重要な意味を持ちます。

エネルギーの輸送路であるシーレーンを支那如き独裁国家に握られたならば死活問題です。
これこそ間違いなく「戦争」の二文字が現実味を帯びて来ます。

どう振る舞うのか

さて、日本はどう振る舞うのか?

間違いなく米中軍事衝突になれば、沖縄の基地は重要な意味を持つ。

その様な有事では間違いなくアジア諸国を巻き込む事態になります。
そのドサクサに尖閣から沖縄を狙うでしょう。

日本はアジアの安定と自国の防衛という二正面を強いられます。
自衛隊だけでは対処仕切れません。
より日米同盟が重要です。

また、これに乗じて北朝鮮が38度線を越える事態も同時に警戒しなければならない。

その時、韓国はどう振る舞うのか?これも懸念です。

先の大戦で我々日本はアジアの解放に貢献しました。これはフェアに見てそうです。

力の強い国が力の弱い国を力で従わせ、現状変更してはならない。
そういう時代に変わりました。

しかし、支那は戦勝国を気取り未だ100年前の思想を実行しようとしているのです。

それを現時点で阻む事が出来るのは日米しかありません。

つまり、日本にはアジアを解放した盟主としての振る舞いをする必要がある。
更にアジアはそれを望んでいるのです。

ピンチ?チャンスです

危機感ばかり高まります。

確かに、危機であり脅威です。

しかし、同時にチャンスです。

支那はこのまま共産党独裁体制は続きません。
これから没落していきます。

それに何とか抗う為に外に出て行きます。
そうなれば国際社会から孤立します。

米中軍事衝突は最早避け難い状況にまでなります。

恐らく支那は最後には6~7に分割され共和制となるでしょう。

日本はこのアジアに掛かる脅威を逆手にとり勃興すれば良い。

支那を国連安保理常任理事国から引きずり下ろす。そしてこの脅威に日本は立ち向かい、アジアの安全保障に積極的に関わる事で国連改革を行う。

そして、国連敵国条項を打破し常任理事国入りを果たす。

支那崩壊により滞る経済にADBなどを使い、或いは日本主導の国際銀行を設立しアジアの隅々まで行き渡らせます。

此れにより、アジア圏の基軸通貨に円を押し上げる。

敗戦国として身を屈めて生きてきました。

それはもう終わりです。

世界の秩序は東西冷戦が終わり変わったのです。大東亜戦争には負けた、厳密には物理的に負けました。
しかし、アジアの解放と言う目的は果たしました。
また、西側として東西冷戦に勝利しました。
我々日本は戦勝国です。
戦勝国が新しい秩序を作るのです。

しかし我々日本は先の大戦の戦勝国の様な振る舞いはしません。

自らの技術力、経済力、歴史、文化を用いてアジア諸国と連携し新しい秩序を世界に広げる。

世界で初めて人種差別撤廃条約を発信した国です。
我々はその誇りの基にアジア諸国、延いては世界の人々と「同じ釜の飯を食う」と言う外交をするのです。

皆で経済を勃興させ、皆で安全保障を担う。
そして相手の文化を認め、宗教を認め、その上で合わせるべきを合わせ共存共栄を果たすのです。

これが我々の先達がなし得なかった夢。
大東亜共栄圏です。

我々には今、正に其れを成すチャンスが来ているのです。

後世に残す遺産を作る時が来ました。

今度こそ負の遺産ではない、次の世代またその次の世代へと残す遺産を作る時です。


古事記を摘んで日本を知る!その13

2015-07-09 12:00:53 | 古事記
久々古事記です。

前回は須佐之男命が八岐大蛇を退治しました。

大山津見神の娘と結婚しました。

いろんな子供を産むのですが、その須佐之男命から六世孫が大国主神です。

ここから大国主神の物語へと向かいます。

大国主神

大国主神(おおくにぬしのみこと)

わかりやすく言えば大国さん。

出雲の神様で葦原中国(あしはらのなかつくに)つまり地上の神様です。

ここからが古事記上つ巻のクライマックスへと向かいます。
クライマックスとは天孫降臨です。

しかし、この大国主神の部分は古事記でもかなりの字数を割いています。
それは、この部分が重要だからです。

そして日本人の考え方、日本人の心、そして天皇の存在に繋がる話しだからです。

「ウシハク」や「シラス」と言う言葉もここで出てきます。

面白い事に上つ巻は天孫降臨へと繋がる伏線みたいなものであると解ります。
それでも大国主神の部分はかなり割かれています。
それだけ重要なんですね。

国づくりは実は止まっていました。
伊邪那美命が死んでしまった為に伊邪那岐命と伊邪那美命の二人の国づくりは止まっていました。

それを大国主神が再開させます。

古事記というは面白くメインストリームが始まらないのです。
この人が若い時は…みたいな話をして、こんな事があり、あんな事がありと、来て話を戻すとみたいな感じです。

因幡の素兎

古事記では大国主神の部分で、先ず結論から書かれています。

先ず結論を伝え「じゃあどんな事情があったか話します」て感じですね。

英文ぽい感じがします。

大国主神には八十神 と言う兄弟がいました。
八十神とは80の神様て意味ですが、そんなにはいません。と、思います。

こういう話しは誇張が入りますからね。
しかし八十神ぐらい一杯いた!と言うことですね。

古来日本は数が多い事を「八」で表していました。
八百万とか江戸八百八橋とか、嘘八百とか八百屋。兎に角数が多い例えですね。

80は居ないけどかなりの数の兄弟です。

その大勢の兄弟がみんな因幡の八上比売(やがみひめ)に惚れ込みました。

兄弟が全員一人の女性に惚れちゃったわけです。これは危険ですよ!

友達同士でも一人の女性を巡る争いになると後々面倒なもんです。
これが兄弟ですからね。

これは禍根を残しますよ。

骨肉の争いですからね。親の遺産で骨肉の…みたいな話しがあるんですからね。

とにかく兄弟全員が惚れ込みました。
よほどにこの八上比売が美しいのか、それとも他に女性がいなかったのか。
事情は知りませんが、そんな事になってます。

それどころか、全員で求婚に向かいます。

もう異常な状態です。
求婚される八上比売だって迷惑ですよ。
いきなり兄弟が何十人と来て「あなたが好きだ!結婚してくれ」と言う訳ですからね。

競争率高い!高過ぎる!
そんな見合いパーティーは嫌だ!

それで皆んなで求婚の為に因幡に向かいます。

大国主神はこの時、大穴牟遅(おおなむじ)と呼ばれていました。
大穴牟遅もこの一行にいました。
しかし、どうやら求婚の為にではなく従者として同行していた。
袋を担いでいた様です。
この事から大穴牟遅は末っ子ではないかと思われます。

一番の末っ子に「おい!お前は袋を持て!」とかて感じですかね。
まぁ、要するに末っ子のイジメられっ子てやつみたいです。
兄弟の中で一番若い、あいつに持たせとけ!と、兄弟は末っ子に荷物を持たせて「俺たちは求婚するぞ」と。

何せ兄弟全員が皆「比売のハートは俺が頂く」と鼻息も荒いですからね。

その鼻息荒い兄弟の後ろを荷物担いでエッチラオッチラ着いて行く。
それが大穴牟遅少年です。

面白いですね!先ず最初に結論から書かれてあります。
つまりこのイジメられっ子が国づくりをすると書かれてあるんです。

世の少年達に希望を与えますね。

そして、このイジメられっ子が国づくりをして国を治めるのか!?
と、興味が湧く。ここいら辺りが古事記の上手いとこで、読み手を引きつけるわけです。

兎出て来ました

大穴牟遅が歩いていると、海岸に傷ついた兎が横たわっていました。
「どうしたの?」と声をかけました。
兎は事情を話し出します。
懇切丁寧に説明してくれる訳です。

この兎は淤岐島にいた兎ちゃんでした。

淤岐島(おきのしま)とは、隠岐の島なのか、沖ノ島なのかよくわかりません。
諸説ありますが、とにかく離島であるのは間違いない様です。

普通は兎というのは対岸に渡りたいとか考えないと思うんですが、この兎は淤岐島から対岸に渡りたいと考えていたのです。
夢を持った世界初の兎です。

ところが渡る手段がない。兎は泳げませんし。

そこで思案した挙句「そうだ!」と閃きました。和爾を並べて背中を渡ろうと考えました。
和爾とは鰐、つまりワニです。

そこで和爾達に「兎と和爾、どちらが多いか調べよう!でも兎の方が多いよ!」と言いました。すると和爾達も「いや、俺達の方が多い!」と言い返しました。

どっちが多いかとか、どうでも良い話しなんですが兎は和爾をけしかけたのでしょう。
和爾もプライドがありますから、イラッ!としたのか、何せワニて脳が小さいですから。
あまり賢くはない…あ…いやいや。

「それじゃ和爾さん達、皆んな並んで!その背中を跳んで数を調べますよ~!」と言いました。和爾もちょいアホで、素直に並びました。
「じゃあ数えますよ!」で、一、二、三、四…とか言いながら背中をピョンピョン跳んでいきます。

和爾て獰猛な生き物です。一方、兎と言うと何だかか弱い感じです。
その兎が和爾に指図して思い通りに動かしてます。兎にしたら、おかしくて仕方ない。
小学生がヤクザの親分に指図て、みたいな感じですからね。

後チョットで渡り切る。後チョット我慢すれば良かったのですが、それができなかった様ですね。最後の一匹を渡る手前で「ははは~!」と笑ってしまった。「バーカ!お前ら騙されたなぁ~ははは」と笑ってしまった。

最後の和爾さんはですね「おのれ~!」と兎に噛み付いた。食い殺されてもおかしくないですが和爾さん達少し優しい様で、殺さずに生皮を剥いだ…て、これなら殺してくれ!て、感じですが、とにかく生皮剥いだ。

生皮剥がされましたが、何とか渡りきりました。

ところがもう生皮剥がされてますから身はボロボロです。
そこに八十神が通りかかります。
八十神は「海水を浴びて風に当たり乾かせ」と教えてくれました。
海水て塩水ですし、殺菌作用があるし、それで乾かせば治るんじゃね?と、なかなか安易な…
あり得なくはないですけど。
なんせ生皮剥がされてますから、海水浴びて乾かすなんて益々ボロボロです。

医療の神様

其処に大穴牟遅少年が通りかかり「あぁ、それじゃダメダメ」と言って、先ず淡水で洗いなさいと教えます。
それから河口に生えてる蒲(がま)の穂を散らし、その上をゴロゴロやって体に付けたら治ると教えます。

蒲の穂の花粉は現代では使いませんが、古代の民間療法らしいです。
蒲の穂の花粉には治痛効果や治血効果があるらしいです。

この適切なアドバイスで大穴牟遅神は後に医療の神様とも呼ばれる様になります。

そしてこの兎は稲羽の素兎、兎神と呼ばれます。

現在、白兎海岸と呼ばれる海岸があります。
白兎神社と言うのもありまして、兎の像とかいっぱいあって、何だか可愛いらしい神社です。
大国主神が兎に手を添えている銅像があります。

古事記て言うのは旅行なんかでも楽しめるところが沢山ありますね、

伊勢、高千穂、那智…色々あります。

白兎神社は縁結びの神様でもありまして、白兎の予言で大穴牟遅神と八上比売は結ばれるのです。

考古学

前にも書きましたが、どう言う訳か学者の世界は左ばかりです。

今般の安保法制に纏わる憲法学者を見てもわかりますね。

左の学者ばかりで、実は古事記を研究する学者も大半は左巻きです。

それでその左巻きの連中は古事記を研究して古事記を否定したい。
古事記に対するネガティヴキャンペーンをやりたいのですね。

で、古事記とは「天皇を神格化する」書物だ!
とかですね「軍国主義」の温床とか言う訳ですね。それで、コレは嘘だ!とかあり得ない!とか主張します。
昔はそれで良かったのです。

しかし、科学の発達に伴い、例えば今回の白兎もですね「日本に鰐なんか居ないから鮫だ!」と鮫を鰐と呼んでいたと。
確かに鮫を鰐と呼んだりしましたけども、そんな主張をし我々も「あ~鮫の事か…」とか思ってた。

そしたら大阪大学の校舎工事の際にマチカネワニと言う6500万年前の地層からワニの化石が発見されました。

ワニはいた!

ワニは居たんですね!

このワニは大阪市立自然史博物館に展示されてます。

古事記編纂の頃にワニが居たとは思えません。
しかし、ワニが居たことを知っていたのかもわかりませんね。

大国主神の国譲りで出てくる社。
それも「そんな時代に無理な建築だ!」と言ってましたが実際に柱跡なんか発見され、その発見された跡を調べると高さは20mはあったと推測される。

そこで左巻きの連中は「ヤバイ!」と、否定しようにも次々に証拠が出て来る。

つまり、全く無いものを書いてはいない。
少し誇張はされても丸っきりのフィクションではないのです。

そしてこの書物を真っ直ぐ考え様じゃないか!と、なって来たのです。

そして、昔は本当のところ、正に真実は秘伝とされていました。

日本書紀と古事記の本質的な違いは日本書紀は対外向けの書物です。
ですから中身も漢語を用いて、ある程度その素養があれば読める様になっています。
海外の人達に「日本の歴史はこうですよ」と伝える書物なんです。

一方、古事記は国内で、それもある一部の人間達に読まれる書物です。
てすから中身は万葉仮名使い。
例えば「倭建命」ヤマトタケルなどは日本書紀では「日本武尊」となります。

そして本当のことは秘伝とし隠す。それは東洋では当たり前の事でした。

だから、実はこの大国主神の国譲りなどの話しは日本書紀にはありません。
それはこの物語が秘伝であるからです。
我々日本にとって重要で隠しておきたい程の内容だからです。

その中身と意味はこのブログて順次アップしますか、その中身には日本人の真実が書かれており、更に何故そうなのか?と言う日本人に対する答えや、日本人の考え方が示されているのです。

それを知る事がどれほど重要な事でしょう。

其れを知ることで先の大戦の意味、其れまでの歴史の意味、現在の間違いを知ることができます。

つまり古事記とは日本国内でのみ伝える事を主眼とした秘伝書であると言えます。
ですから、左巻き学者が言う様な「天皇正当性」なるものを広める為でも、皇族を崇めるものでもなくて、日本とはこうです。
日本人の考え方や哲学がこれですと示すものです。

だから中身には都合の悪い話しもある訳です。
全てを語る事で良し悪しや振る舞いを知る事になるのです。

其れを踏まえて読むとしましょう。

次回へ続く…