前回のこの地味ブログでも問題提起しましたが、国際紛争を解決する手段として戦争を選択する事に何らの問題はありません。
むしろ戦争を選択肢から除外する事の危険性についても問題提起したつもりです。
世界を見渡せば、戦争を選択する国が沢山あります。
それは抵抗もせず白旗を上げる事の危険性をよく知っているからです。
我々日本人もよく知る、チベットやウイグルの悲劇を見れば明らかではあります。
我が国も対米戦争に敗北し、占領政策を受けて来ました。
米国による占領政策では、日本人が長らく大切にして来た文化や伝統を蔑ろにする酷い占領政策であったにも関わらず、現代日本人はその事をあまり考えなくなりました。
何より、いずれ皇統が先細る事を考え沢山あった宮家を廃止させたのですから。
しかし現代日本人はそんな事を知りません。
また宮中祭祀や暦、伝統に根差した祝祭日の名称まで変えさせたのです。
それでも國體は断絶する事なく、我々は占領されたにもかかわらずアメリカ人にはなっていません、我々は今も日本人です。
それは米国による日本の占領政策が世界の基準とは違ったからです。
東西冷戦を考えれば容易に理解できるでしょう。
世界は民主主義と非民主主義との対立にすぐさま以降した事もあり、米国としても日本の独立や対共産主義の最前線としての日本が必要であった事もあります。
『米国の占領政策は稀に見る優しいものであった』と言う人もいます。
確かにそうであったかもしれません。
戦前の白人による植民地・占領政策と言えば、それは酷いものです。
被占領国民に人権などなく、まともな教育はなく優秀な若者は将来自分達に刃向かわぬ様に、手首を切り落としたり、幽閉したりと凄まじいものでした。
現在のチベットでも、人権無視の政策を受けており、ウィグル等でもウイグル人は臓器を抜かれたり酷いものです。
占領政策とはそれ程に凄まじいものなのです。
例えば、ポーランドやフィンランドなどもその歴史を見れば常に『戦争』を選択して来ました。
ポーランドもドイツやソ連に侵略を受け続ける歴史であったわけです。
それでも、ソ連に対して『戦争』と言う手段を選択して来ました。
それは何故かと考えれば、ポーランド人はこう言うのです。
『占領政策の酷さを考えれば、戦争する方が随分と良い』
世界の真実がこの言葉から理解できます。
凄まじいまでの占領政策に比べれば、戦争を選択して国民に犠牲者が出る方がマシだと言う事です。
だから負けても負けても戦争を選択するのです。徹底的に抵抗するのです。
負けて占領されても、国家民族としての火を絶やさなければ必ずや再起出来るからです。
ポーランドにしてもフィンランドにしても戦争には弱い。
フィンランドなど先の大戦では、枢軸国側として敗戦しています。
しかし、戦争に強くないからこそ負けた時どうするべきかをよく心得ているのです。
ですから、敗戦後は自分達で敗戦の裁判をサッサとやってしまい、当時の戦争主導者を自分達でサッと裁いてしまいました。
だから我々が受けた『東京裁判』やドイツに対する『ニュルンベルク裁判』の様な仕返しを受けていません。
それは後の占領政策が酷いと知っているからです。
我々、日本人が受けた占領政策は世界的に見ても珍しいのです。
その珍しい占領政策が世界の占領政策だと間違った思い込みをしているのです。
本来の占領政策は『自決権』を奪われ、人権もなく、民族は浄化されてしまうのです。
とは言え、我々もジワジワと首を絞められる占領政策を受けてはいます。
だからこそ現在の皇統に対して女系だ男系だと、訳のわからない話しが出て来ていたりするのですが...
ともかく、たった7年の占領政策、沖縄にしても平和裏に返還された事は非常に珍しい事ですが、それには沢山の日本人が後の日本の為に血を流したからである事は理解出来るはずです。
先述の通り、占領政策よりマシな戦争と言う選択を考えれば僅か7年で占領を解くほか米国に選択はなかったのではないかと思います。
そしてよく考えておかなければならない事は、何も米国の占領政策が優しかった等と言う話しではなく広島・長崎に落とした原爆以上に酷い占領など存在しないと言うだけの話しであって、何も優しい訳ではなく、東京裁判で石原莞爾が証言した通りに戦後僅かの時間で米国自身が自らの振る舞いに苦しみ出したと言うだけの話しです。
世界の占領政策や植民地支配とはそれ程凄まじいものだと、現代日本人の我々が全く理解出来ていないと言う現実。
何故、ウクライナがアレ程の抵抗をするのかと言うのはポーランドやフィンランドが言う様に『占領政策』より『戦争』の方がマシだと知っているからです。
かつてウクライナはソ連の政策により、数百万人の餓死者を出すと言う経験をしているのですから当然と言えば当然です。
台湾にしても、世界の歴史を知っているのですから今現在最も効果的であろう手段で、支那からの侵略に抵抗するのは辺り前です。
我が国も、例えば沖縄県など支那から侵略されたなら漏れなく凄まじい占領政策を受ける事は間違いありません。
殺すより殺されようとか、酒飲んで話し合うなんて言う生優しい話しではありません。
それが同じ民族同士でも虐殺し、鍋で人肉を煮て食う連中なのですから。
国際紛争を解決する手段として戦争を選択肢から除外することの危険性について、我々日本人は真剣に考えなければならない時代にフェーズが変わった!
その様に理解すべきです。