随分久しぶりの投稿となります。
最近は忙しさもありサボっておりました。
しかし8月15日を迎え考えておかなければなりません。
我が国の終戦記念日であります。
しかしこの日に重きを置いているのは日本とアジア数国であります。
我々日本人には大変重要で敗戦と言う屈辱の日でもあります。
この日を改めて考えてみようと思います。
今年の終戦記念日には首相をはじめ閣僚は参拝に行くのか?
この様な話しがマスコミ始め毎年語られています。まるで夏の季語が如く。
開戦や終戦記念日は何も8月15日だけではないのです。
日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦、大東亜戦争。
明治の御一新後、いくつも戦争をし、全てに勝ってきた。
けれど大東亜戦争に敗北した。
たった一回負けただけではないか!
この一回の負けを喫したばかりに『靖國参拝』が敗戦後の現在、いや正確には80年代から夏の季語が如く扱われてしまっているのです。
日清日露、第一次世界大戦にも勝利し、たった一回大東亜戦争に敗北しただけです。
靖國神社は国の為に命を懸けて頂いた先達の魂の行き場です。
そして靖國神社の御霊は何も大東亜戦争で散華された方々だけが祀られているわけではありません。
例えば坂本龍馬や中岡慎太郎の様に幕末志士の御霊も祀られています。
当然ながら日清日露、第一次世界大戦の御霊も祀られています。
そして靖國神社参拝を巡っては、首相や閣僚の動向が毎年注目を集めることになっています。
そして天皇陛下の御親拝についてもです。
何故、首相や閣僚の参拝や天皇陛下の御親拝が叶わないのか?
それはA級戦犯が合祀されているからだ!
この様な主張をする者が現れるのです。
いわゆる東京裁判で戦犯とされた人々、例えば東條英機や松井石根と言う人々です。
しかしこの戦犯とされた人々は1952年サンフランシスコ講和条約により主権を回復したのちに名誉回復を果たし、いわゆるA級戦犯なる者は一人としていないのです。
それを『分祀しろ!』と言うバカがいるのです。
例えば橋下徹や長島昭久と言う人物です。
靖國神社自身も国民も望んでいないのに分祀するのか?
そもそも合祀されたのは1978年です。
その後も首相や閣僚は参拝しています。
そして何より靖國神社に祀られている御霊は大東亜戦争の戦没者だけではありません。
靖國神社にとって重要なのは春と秋の例大祭です。
合祀にイチャモンを付けるバカや、ド左翼反日本派の連中は大東亜戦争だけを取り上げて騒いでいるのです。
確かにA級戦犯と呼ばれる人々には『敗戦の責任』はあるでしょう。
しかし『戦争犯罪人』ではありません。
事後法で遡及する様な裁判で裁かれた犯罪など犯罪でもなく又『平和に対する罪』などと言うバカな話しはありません。
平和に対する罪と言うなら400年を超えてアジア諸国や中東、アフリカを植民地として支配し搾取に搾取を重ねた白人達に罪はないのか?
我々は東京裁判の判決を受け入れた為に『敗戦の総括』をやっていません。
例えば、フィンランド等は戦争が弱く敗戦ばかりで、常にロシアの脅威に晒され続け、先の大戦でも、連合国側が言う枢軸国として我々日本人と同じ立場で戦った。
けれど、敗戦の経験があるフィンランドは敗戦後に東京裁判の様なものは受けずに自分達でサッサと敗戦処理を行い、当時の主導者達を自ら裁判にかけて敗戦の責任にを取らせて終わらせてしまいました。
負けてばかりのフィンランドは敗戦後の振る舞いをよく心得ていたのです。
我々日本は負けた経験がない。
世界を相手に連勝していた。
だから負けたときにどう振る舞うのかしりませんてました。
その敗戦後の正しい振る舞いが出来なかった為に今日の様な状況を招いているのです。
確かに天皇陛下が直接御親拝頂けるのは有難い事ではありますが、しかし代わりに勅使を使わせています。
勅使とは天皇陛下の代理ではありますがこれは天皇陛下と同格と言う意味です。
その言は天皇陛下の言。
その振る舞いは天皇陛下の振る舞い。
そう言う事です。
ですから天皇陛下がお出ましになられる通り陛下の御車で陛下がお出ましになられる門を通過し、陛下が振舞われる通りに靖國神社に参拝するのです。
つまり陛下ご自身が直接御親拝頂けなくとも陛下が直接御親拝したのと同じと言う訳です。
陛下の御親拝がないとか言うバカはこの事実を知らないのでしょうか?
靖國神社は散華された日本人の魂が宿る場所です。
肉体や精神は朽ちるとも魂は永遠に続く
これは科学的にもそうであるとされます。
魂の存在を否定する根拠はありません。
神道では魂は娯楽浄土や天国に行くのではありません。
だから魂は鎮めるもの。
魂を正しく鎮めれば、それはその地の守り神となるのです。
間違えれば悪霊となり災いをもたらす。
例えば貧乏の神様とて手厚く祀れば福をもたらすのです。
散華された日本人は
肉体は朽ちるが魂は靖國に行く!靖國出逢おう!靖國に逢いに来てくれ!
そう言ってかけがえのない命を後世の為に散らせたのです。
靖國神社は先達と現代我々日本人との約束の地であり
先達からの遺言
正しく祀れば守り神となり、我々日本人を守ってくれるのです。
正に死ねば神です。
合祀された御霊はツボに溜めた水の様なものです。
先に溜めた水から今入れた水のみを分けるなど出来ようものではありません。
それを分祀しろだの言う輩は全く日本の精神を理解出来ぬバカであり、その様な魂の文化を持たず嘘の歴史観で話す支那や朝鮮の如き振る舞いです。
一体誰の為の靖國なのか?
なんの為の靖國なのか?
千鳥ヶ淵に魂はありません。
靖國にこそ魂はおられます。
戦後、靖國神社を潰そうとしたマッカーサーを止めたのはローマ法王です。
この靖國を潰したならアメリカは最後の一人になるまで日本人と殺し合いをせねばならないとローマ法王は知っていたのです。
我々がやらなくてはならないのはA級戦犯の分祀ではなく戦犯とされた人々の名誉が回復された事、東京裁判が如何に茶番であるかの喧伝です。
国の為に命を使われた方々を英霊と称え、名誉を守り魂の地を汚さぬ事こそが魂を鎮めて頂き守り神として頂く唯一の方法です。
そして反日本派諸国や反日本派日本人の顔色など気にする事はない!
首相や閣僚は毎日靖國神社に参拝してやれば良い。
日課にしてやればよい。
拝殿まで行かなくとも国会や公務に向かうとき、靖國に立ち寄り門前で一礼するだけでも構わない。
そう言う事を繰り返し、やがて天皇陛下自らの御親拝を頂ければ良いのです。
我々は先達の遺言を決して蔑ろにしてはいないのです。
最近は忙しさもありサボっておりました。
しかし8月15日を迎え考えておかなければなりません。
我が国の終戦記念日であります。
しかしこの日に重きを置いているのは日本とアジア数国であります。
我々日本人には大変重要で敗戦と言う屈辱の日でもあります。
この日を改めて考えてみようと思います。
今年の終戦記念日には首相をはじめ閣僚は参拝に行くのか?
この様な話しがマスコミ始め毎年語られています。まるで夏の季語が如く。
開戦や終戦記念日は何も8月15日だけではないのです。
日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦、大東亜戦争。
明治の御一新後、いくつも戦争をし、全てに勝ってきた。
けれど大東亜戦争に敗北した。
たった一回負けただけではないか!
この一回の負けを喫したばかりに『靖國参拝』が敗戦後の現在、いや正確には80年代から夏の季語が如く扱われてしまっているのです。
日清日露、第一次世界大戦にも勝利し、たった一回大東亜戦争に敗北しただけです。
靖國神社は国の為に命を懸けて頂いた先達の魂の行き場です。
そして靖國神社の御霊は何も大東亜戦争で散華された方々だけが祀られているわけではありません。
例えば坂本龍馬や中岡慎太郎の様に幕末志士の御霊も祀られています。
当然ながら日清日露、第一次世界大戦の御霊も祀られています。
そして靖國神社参拝を巡っては、首相や閣僚の動向が毎年注目を集めることになっています。
そして天皇陛下の御親拝についてもです。
何故、首相や閣僚の参拝や天皇陛下の御親拝が叶わないのか?
それはA級戦犯が合祀されているからだ!
この様な主張をする者が現れるのです。
いわゆる東京裁判で戦犯とされた人々、例えば東條英機や松井石根と言う人々です。
しかしこの戦犯とされた人々は1952年サンフランシスコ講和条約により主権を回復したのちに名誉回復を果たし、いわゆるA級戦犯なる者は一人としていないのです。
それを『分祀しろ!』と言うバカがいるのです。
例えば橋下徹や長島昭久と言う人物です。
靖國神社自身も国民も望んでいないのに分祀するのか?
そもそも合祀されたのは1978年です。
その後も首相や閣僚は参拝しています。
そして何より靖國神社に祀られている御霊は大東亜戦争の戦没者だけではありません。
靖國神社にとって重要なのは春と秋の例大祭です。
合祀にイチャモンを付けるバカや、ド左翼反日本派の連中は大東亜戦争だけを取り上げて騒いでいるのです。
確かにA級戦犯と呼ばれる人々には『敗戦の責任』はあるでしょう。
しかし『戦争犯罪人』ではありません。
事後法で遡及する様な裁判で裁かれた犯罪など犯罪でもなく又『平和に対する罪』などと言うバカな話しはありません。
平和に対する罪と言うなら400年を超えてアジア諸国や中東、アフリカを植民地として支配し搾取に搾取を重ねた白人達に罪はないのか?
我々は東京裁判の判決を受け入れた為に『敗戦の総括』をやっていません。
例えば、フィンランド等は戦争が弱く敗戦ばかりで、常にロシアの脅威に晒され続け、先の大戦でも、連合国側が言う枢軸国として我々日本人と同じ立場で戦った。
けれど、敗戦の経験があるフィンランドは敗戦後に東京裁判の様なものは受けずに自分達でサッサと敗戦処理を行い、当時の主導者達を自ら裁判にかけて敗戦の責任にを取らせて終わらせてしまいました。
負けてばかりのフィンランドは敗戦後の振る舞いをよく心得ていたのです。
我々日本は負けた経験がない。
世界を相手に連勝していた。
だから負けたときにどう振る舞うのかしりませんてました。
その敗戦後の正しい振る舞いが出来なかった為に今日の様な状況を招いているのです。
確かに天皇陛下が直接御親拝頂けるのは有難い事ではありますが、しかし代わりに勅使を使わせています。
勅使とは天皇陛下の代理ではありますがこれは天皇陛下と同格と言う意味です。
その言は天皇陛下の言。
その振る舞いは天皇陛下の振る舞い。
そう言う事です。
ですから天皇陛下がお出ましになられる通り陛下の御車で陛下がお出ましになられる門を通過し、陛下が振舞われる通りに靖國神社に参拝するのです。
つまり陛下ご自身が直接御親拝頂けなくとも陛下が直接御親拝したのと同じと言う訳です。
陛下の御親拝がないとか言うバカはこの事実を知らないのでしょうか?
靖國神社は散華された日本人の魂が宿る場所です。
肉体や精神は朽ちるとも魂は永遠に続く
これは科学的にもそうであるとされます。
魂の存在を否定する根拠はありません。
神道では魂は娯楽浄土や天国に行くのではありません。
だから魂は鎮めるもの。
魂を正しく鎮めれば、それはその地の守り神となるのです。
間違えれば悪霊となり災いをもたらす。
例えば貧乏の神様とて手厚く祀れば福をもたらすのです。
散華された日本人は
肉体は朽ちるが魂は靖國に行く!靖國出逢おう!靖國に逢いに来てくれ!
そう言ってかけがえのない命を後世の為に散らせたのです。
靖國神社は先達と現代我々日本人との約束の地であり
先達からの遺言
正しく祀れば守り神となり、我々日本人を守ってくれるのです。
正に死ねば神です。
合祀された御霊はツボに溜めた水の様なものです。
先に溜めた水から今入れた水のみを分けるなど出来ようものではありません。
それを分祀しろだの言う輩は全く日本の精神を理解出来ぬバカであり、その様な魂の文化を持たず嘘の歴史観で話す支那や朝鮮の如き振る舞いです。
一体誰の為の靖國なのか?
なんの為の靖國なのか?
千鳥ヶ淵に魂はありません。
靖國にこそ魂はおられます。
戦後、靖國神社を潰そうとしたマッカーサーを止めたのはローマ法王です。
この靖國を潰したならアメリカは最後の一人になるまで日本人と殺し合いをせねばならないとローマ法王は知っていたのです。
我々がやらなくてはならないのはA級戦犯の分祀ではなく戦犯とされた人々の名誉が回復された事、東京裁判が如何に茶番であるかの喧伝です。
国の為に命を使われた方々を英霊と称え、名誉を守り魂の地を汚さぬ事こそが魂を鎮めて頂き守り神として頂く唯一の方法です。
そして反日本派諸国や反日本派日本人の顔色など気にする事はない!
首相や閣僚は毎日靖國神社に参拝してやれば良い。
日課にしてやればよい。
拝殿まで行かなくとも国会や公務に向かうとき、靖國に立ち寄り門前で一礼するだけでも構わない。
そう言う事を繰り返し、やがて天皇陛下自らの御親拝を頂ければ良いのです。
我々は先達の遺言を決して蔑ろにしてはいないのです。