犬神スケキヨ~さざれ石

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善の悪

2016-01-28 21:12:56 | 草莽崛起
今回は何の話しをしようかと…

それで「観念論」についてまたもや考えてみようと思いました。

我が国にはこの「観念論」に侵されています。
観念論には論理性はありません。

私は現実の世界にある論理的思考を用いて考えようと心がけています。

この世界は観念論を用いて考えようとすれば、必ず本質を見誤ります。

事実を基に現実と論理性、或いは科学と哲学を融合したいと考えています。

夢想

観念論とは、以前にも拙著ブログ内にて話した事があります。

観念論とは夢想空想です。

言わば「こう思う」と言うだけのもの。
何ら根拠も論理性も無いものを指すと思います。

例えば「殺すより、殺される方が良い」とか「話せば分かり合える」と戦争や侵略を受けても、こんなことを言うのは観念論です。
夢想空想です。

何故、夢想空想をするかと言えば情報の欠乏が原因です。

これが如何に危険であるか。

考えない人が多い。

そんな夢想が世界を貶め、貧富の差別さえ生むことを考えなければならないのです。

現在、実は我々日本人は日本人としての生き方を間違っているとさえ言える状況かもしれません。

リサイクル

循環型社会

我々はそう信じて生活していますね。

使える物は再利用!

つまりはリサイクルシステムと言うものです。
結論から先ず申しますなら…

リサイクルなど出来ません!

これが結論で事実です。

「ゴミを分別して出しているじゃないか!」と聞こえて来ます。
しかし、我が国は分別ゴミをリサイクルなど出来ません。
そんなリサイクルシステムは我が国にありません。

それが事実です。

我が国の「廃棄物処理法」はリサイクルシステムではないからです。

例えばペットボトルはリサイクルなどしない方が良い。
それは、新品のペットボトルよりリサイクルペットボトルは7倍のコストがかかるからです。

コスト7倍の理由は簡単。
エネルギーを7倍消費するからです。

新品1に対し7倍の石油を使うと言うことです。

しかも商品はリサイクルペットボトルは粗悪になります。

我々の日本はリサイクルなんか出来ないと知っているのです。
我々はゴミを分別して出しています。
しかし分別したゴミはリサイクル出来ません。
リサイクル出来ない物をリサイクルしようとしているのです。

紙のリサイクルも同じです。
100%リサイクルなんか出来ないのにやろうとするので更にエネルギーを使うのです。

リサイクルの為に更にエネルギーを消費すれば、それは循環型社会とは言えません。

ココ壱番屋

先般、ココ壱番屋が廃棄した物が市場に出回るという事件が起きましたね。

もちろんココ壱番屋に責任はありません。
やらかしたのは産廃業者です。

何故、横流しが起きたのか?

これは法律に問題があり、更に我が国に蔓延する「観念論」が原因です。

先ず申しておかなければならない事は大多数の産廃業者は真面目に一生懸命仕事をしています。
人が出したゴミの処理を一生懸命やっています。

そこで何故起きたかを考えると、それが出来る法体系になっているからだということです。

新鮮な食料品を棄てる
形式を整えることが出来る

この二点があります。

新鮮な食料品廃棄

新鮮な食料品を棄てるとは、食品安全の観点から決められた規定によります。
食品安全の法律では誰が食べても安全な基準で決まっています。

例えば致死量の毒は誰もが死にます。
しかし、それをグッと減らすと凡そ無毒性となる量になります。

しかしその量ではまだ個人差があります。
ですから無毒性量から100分の1まで下げた値を安全レベルとしているのです。
これは世界の先進国で採用されています。

例えば賞味期限を過ぎ様と食べることが出来る食品があるとして二十歳の健康な若者が食べても何ら問題ないとしても、3歳の子供や或いは高齢者には食中毒の危険があります。

したがって、どの年齢や性別の人が食べてもほぼ安全レベルとしているのが無毒性量100分の1という訳です。

この基準から外れた物は廃棄します。
ある調査では外食産業の廃棄量は仕入れの9割近くになると言われてもいます。
実はビュッフェスタイルやバイキングスタイルの店を最近よく見かけますが、このスタイルは極めて食品廃棄率が低いのです。

致死量はみんな死にます。
そこから下げていくと死なないまでも下痢とか病気になる恐れのある量。
人によってはダメな量。
無毒性量。
そして100分の1。

死なないまでも下痢とか病気をする量は支那朝鮮がやることです。
昔の日本は無毒性量でやっていました。
しかし、少し悪くなれば「死なないまでも…」となってしまいます。
そこで100分の1基準で、その基準なら幾ら食べてもほぼ安全と。

ココ壱番屋はその基準で廃棄したのです。

形式を整える

形式を整えるとは「廃棄物処理法」です。

廃棄物処理法では書類さえ揃えてあれば「廃棄物処理」が出来たとする、その様になっています。

ざっくり話しますと、廃棄物処理には中間処理と最終処理があります。

我々が普段出すゴミは中間処理業者に渡ります。
ここで廃棄物処理法に基づいた書類が発行されます。
これで我々は処理した事になります。

中間処理から最終処理に渡ります。
ここで書類が発行されます。
中間処理業者は廃棄物処理をした事になります。

書類が発行された時点で処理されたとする。
その様に法律がなっています。
ココ壱番屋は廃棄物処理法に則り廃棄物処理を廃棄物処理業者に依頼しました。
書類が発行された。
その時点で処理済みです。
これを横流しした訳です。

ココ壱番屋に処理されたかどうかを確認する義務はありません。
それどころか処理を確認する法的根拠がありません。
つまり業者が廃棄物処理をしたと言ったら調べてはいけないのです。
調べるには業者と交渉し確認させて貰わねばならないのです。

書類だけ

例えばプラスティックなどのリサイクル率はおよそ1%程度です。
それしか出来ないのです。

しかし、リサイクル率は60%となっている。
その隙間を埋めるのは書類です。

このカラクリは「書類さえあれば廃棄物処理済み、或いはリサイクルしたとする」としているからです。

そしてリサイクル率のカラクリのもう一つが「今までゴミとしていた物をリサイクル品として業者に出す」と言う事です。
これならゴミはゴミでなくリサイクル品となります。
しかし、引き取りはゴミを処理する同じ産業廃棄物処理業者です。
この処理業者はリサイクル品回収として書類を発行します。

実際にはリサイクルなど出来ないのです。
それをリサイクルすると粗悪品が出来ます。
粗悪品は誰も買わない。
先進国では先ず汚れて見えるものや粗悪品は誰も買いません。

それでは、リサイクルはどうしているのか?

それは東南アジア諸国や中国などに送っているのです。

ここではっきりしないといけない事は、誰も使わない物は不用品です。不用品とはつまりゴミです。

その不用品を我が国はリサイクル引き品として後進国などに送っているのです。

例えばバッテリーなどは鉛などを使用しており、処理はかなり危険です。
それを例えば中国等にリサイクル品として送ります。
それを中国の農村地帯の貧困層の人々が処理するのです。
中国はリサイクル品として輸入しています。
この時も書類さえ揃えてあれば何ら問題無しとなっています。
この鉛の処理を劣悪な環境で中国貧困層が行うのです。
中国は今すぐ死なないなら構わない国。
日本は100分の1基準の国。
つまり、我々は自分達は死なないから構わないと言う振る舞いをしているのです。

使わなくなった電化製品も東南アジア等に流します。
リサイクル業者はリサイクル品として回収し、書類を発行していますから我々はリサイクル処理したとなります。
それは業者により横流しされ後進国などに送って製品として売られます。

我々はリサイクル処理する物でも廃棄物として出しています。
どんなにもったいなくとも、使える物でも不用品は廃棄物です。

我々はリサイクルをやっていません。
廃棄物からリサイクルをやっているのです。

一部リサイクルショップなどはありますが、それは廃棄物として扱ってはいません。
しかし、世にリサイクルショップがどれだけあるでしょうか。
しかし、リサイクル品も必ず廃棄物となります。

廃棄物として出された商品は、他国からみれば使える物でも廃棄物となります。

それを我々は中国や東南アジアに出しているのです。

バーゼル条約と言う国際条約違反です。

何故出すのか?

何故出すのでしょうか?

これも結論から言うなら
我が国のゴミが減るからです。

これがカラクリです。

廃棄物が、其処に無ければ我が国にゴミはありません。

先進国のゴミが後進国に行かない様にする為の条約がバーゼル条約です。

例えば、10年使える物を5年で廃棄し、それを後進国で使えば5年しか使えません。
しかし、我々は5年で廃棄し自分達の目の前から消しているだけです。
5年しか使えない物をリサイクルと称して後進国に送れば、5年後はゴミです。
つまり、後進国では我々の何倍もの廃棄物を抱える事になります。
5年後はもう使える物ではありません。

だからバーゼル条約で禁止しているのです。
日本も批准しています。
しかし実際には条約違反をしています。

書類さえ揃えてあれば何ら構わないとして、見て見ぬふりをしているのです。

本当はリサイクル出来ないゴミを、リサイクルしているからです。
だから書類さえ揃えてあれば廃棄物でもリサイクルとなるのです。
実際にはリサイクル出来ませんから目の前から消さないといけません。
それが東南アジアやロシア等に流しているのです。

そしてリサイクルと称しながら、実は焼いたり燃やしたりして埋め立て「リサイクル品」として書類を作成しているのです。

本当はリサイクル出来ないので裏道を作ったのです。
これがリサイクル法と廃棄物処理法の実態です。

このカラクリの問題は我々にあるのです。

リサイクルは良いことだ!

循環型社会は最高だ!

ゴミが減る!

そう考え、騒ぐけらです。

事実は違うのにです。
これこそ観念論です。

観念論が起こす不幸

リサイクルが出来るのは一部の物です。
例えば鉄や銅やアルミニウムなどの金属類だけで、これは真面な商取引きとなっています。

その他の物は真面に商取引きが出来る製品は出来ません。
商取引きにならない商品をリサイクルしようとすればコストもエネルギーも余分にかかるのです。

そんな物はリサイクルの名を借りた環境破壊であり詐欺みたいなもんです。

例えばユニクロは着なくなった衣類を後進国や貧しい国に送り「寒さに震える子供を救う」なんてやってます。

人道支援だと言っているのです。

これこそ正に「観念論」のなせるワザ。

これもバーゼル条約違反です。

あなたが着なくなった衣類は、あなたにとって不用品です。
不用品は廃棄物です。

その廃棄物を人道支援だと言って送っているのです。
はっきり言いますが日本人が着た衣類は白人には古着として売れません。
何故ならば「人種差別」があるからです。

白人は黄色人種の着た衣類は使いません。
それを人道支援だと言って貧困層に送ります。

送った物が貧しい人々を救っている!

それが観念論です。

送った衣類はやがて廃棄物になります。
我々の目の前からは消え、他国で廃棄物となります。

人道支援の名を借りた廃棄物処理と言う事です。

あなたが廃棄物処理も責任を持つならば、人道支援だと言いましょうか?

ユニクロの本当の狙いは将来の購買者の獲得であって人道支援ではない。
移民受け入れを主張する企業ですからね。
移民受け入れの狙いは世界へのマーケットと労働者確保であって、その移民の将来などに責任は持ちません。
老後の面倒も見ません。
これと同じ事を廃棄物でやるのです。

この観念論に取り憑かれ、あなたの善意は悪になってしまいかねません。
本当に人道支援をするなら、貧しい人々が食える社会を実現する援助をすることであって、廃棄物を与えて自己満足することではありません。

食品リサイクルも全く出来ません。
腐った食料品から毒を抜き、また食べれるなんて技術はありません。
畑に腐った肉を埋めても、また肉が取れる訳ではないのです。
肥料にするのはリサイクルではありません。
肥料にする為に更にエネルギーを使っているのですからね。

そうやって、ゴミの押し付けをしない、後進国に押し付けない。
幾ら使える物や衣類でも、もったいなくても自分達が出した廃棄物は自分達で処理をする。
その取り決めがバーゼル条約です。

この現在の日本の状況は国際会議の場で南アフリカの環境相から指摘されています。

日本の家電リサイクルは52%が海外に出ているのです。

ゴミを減らすのは目の前から消すのではありません。

敗戦後、我々はがむしゃらに生きて来た。
そして先進国になりました。

その先進国になる影でゴミの処理を他人に押し付けているのです。

我々の先達はそんな事をしたでしょうか?

そんな事をして明るさを得ても、明るければ明るい程に影は濃いのです。

先達に恥じない日本人を考えるなら、観念論を捨て「本当に正しいのか」を、一度立ち止まり考えてみませんか?

もう実務的に!

2016-01-25 21:26:21 | 草莽崛起
一年は早いものです。

アッと言う間です。

アッと言う間に過ぎた一年。
またもや北朝鮮如き国に拉致された同胞を救出出来ませんでした。

そうやってアッと言う間の一年を過ごして過ごしているうちに小泉訪朝から今年で14年。

例えば横田めぐみさんは拉致されて39年になります。


13歳で拉致された少女は今年52歳になります。

小泉訪朝の時点ならば、まだ30代半ば。

アッと言う間に過ぎる一年を毎年、毎年過ごしてこんなに経ってしまったのです。

寒波の中

先日、兵庫県川西市の駅前にノボリを立て声をからしながら街宣をする女性がいました。
傍らに男性が2名。

この駅前ではよく共産党が街宣をしています。

なので「また、共産党か…」と思いながら通り過ぎ様としました。

しかし、何気なく見たノボリを見ると其処に書かれていたのは

拉致被害者奪還

救う会の街宣でした。

私はすぐさま街宣の前に車を横付けにしました。
そしてやや慌てた様に車を降りて近付きました。

すると、横に立って署名を呼びかけていた男性が少し身構えたのがわかりました。

そして近くこちらの胸元を見て「ホッと」した顔で和かに挨拶してくれました。
その安堵した顔は私のブルーリボンバッジを見つけたからです。

すかさず「署名します」と言うと深々と一礼されました。
そして署名していると拉致について話された。
私は「解ってます。中之島の集会にも参加してますから」と言うと本当に明るい笑顔を見せてくれました。
青山繁晴さんの話しなどをすると納得された様な表情をされた。

今年最高の寒波がやって来て本当に寒い。
もう少しも外では過ごせない日に駅前の寒風吹きすさぶ中で訴えておられた。
しかし、署名の用紙を見ると私を含め10名程の署名しかなく、また必死に訴える話を立ち止まり聞く人もいない。

「必ず取り返しましょう!」と仰るその言葉に私は「命に代えても取り返しますよ!」と。
少しでも真剣に考えている人間がここにもいますからと伝えたいと思いました。

そして「この署名は必ず安倍首相に届けます!」と力強く仰る。

届け!

拉致された同胞を取り返す!

日本国民なら拉致された同胞をこのままにして置いて良い等とは思いませんよね?

私は少なからずそう思っていたのです。

しかし、そうではない。

取り返すことは日本国民にとって何ら関心はないのです。
スカルノデヴィ夫人の様に「取り返すな」と考える人間もいる。

私のブルーリボンバッジを見つけ「拉致なんかない!拉致被害者なんかペテンだ!」とか或いは「お前たちの様な人間がこの国を右翼にしようとしてるんや!」と言う人間もいる。

一体どういうことなんでしょうか?

自らの兄弟が拉致されていたにも関わらず「日本の悪業が拉致を招いた」と発言する人もいる。

一国の首相に「あなたは拉致を利用して成り上がったのか?」と平然と聞くバカが議員をやっている。

これが拉致被害者を救えない一因なのです。

いくら「届け!」と願おうと、幾ら「考えてくれ!」と叫ぼうと…
日本国民は無関心なのです。
それが現在の日本国民なのです。

少しづつではあるけれど、世論は変わって来た。
我が国は何故か「遅々とする」が進む国。
しかし「遅々」なのです。
それが現在の拉致の状況であり最大の問題点です。

記録的な寒波の中、必死に叫ぼうと見向きもせず足早に家路を急ぐ。

それが今日の我が国なのです。

そうしなければならないのか?

少なからず、この地味ブログに訪問下さる方々は拉致事件にかなりの関心があり、更に絶対に奪還するぞ!と考えておられると思います。

しかしながら世の中の多数の方々は拉致などは他人事。
たまたま運の悪かった人達が拉致被害者。
拉致被害者は気の毒だけど私は死なずに生きている。
そう考えているのです。

或いは「拉致被害者なんか結局取り返せんやろ」と発言し「だから考えても無駄」と平然と私に言う者もいる。

そして拉致に関心の高い我々も「結局交渉にならんじゃないか」と考えている。

しかし、このままで良いなんて考えられない。
だからネットも駆使して啓蒙する。

しかし、批判を承知であえて申したい。

「いつまで啓蒙するのか?」

拉致事件は日本国民で知らぬ者は殆どいないでしょう。
なのに未だ啓蒙せねばならない。

拉致事件を人に訴えねばならない。

その為の映画や舞台もある。

我々はいつまで感情に訴えるのですか?

「諦めない」「考えて下さい」「家族と会わせたい」と。
感情を話さねばならない。

いつまでやるのですか?

この質問に対しての答えは「取り返すまで」と返されます。

取り返すまで感情的な話しを繰り返すのでしょうか?

私は啓蒙を批判しているのではない。
自分自身もツイッター等のネットデモにも参加してますからね。

しかし、私はもう感情には訴えません。
違和感しかないからです。

何故違和感ん感じるかと言えば
「返せ!と言って北朝鮮は同胞を返さない」と知っているからです。

返せ!交渉しろ!制裁するぞ!

そんな言葉をどれだけ繰り返したでしょうか?

我々は議論を間違えてはいませんか?
訴える言葉を間違えてはいませんか?

こう言ってしまうと私を批判する人もいる。
そんなことは私は気にしません。
私を批判し誹謗して同胞を取り返すことが出来るなら本望です。

しかし、取り返すことにはなりません。

はっきり言います。

感情に訴えている場合ですか?

謙虚に認め

私は啓蒙は、それは必要なことだと思います。
少しでも拉致について真剣に考えてくれる人を一人でも増やすことは肝要です。

しかし、そこで止まってしまっている事を危惧するのです。

今度の参院選で憲法改正を争点にすると安倍首相は明言しました。
当たり前の事です。

しかし、憲法改正のチャンスは小泉訪朝後にもあったはずです。

拉致被害者五人を連れ帰ったことは小泉元首相をフェアに評価しましょう。
しかし一発解答を求めた為にたった五人しか連れ帰れなかった。
北朝鮮と裏取引をやり連れ帰った五人を一時帰国として暫くしたら返すと。
一人に付き1兆円払うとも約束していた。
また小泉元首相は朝銀や興銀の破綻処理に公的資金をぶち込んだ張本人であり総連ともある種ズブズブであった。

そして拉致被害者を取り返す為には憲法が邪魔なことも隠してしまった。

取り返した五人を返してはいけない!と強く主張し、それを実現した安倍官房副長官。
現在の安倍首相。それはフェアに評価しましょう。13歳の少女を守れなかったと発言した事もフェアに評価します。

しかし、あの時、憲法が邪魔している事も知っていた。

我々は他の拉致被害者もこれで救えるのだと考えた。
五人連れ帰ったのだから他の人々も取り返せると考えた。

しかし、違いました。

そしてもう、未だ取り返せない理由を知っています。

なのにまだ感情的に考えるのか?

あの時憲法を改正出来ていれば。
安保法制が成立していれば。
少しは変わっていたと考える。

安倍首相も取り返すと言ってはいるが現在取り返せてはいませんし、日朝協議は間違いなく失敗です。しかし、失敗したとは認めていません。

そして拉致担当大臣を兼任にし、更に被害者家族に信頼もない人物を充てています。

実務的に

圧力と対話。

何回聞いたでしょうか?

対話と圧力で進展していません。

我々は議論を変えねばならないのです。
諦めない!取り返す!返せ!

それは感情論です。

我々が今やるべきは実務的に議論する事ではないでしょうか?

何故、拉致が起きたのか?

何故、拉致が防げなかったのか?

何故、取り返せないのか

こんな議論を国会でしなければならないのです。
しかし、こんな議論はありません。
詰め寄る質疑もありません。

いい加減、拉致が起きた事を議論しなければならないはずです。

何故簡単に拉致を許し、全く国は日本国民が拉致を防げなかったのか。

そして取り返す為の具体的な議論もありません。

安倍首相もやるべきことをしていません。

本当に取り返す為に何が必要なのか?

安保法制で拉致被害者を救えない事も知っています。

ならば憲法改正しなければならない事も知っています。

しかし憲法改正を待っている時間は全くありません。
拉致被害者も被害者家族もあなたも私も、人は皆等しく老いるのです。
そして例えば52歳になってしまった女性が今すぐ日本に帰って来たとして
自らの失くした人生をやり直せるのか?
小泉訪朝時、30半ばだった。
その年齢なら人生のやり直しをする時間はたっぷりあったのです。
日本人の平均寿命を考えるならば、今すぐ帰って来ても残り30年ほど。
たったそれだけで人生をやり直せと言うのですか?

これは我々が選挙の争点にもせず、政策の根幹にもせずにいた責任でもあるのです。

税金が上がると言うと大騒ぎするクセに、拉致被害者については騒ぎも報道もしない。

もう感情論で話している場合ではない。

取り返すことを実践せねばならないのです。

今まで通りではダメなんです。

現憲法や現行法で出来る目一杯の事をやらねばならないのです!

安倍首相にしても交渉を外務省などにさせていてはダメなんです!

官邸主導で安倍首相自ら動かねば相手は下っ端役人しか出してきません。

私は拉致被害者担当大臣兼交渉人には中山恭子議員しかないと考える。
国会質疑を見ていても、私はそれしかないと考える。

中山恭子議員は以前に中東で誘拐された邦人をイスラム社会と交渉し救出した。
唯一実戦経験のある議員です。
また内閣参与として小泉訪朝から関わる人です。
被害者家族からの信頼も厚い。

何故、安倍首相はこの様な人物を起用しないのですか?

敗戦後、一度も行使した事のない個別的自衛権行使を検討しないのですか?

主権国が他の主権国の主権者を誘拐すれば、それは主権侵害です。
これは侵略です。
侵略されているのに個別的自衛権行使を検討しないのですか?

何故、戦わないのですか?

我々は自らを守ることを何故しないのですか?

進まぬ拉致解決を本気で望むなら

形振り構わず、あらゆる手段を講じなければならない!

私は北朝鮮国民を殺しても同胞を取り返す!

北朝鮮国民を殺してはいけない理由があるなら、教えて頂きたい!

我々の同胞はやり直せない、人生を取り返せない。
これは人間として殺されたも同じです。

同胞は殺された。

生きていても殺された。

せめて残りの人生を祖国である日本で穏やかに過ごして頂きたい。

その為に何故武器を取らないのですか?

自らの手を汚すことを嫌い、見て見ぬふりを続けるな!

相手を殺されねば守れぬものがあるんです!

大日本帝国の国家戦略~2

2016-01-17 20:01:21 | 大日本帝国
さて大日本帝国の国家戦略を見るには先ず、明治維新の改革を知らねばなりません。

どの様な改革を行ったのでしょうか。

優先課題

「富国強兵」というプロジェクトにおいて明治新政府が真っ先にやらねばならなかったのは中央集権体制の確立です。

現代、我々にとって統一国家である日本。
その中で暮らす我々にとって中央政府が政治を執り行うと言うのは当然に思います。
しかし、それは明治以降の事です。

江戸時代の日本は大名が領地を治め、幕府はその長という事に過ぎません。
この体制は「王政復古」の後も変わらず、藩主は相変わらず自分の領地を治め徴税権や立法権、独自の兵を持っていました。

これは新政府にとって不都合極まりない。

藩は独自の権限を持っていたために新政府の統制が完全には及びません。

これでは何か政策を決めようにも、いちいち各藩の意見調整を経なければならず時間がかかってしまいます。

調整に失敗すれば政府に反旗を翻す藩主も出てくる恐れがあります。

全国に300を超える藩があり、その大きさもマチマチ。更に入り組んでいたために国家として統一した税制を敷く事も困難でした。
各藩が独自の軍隊を持っていては統一した国軍を持つ事も困難です。

明治新政府にとって藩を解体し中央政府へ権限と財源を一元化する中央集権体制への移行は何を置いても実現しなければならない課題でした。

しかし、藩というものは江戸時代より270年近く続いて来た制度です。

藩解体となれば、藩主や武士が特権を失う。
強引にやれば、大きな反発を食らいます。

そこで新政府は慎重にこの大事業に取り掛かります。

新政府の指導者は、先ず自分達の出身母体であった薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の四つから消滅させます。

薩長土肥の4藩は諸藩の中でも特に有力であり、維新の先頭に立って来た倒幕の功労者です。
この功労者達が進んで解体を受け入れたなら、他の諸藩も異議を唱え難くなります。

薩摩の大久保利通長州の木戸孝允らは戊辰戦争を共に戦った土佐藩や肥前藩に働きかけ、薩長土肥の4藩連盟で明治2年(1869)版籍奉還(はんせきほうかん)の上表を朝廷に提出させます。

版籍奉還とは、藩が持っていた領地や領民を朝廷にお返しするというものです。
各藩の藩主は天皇陛下から大御宝である領地や領民をお預かりしていますから、それを天皇陛下に返還するという事になります。

維新をリードして来た4藩が版籍奉還をするのだから、他の藩も続かない訳にはいきません。

以来、次々と全国の諸藩が版籍奉還を行います。

国土と国民は朝廷のもとに一元化される事になりました。

廃藩置県改革

版籍奉還を成し遂げた新政府は、いよいよ中央集権体制への最終段階に入ります。

明治維新最大の改革
「廃藩置県」です。

廃藩置県とは藩を無くし、代りに県を作ったのですけれども当然ながら単に名称を変えただけではありません。

版籍奉還後も藩主は「知藩事」となり、引き続き藩の支配にありました。
その権限を廃し、藩を地方行政機関に置き換えるという大改革だったのです。

当然ながら、これには強い反発が予想されました。

そこいで新政府は薩長土の三藩から総勢約1万の兵を京都に送り、武力を背景に明治4年7月14日廃藩置県の勅令が発せられました。

この新政府のやり方に大きく反発する藩もなく、廃藩置県はスムーズに進行しました。

遂に日本は強力な中央集権国家に生まれ変わったのです。

中央集権国家と言うと「独裁国家」のようなイメージもあり、現代ではネガティヴに語られることもあります。

しかし19世紀の世界を見れば日本が中央集権国家に生まれ変わったのは正解であったと言えます。

もし江戸時代の様な「封建制度」ならば、他のアジア諸国と同じように欧米から虫食い状態にされていたでしょう。

当時のアジア諸国は中央集権制度を持っておらず、群雄割拠状態。
アジア諸国は欧米列強に蹂躙されていました。

明治政府は強力な中央集権体制のもと、次々と政策や制度の改革を実行していくことが出来ました。

富国強兵実現の大きな礎となった「版籍奉還」「廃藩置県」は、その後の国家の命運を左右する程の大英断であったと言えるのです。

ビジネスマンである

2016-01-17 09:25:09 | 草莽崛起
いよいよ本年は憲法を改正する方向へ向かいます。

夏の参議院選で憲法を改正を争点にすると安倍首相は発信しました。

これで日本人による日本人の為の憲法を持つことへのスタートラインに立つことになります。

しかし、あくまでスタートです。

憲法を改正したならば、その下にぶら下がる法も変えなければなりません。

私自身は先の日韓合意に反対です、更に間違った判断を安倍首相はやった。
その様に考えています。
これは変わる事はないでしょう。

しかし、一旦決まったならば次を考えなければなりません。

我々の憲法は敗戦後の占領政策の下、米国が一週間で作り上げ、日本がたった二日で翻訳した訳の解らぬ憲法です。
ですから文法もおかしい。

アホの和式リベラリストが「憲法理念」などとよく主張していますが…
理念なんかありません!

あるはずがない!

なんせ一週間で作ったのですからね。
しかも米国人が作り上げたのです。
主義も理念もない。
理想もありません。
何故なら日本人が作り上げたものでない。

先ず人としての生き方や理想、理念があってそれに基づき憲法や法律を作るのです。

大日本帝国憲法とて、その様に作り上げた。
だから「天皇が統治す」と先ず書かれてあるのです。

日本という国の生き方、理念から天皇陛下がこの国を統治し我々国民は天皇陛下の大御宝とすると日本固有の理念がはっきりと示されています。

しかし、現憲法や現行法には生き方も理念もありはしません。

我が国は憲法があり、その憲法に生き方を合わせるという世界的にもあり得ない状態を続けているのです。

先ず人間として理想、理念、生き方があり、そして憲法ができるのです。

これは政治も同じです。

憲法に生き方を合わせているから政治がおかしいのです。

先の日韓合意も生き方を問うています。

政治の前に生き方があり、その生き方をどう具現化するか?
それが政治です。

ですから安倍首相の政治判断、政治的決着に大反対なのです。
政治家とて人間です。
ならば人としての生き方が先にあるはずです。

ありもしない事に謝罪をしたならば、それはまだ見ぬ後世我々の為にこそ命を捧げて頂いた先達の行為を否定し、名誉を穢す行為です。
大戦末期などは職業軍人など少なく殆どの方々が普通の人々です。

あの硫黄島で散華された方々が少女をいたぶり、人間としての尊厳を踏みにじる行為をしたと言うのでしょうか?

政治家である前に人間。
人間ならば生き方が先になければならない。

私はそう考えます。

ヤツはビジネスマン

さて前置きが長くなってしまいましたね。

年明け北朝鮮が水爆実験を行いましたね。

世界的には水爆実験ではないとか、あるとか、そんな話しになってますね。

水爆にしては規模が小さいと言う事です。

まぁしかし水爆ではないだろうとは思います。

むしろ北朝鮮は水爆実験をしたとは言ってません。

北朝鮮の発信は「水爆に至る技術的実験に成功した」と言っているのですね。

これは、どういうことか?

恐らくは核の小型化に成功したと言う事ではないか。
と、言う事ではないかと考えます。

水爆は起爆剤として核を使います。
その為には核の小型化が絶対です。
北朝鮮はこの核の小型化に成功したと言っているのです。

何故か普段は大ボラを吹いて世界を欺く極悪国家が、何故かこれだけは事実を話しています。
それは何故か?

それは、これがビジネスだからです!

核の小型化、核の開発は北朝鮮にとって重要なビジネスなのです。

例えば、イランの核開発やミサイル技術は北朝鮮のものです。

ノドンやテポドン、或いは核実験にもイランの高官が立ち会っています。
或いは開発の手付を払ったとも言われています。

今般、イランとサウジアラビアの対抗などを見ても中東はキナ臭い状況。

更に米国はイランへの政策転換を図り、事実上核開発を認めた。
すぐには保有しないけれど、その代りゆっくりと時間をかけて核開発出来る。

そのイランが核を保有するならば対立するサウジアラビアも核を保有しようとするでしょう。
そのサウジアラビアへの核をも北朝鮮は狙っているのです。

これこそが正に「死の商人」 です。

これは北朝鮮にとって世界への存在誇示と共にビジネスなのです。

三代目のボンボンという感のある金正恩ではありますが…
いやいや、これは祖父や父を越えようと、違いを見せようとするものです。

武器輸出で外貨を稼ぐ。

世界が混沌とする時代に突入する。
風を読めているとも言えます。

また、米国大統領が今年変わります。
誰になるかは解りませんが、しかし誰になろうと今度は政策を転換する。
その前に世界は力を誇示しておこうとします。

三代目のボンボンは米国が政策転換をし強硬策を講じる前に商売の道筋をつけるつもりです。

米国オバマ大統領は、何も人種差別を乗り越え大統領に就任したのではない。
真相は「もう戦争はやらない」と言った。
白人には発言出来ないことを発言して大統領になったのです。

だから戦争をやらない政策しかしない。
世界の警察を気取り、力を誇示して来た国が弱腰になれば世界は混乱をします。

世界はバランスで平和を保っているのです。
そのバランスを保つ為の片方が手を緩めれば天秤は片側へ傾きバランスを失うのは当然です。

だからこそ北朝鮮の様な枢軸国が跳梁跋扈するのです。
その中身は金です。

我々は北朝鮮は孤立した国家だと考えています。
しかし、北朝鮮は孤立などしてはいません。
国連加盟193ヶ国中160ヶ国以上と国交を結んでいます。

イザとなれば、金一族が逃げ出す場所まで確保されています。

さらに昨今の北朝鮮は平壌と周辺中規模都市は実は潤っていると言う話しもあります。

経済制裁などを受けていても、潤っている。

今回、支那に事前通知をしておらず支那は怒っていると報道されてはいます。
確かに怒りはあるようですが、だからと言って北朝鮮を切り捨てはしません。

北朝鮮を緩衝地帯とせねば民主主義と三十八度線を挟んで直接対峙せねばなりません。

また、日米韓を中心とする我々にとっても実は北朝鮮を緩衝地帯としなければならない。
北朝鮮が崩壊し韓国に難民が流れ込めば、東西ドイツ以上の格差がある南北朝鮮は大変な事になります。

北朝鮮が小型核をビジネスにすれば、間違いなく核拡散を抑止出来ず、危険です。
自称イスラム国の様な連中に流れたならば核によるテロを警戒せねばならない。

しかし、国家が管理しているうちは北朝鮮と言えども抑制は効きます。
しかし、崩壊すれば食扶持確保とばかりにそれらを金に替える連中が出て来るのです。

更に、北朝鮮はビジネスに成功している。
金はある。
わざわざ金を日本に頼る必要がない。
ならば、拉致をネタに日本と交渉する必要がないのです。

また、南シナ海で対立する米国は北朝鮮制裁の協力を支那から得なければならない。
支那は安保理常任理事国ですからね。
南シナ海問題への譲歩をしなくてはならない。

日本は北朝鮮制裁を強めなければならない。
世界が北朝鮮制裁へと動く中で日本だけが「拉致」を理由に手を緩める訳にはいかない状況となりました。

冷静に見て「拉致解決」がこの一年や二年で解決する道は閉ざされたと言えます。

また、中東産油国は原油価格下落で経済は破綻しかかっています。
ジャブジャブ石油を買ってくれた支那は経済が没落し買ってくれない。

更に米国もシェールオイルを輸出する。

そして経済制裁を受けて産油国なのに輸出出来なかったイランも経済制裁が解かれ輸出をします。
更に石油はダブ付き価格は下落します。

石油を売る事で食ってきたサウジアラビアは今年間違いなく経済破綻をします。
サウジアラビアは国王がオイルマネーを国民にばらまく事で成り立つ国。
金を貰う代りに国民は国王の政治に口出ししないのです。
それが金をくれなくなると、どうなるでしょうか?
世界は特定の誰かが利益を得て、その中から飴をばらまく事で民衆を黙らせる。
そんな構造が大半です。
飴を貰えない民衆はどうなるでしょうか?

先の日韓合意で韓国の反日団体はかなり反発しています。
理由は簡単。
反日と言う事で飯を食っているからです。
このヤクザの様な団体が国を動かす。
国は飴を与える。
その飴の出処である日本と勝手に手打ちをしたのですから「飴をよこせ」と言っているのです。

今年は世界の秩序が変わる年となります。

我々、日本はどういう道を歩いて行くのか?

しかし間違いないのは戦勝国が世界を牛耳る時代は終わりを告げていると言う事です。


片思い~夢想と現実

2016-01-15 20:08:20 | 草莽崛起
このタイトルに

「なんや?」

と、思われたでしょうか?

本日は片思いについてです。

さて片思いとは?

奇跡

皆さんはご覧になりましたか?

日本とトルコの物語りです。

1890年トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山串本沖で座礁しました。

それを和歌山の漁民達が懸命に救助し乗組員69名を助けたと言う話しです。

以前に拙著ブログにて紹介しました。
例えばここです。

しかもこの事件の4年前にノルマントン号沈没事件が発生します。

エルトゥールル号と同じ、和歌山紀伊大島沖でイギリス船籍の貨客船ノルマントン号が座礁します。

欧米人、つまり白人です。
26名が救助されました。これに対し日本人25名は誰一人助かりませんでした。
この当時、日本は欧米列強国と不平等条約を結んでいた。更に治外法権だった為に有色人種を見殺しにした船長は職務怠慢罪で禁固3カ月、他の船員は御咎め無し

「人種差別」と言う衝撃を味わう事になりました。

しかし、傷だらけで崖をよじ登ってきたトルコ人達を助けた。

これが我々日本人なんです!

そんな日本人への感謝がイランイラク戦争のトルコ航空邦人救出へと繋がります。

映画の出来は良かったと思います。
しかし、そこは映画。
細かな部分が削ぎ落とされてもいます。
あの中東での救出要請は、映画では大使館員であったりしましたが、拙著ブログを読んでいただいたら解る様に要請をしたのは民間人です。

我々は知らずにいる

トルコでは当たり前に、このエルトゥールル号の一件を小学校で習います。

我々日本人は一切習いません。

トルコは超親日国です。
しかし我々は何故親日国なのか知らない。
知らないから、トルコの気持ちが解らない。

100年以上前の日本人。
我々の先達がした事に感謝をしたトルコの気持ちを、現代日本人は知らない。

トルコは100年を超え我々日本人に片思いだったのです。

その気持ちを我々は知らずにいたのです。

いや、トルコだけではありません。

台湾、インドネシア、ベトナム、パラオ共和国、タイやインド。
更にはキューバ。
まだまだあります。

何故、この様な国は日本に片思いだったのでしょうか?

それは日本人の、我々日本人の先達が日本人としての振る舞いをした。
ただそれだけなのです。

我々はやっと気づきました。


この写真は安倍首相がトルコを訪れた時のものです。

これはイスラムの祈りです。

郷に入っては郷に従う

ただそれだけ。

しかし、世界の指導者で他者の宗教にこの様な振る舞いをした者はいません。

これはトルコで「日本の首相がイスラムの祈りをしてくれた!」と話題になりました。



安倍首相にハグをするエルドアン大統領。

青山繁晴さんに言わせるとエルドアン大統領はもう親日どころか「晋三LOVE」だそうです。

いつまで?

中東にいた日本人は片思いしてくれていたトルコに助けられました。
そこでトルコの気持ちに気づきました。

先の大震災で台湾の振る舞いに触れ、我々日本人は台湾の気持ちに気づきました。

もう片思いで済ませる訳には行かない。

エルトゥールル号の話しには大事な事が込められています。

それは、結果的にトルコの片思いに助けられた邦人が実は自国が救えないと言う事です。

映画の中でも「日本が日本人を救えないなんておかしい」と言うセリフが出て来ます。

まだまだ救えない

あらゆる先進国は戦争やテロ、事件事故などに自国民が巻き込まれたならばあらゆる手段を用いて自国民の救出をします。

しかし日本だけは幾ら待っても来ません。

敗戦後、自衛隊にすら自国民救出が禁じられて来ました。

自衛隊を憲法違反とすら言う、アホの現実無視の和式リベラリスト。
自国民の命を守ると言う国家の基本すら理解出来ぬ観念論者。

こんな連中のお陰で、戦時下の中東テヘランからの自国民救出すらトルコの片思いに頼らねばならないのです。

自国民を守ること、自国民を救出すること、これは最大の自衛権です。

今般、安保法制が出来ようとそれは変わりません。

安保法制懇の段階では

領域国の同意がなくとも在外自国民の保護、救出は国際法上、所在地国が外国人に対する侵害を排除する意思又は能力を持たず、かつ当該外国人の身体、生命に対する重大かつ急迫な侵害があり、他に救済の手段がない場合には、自衛権の行使と許容される

と、ありました。

しかし、実際の法制は随分と後退したのではないでしょうか。

邦人の輸送や救出は可能になった。
しかし「領域国の同意」や「秩序の維持」や「関係当局との連携」の確保が必要であると要件設定がされてしまいました。

これでは邦人救出に自衛隊が派遣出来ない恐れがあります。

例えば、朝鮮半島や支那領域で有事の際に自衛隊を派遣しようと当該国である北朝鮮や支那が許可を出すのか?
戦闘状態の当該地域で一体誰と連携するのか?
戦闘地域に秩序などもありはしません。

グローバル化した社会にあって、我々日本人は世界中で活躍しています。

その日本人を日本が救えない。

国家が自国民を守らねば、一体何の国家か?
そんなもんは国家の体を成してはいません。

憲法13条には

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

と、あります。

国民の生命が脅かされたならば個人の幸福など、どうやって追求でますか?
だから国際法にも「自衛権」が認められているのです。
これは国民の生命を守る権利です。
それには自ら守る「個別」と、他者と共闘して守る「集団」があるのです。

この国民を守る権利を「憲法違反」と言う事が「憲法違反」です。

現実にある危機を意識し、自国民をどうやって守るかを予め用意しておく事も「自衛権」です。

国家の義務の第一義は自国民を守ることです。

日本は世界有数の経済大国です。

日本は小国ではありません!

世界から片思いされているのです。

その思いに応えるには「普通の国際社会人」とならねばならない。

自国民すら守ることが出来ない様では、いずれ没落します。

先の大戦の効力は既に切れました。
これから世界は壊れ、新しい秩序が世界を覆うのは昨今の国際状況を見れば明らかです。

我々は敗戦国に甘んじ生きて来ましたね。
しかし、もうそれは通用しません。

日本はこれから国際社会の一員として世界の期待に真の意味で応えていかなければならない

そんな時代がやって来たのです。

戦争法案!と声高に言う夢想家が幅を利かす時代は終わったのです。

現実に目を向けて、日本人としての振る舞いをしなければならないのです。