犬神スケキヨ~さざれ石

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天皇の責任(権力者であったのか)

2022-04-28 17:56:00 | 草莽崛起
戦前と戦後の日本を切り分ける等と言う発想を所謂、和式リベラルの連中が主張するのを散見致します。

この考えの根底には『宮澤俊義の八月革命論』があり、東大憲法学や日本国内の憲法学会に蔓延しているのです。
詳しくは拙著この地味ブログに以前シリーズとしてアップしているので是非ご一読ください。

さて、よく天皇の戦争責任について議論を目にする事があります。
それは特に『天皇の陸海軍に対する統帥権』についてどう見るのかと言う話しです。

天皇の統帥権に指揮命令、立案実行の権限があったのか?と言う事です。

天皇の統帥に指揮や命令の権限はありません。
天皇はその大権を示すに直接命令を下す事はないからです。
行政権はあくまで内閣にあり、勅令により法を変えたりする事は大日本帝国憲法に明記されており、天皇が独裁ではないのがわかります。

天皇は裁可をするだけです。
現在で言うならば国事行為に当たります。

現在では『内閣の助言により』となっていますが、大日本帝国憲法下にあっても同様のものです。
大臣の輔弼を以て裁可します。
また、軍事についても陸海軍大臣、軍令部、統帥部の輔翼(輔弼と同じ意味)を以て裁可をします。
天皇陛下一人で何かを裁可する事もなく、更に天皇の裁可が下らないにらば『ご理解頂けなかった』として内閣総辞職です。

昭和天皇は裁可をほぼ拒否した事はありませんが、裁可を下すまでは相当ご質問されたと伝えられています。

内政、外交全て大臣の輔弼無しに裁可する事はありません。

にもかかわらず軍事面だけは指揮命令権を問題視する左翼の話は甚だおかしな話しです。

では統帥権とは何か?
ただ天皇は見ていると言う程度の話しです。

天皇の統治とは『知らす』と言う統治だからです。
知らすとは『知る』と言う事です。
大日本帝国憲法草案を書いた井上毅は最初、帝国憲法第一条に『大日本帝国は万世一系の天皇が知らす』と書いたのですが、さすがに伊藤博文らが『知らす』はさすがに今の日本人には意味が判る者が少ないと『統治』に変えたのですが後に伊藤博文は憲法解説書の中で『統治とは知らすと言う意味だ』と記しています。

古事記にもある『天孫降臨』の部分、天照大神は孫、つまり天孫である邇邇芸尊に『お前が地上に降りて知らせ』と命じられました。
これが『知らす統治』の始まりです。
知らせとは『知りなさい』の命令形です。

世を人を知れ!知ることでより人や世の安寧を願いなさい。より祈りなさい。
そう言う事です。
人の苦しみを知れば、より祈りにも気持ちがこもると言う事を説いているのが天孫降臨の真実です。

その末裔である天皇の統治は祈ること、それを『知らす』と言うのです。

つまり統治とは『見る』或いは『知る』と言う事が主たるものです。

天皇不親政の原則があります。
つまり天皇が指揮命令権を行使する等は憲法違反です。

そう言うと左巻脳の人々は226事件を持ち出しますがこれも全く論理性はありません。

『朕自ら近衛師団を率いて鎮圧する』

この一説を以て『これは天皇が直接軍に命令している、明らかな憲法違反だ』とか『これこそ天皇統帥権の大権を表している』と言う論調です。

しかしながらこの一説も当時の侍従武官長本庄繁や内大臣木戸幸一日記に記された話しで、他方では香椎戒厳司令官に対し『自ら叛乱軍を説得に出かけても良い』と伝えたとも証言があり、この証言は敗戦決定時の総理大臣鈴木貫太郎が秘書に度々語っています。
この時陛下が『叛乱』と言う言葉を使われ、側近は事態の重要性を理解したともされます。

例え前述の如き『近衛師団を率いて〜』と仰せられたとしても、これは軍事行動でもなく国内の治安問題でもあり、更に陛下は陸軍に対しても本庄繁を介して仰せであります。

後に阿南惟幾は決起した連中に対して『遵法精神の欠如した許されざる行為』であると強く非難し『遵法精神の欠如は天皇の大御心に逆らうもので、遵法こそ誠の愛国心である』と一刀両断にしています。

天皇親政を成し遂げる為に決起した若い将校達を天皇に謀叛を働く者だと一蹴したのです。

これを見ても、これは国内の治安維持問題であるのは明白で、更に天皇自ら鎮圧にもお出ましにはなっていません。
そして早々に内閣総辞職を認めず、クーデターを鎮圧せよと仰せです。

開戦にしても、その御前会議では短歌を二回読まれる程度にしか意思表示をされていない。それがギリギリの憲法内での意思表明であるからです。

そもそも憲法に戦争の責任は誰にあるのかを明記していないのです。
しかし、それそのままに現憲法にも有事の責任を明記していません。

開戦、終戦を誰が決めるのか、その責任が明記されていないが為に閣内の議論で意見は割れ『誠に畏れ多い事ではありますが...』と鈴木貫太郎は御聖断を仰がねばならなかったのです。

しかし、天皇は請われて『外務大臣と同じ意見である』と述べたに過ぎず、ポツダム宣言受諾は閣議決定と言う手続きに則り決定したのです。

開戦も終戦も天皇の鶴の一声で決定したのではありません。

民主主義の手続きにより決定したのです。

そもそも日清戦争が迫る中、軍と政府が軍事費増額を要請したが帝国議会は何度も拒否しています。

天皇の権能が左翼バカの言う程強いならば、明治天皇の御製など読まずに開戦をハッキリと拒否すれば良いだけです。
議会など無視して軍事費増額を命令すれば良いだけです。

天皇主権等と言いますが、その大権は『大御心にある』のです。

例えば、仁徳天皇『民のかまど』にある様に、民の為の祈る存在であり、仁徳天皇自ら語ったとされる『民のあって天皇が存在する』と言う事です。

つまり『大御心』とは普通の一般国民の総意であり、その象徴が天皇であると言う事です。
天皇の統治、天皇の統帥、それは『知らす』であると言う大原則があり、戦前も戦後も言葉は変えられたが、大原則は現憲法にも引き継がれている事は理解出来るはずです。

『知らす』お方には指揮命令権はありません。