さてパリオリンピック、柔道の誤審問題など様々な問題が湧きに湧いて『さすがフランス!頭が悪い』と喜んで見ています。
フランスは超が付くリベラル国家です。
なんせフランス革命により、特権階級を皆殺しにして出来た国ですから。
公共の場では自らの信仰を誇示する様なものも身につけてはならないとか聞きました。
オリンピック開会式も『下品』だなと思いますが、自由主義を標榜する身としては『まぁ、フランスさんのお好きな様に』と言う感じです。
自由・平等・博愛がフランスの國體ですからあの様な演出になるのでしょう。
アレを批判したりする事も又アホのやる事なんで私自身は何とも思いませんが。
それ程に下品でアホに見える国でもリベラリズムとリアリズムを心得ている事には評価する次第です。
その事は柔道を見ていてもわかります。
何せ世界柔道連盟は本部がフランスにあるのだとか。更に柔道人口は発祥国である日本の4倍だそうで、先ず子供には柔道を習わせるのがフランスの教育だとか。
武道としての柔道に敬意を払いながら、その実は競技として如何に勝つかと言うリアリズムの基にやっているのでしょう。
今や我が国発祥の柔道はJUDOになり柔の道でも無くなったと言う事でしょう。
世界のJUDOになった事で形式や作法やルールの中にだけ『武道』があり、我々日本人が考える武の道はBUDOになってしまったのでしょうね。
海外に我々日本人にしか理解出来ない『道』を輸出すれば、文化や歴史や宗教観から『道』は都合良く解釈されるのでしょう。
つまりは道なるものは我々日本人にしか理解出来ない観念であるのですから仕方ないのかもしれません。
現代日本人でも中々理解し難いでしょう。
武術や格闘技の経験者ならば、何となく想像は出来るとは思いますが。
例えば『武士道』や『大和魂』などは定義付け出来るものではないでしょうが、日本人にはふわっとでも言語化ぐらいは出来るもんです。
と、前置きが長くなりました。
フランスパリオリンピックで、面白いことの一つが女子ボクシングではないでしょうか。
ネット上でも随分と話題を提供してくれてますね。
女子のカテゴリーにトランスジェンダーの選手が出ており、対戦した女子選手が開始早々に棄権したとか。
過度な平等意識が招いた結果なのでしょうか。
このトランスジェンダーの選手が実際にトランスジェンダーなのか、疾患により男性化しているのか、或いは自称女性なのかよくわかりません。
IOCによれば戸籍上もパスポートも女性だと言う話しですが、この選手は東京大会でも女性として出場していたそうです。
しかし、それ以前には性別の問題で出場出来なかったと言う話しもあります。
女性と男性では、当然ですが筋肉量やら動体視力に至るまで違いはあります。
それは生物学上の問題で我々人類が進化の過程で獲得した違いです。
優劣とか言う話しではありません。
これを否定すれば、人類を生物ではないと定義しなければなりません。
人間と言うものは、その様に性別で違いがあるものなのです。
これを否定して
男女は生殖器官以外は何の生物学的違いはなく、男らしさや女らしさは全て社会的・文化的に構築されたものだ!
と主張するフェミニズムが存在します。
私はこの様な訳の分からない主張をする人々をジェンダーフリー過激派とかフェミニズム過激派と呼んでいます。
他には極端に環境問題を叫びたがる環境過激派・SDGs精神疾患とか、鯨やイルカの保護にのみ関心が高いシーシェパード脳障害とか、人に近付き過ぎた熊の駆除にやたら反対するヒグマの食糧になりたい人とか色々ありますね。
とにかく、ジェンダー過激派は『全てのジェンダーギャップは社会的に構築される』と信じて疑わず、生物学を否定します。
先に申しました通り、生物学上の男女差を否定するのは『人類は生物ではない』と宣言するに等しい話しです。
生物でも有機物でもない人類は一体何なのか?と言う話しになります。
もう無限ループに全てをジェンダーギャップであると言い続けられます。
前提に人類は生物ではないと置くだけです。
これは、人種や宗教など全てに於いて活用出来るでしょう。
しかし実際には男女差は脳の構造自体違うのだと言う話しは科学的事実です。
生まれて間もない赤ん坊にすら、興味の対象に男女差があります。
男の赤ん坊は『物」に強く興味を持ち、女の赤ん坊は『人』に強く興味を示します。
進化論的に話すならば、男は狩猟に最適化し女は採集に最適化しているからです。
それは網膜にも差があるのです。
網膜にはM細胞とP細胞があり、M細胞はモノの動きに、P細胞は色や質感などに反応します。
男はM細胞が網膜に広く分布しており、女はP細胞が広く分布しています。
ですから、例えば幼児にクレヨン等で好きな絵を描かせてみたら女の子はカラフルな暖かい色を使い人物や動物、草花を描きます。
しかし男の子は冷たい色、黒やグレーでロケットや車やロボット等を何らかの動きを表現しようとします。
これは周りの大人、親や教師が『男らしさ』や『女らしさ』を描かせたわけでもなく、またジェンダー的圧力を加えたわけではありません。
網膜と視神経の生物学的差異です。
単純に見える世界に男女差があるのです。
その為に脳の構造に僅かだが違いがあるのです。
男は空間的な知能が発達していますし、女は言語知能が発達しています。
つまりは男女で得手不得手があるのです。
この事実はジェンダー過激派には『偏見』に思えるらしいのです。
しかし、事実を見れば明らかで米国シリコンバレーで成功している億万長者達は論理や数学的知能が高くて殆どが『男』です。
男女の脳に何の差異もないならば、エンジニア、プログラマーなど男女の比率に差は生じないはずですが実際には違いますね。
米国西海岸と言えば最もリベラルな地域であるにもかかわらず、西海岸のテクノロジー企業の採用試験で選ばれるのは男ばかりです。
つまりそれらテクノロジー関係で極めて高知能の領域では男の方が優秀であるからでしょう。
そしてそれらを男女平等なるアホなお題目に沿って人材確保をしていれば、ライバル企業に良い人材を取られてしまい企業間競争に勝てないからです。
そして人種にも偏りがあり、アジア系やインド系人種が最も多いのです。
逆にヒスパニックや黒人は少ない。
男女の脳に差がある等と言うと、人種による能力の差まで掘り起こしてしまいます。
つまりは生物学的差異があると絶対に言えない理由がここにあるのでしょう。
例えば、出自を理由にする様な偏見がまかり通るならば『差別』と呼ぶべきなのかもわかりません。
ところが丸っ切りのデタラメなものもあるわけです。
例えば『イエスキリストを処刑したのはユダヤ人だ』と言ってユダヤ人を忌避することは丸っ切りのデタラメです。
これは日本人も全く意識せず、キリスト教を白人の宗教だと思い込んでいます。
その為にキリストやその使徒達を無意識に白人だと思い込んでいますし、キリスト教の宗教画を見ても丸で白人の様に描いてあります。
しかしキリストは白人ではないでしょう。
そもそもユダヤ人ではないでしょうか。
ならば黒人とまでは言わないまでも有色人種であるのは間違いない。
これが『ユダヤの裏切りでイエスは処刑された』と言う思い込みと優生思想、人種差別へと繋がりナチスのホロコースに繋がったのでしょう。しかしキリストも使徒もユダヤ人です。何故ならキリストはユダヤ教の改革派だったからです。
しかしこの『真偽』を問うて、根本的な間違いを指摘する人を見た事がない。
非科学的で何ら根拠もないデタラメを指摘すればリンチに会うからです。
逆に言えば、科学的だったり歴史的に真偽がハッキリしたものは検証が為されて、その結果として非科学的で曖昧なものだけが残ったからです。
例えば『男は女より暴力的』と言う事を否定する人はいないでしょう。
暴力をどう定義するかはあるものの、まあ反対する人はいないでしょう。
国籍、文化、宗教など違いはあれど、様々な社会で凶悪な殺人犯は圧倒的に男が多い。
暴力事件もそうです。
筋肉量やらテストステロンの量やら理由がありますが、男の方が圧倒的に攻撃性や暴力性は高いのです。
ジェンダー過激派が言う様に『ジェンダーギャップは社会的に構築』されるなら、生物学的な違いや解釈は『差別』です。
そうならば、男女平等が進めば男による殺人や暴力は女並に下がるか、或いは女による凶悪事件は男並に増えると主張しなければなりませんが、ジェンダー過激派やフェミニストからそんな話しは聞いた事がありません。
男の言語能力は左脳に偏り、右脳は論理・数学的な処理に使われ、女は左脳だけでなく右脳も使って言語処理を行っていると言う生物学的事実は既に解明されているのです。
と、言う事は男女の生まれつきの差異は最早『常識』と言う話しです。
結果として『事実の真偽を無視する』と言う事が広く病の如く蔓延しているのです。
これは様々な場面で見て取れます。
例えば、環境保護などの運動。
鯨やイルカの保護。
福島第一原発からの処理水放出についても絶対に放出を許さない!とヒステリックになったりします。
核物質が100%取り除けないからダメだ!とか言ってみたりしますが、全く非論理的で非科学的な主張です。
問題は量や濃度と言うごく当たり前の科学的な常識が理解出来ないからです。
小便にも放射線物質は含まれているのです。
鯨やイルカの保護にヒステリックな人々も同じ事が言えるのです。
我々人類は幸か不幸か、食物連鎖の頂点に君臨しています。
つまりは、我々人類が数の調整をしなければむしろ鯨やイルカは淘汰されてしまうのです。
餌の量、生きていく為の許容範囲には限界があるからです。
しかしこれら常識は言ってはいけない恐ろしい事実なのです。
声高に常識を宣えば、コレら過激派に生活や生命そのものをキャンセルされかねないからです。
コレをキャンセルカルチャーと言います。
対立する相手の行動、活動、仕事、収入、人間関係など様々な日常を妨害し出来なくする(キャンセル)させる行為です。
この手の連中はいわゆる観念論的な連中です。観念論とは情報欠乏から来る勝手な思い込みです。ステレオタイプとも言うのです。
全く自らは調べたり考えたりしません。
認知能力が著しく低い人間です。
しかし、何ら根拠のない自信だけはあるのです。ですから結果として自身が認知能力が無い事を認知出来ません。
よって、間違いを改めたり調べ直したりしませんので永遠に観念論です。
だいたい根拠もない陰謀説にハマったりしてクソ真面目に荒唐無稽な話しを繰り返します。
根拠など考えなくて良いのですから、本人は至って真面目に間違った発言を繰り返します。
また、妙な道徳心に犯されてもいますから手が付けられません。
我々の社会では善はプラス悪はマイナスと言う変な考えが蔓延しています。
善は利他的、悪は利己的。
心理学者のブノワ・モニンと言う人がとある実験をしたのです。
その実験で得た結果は
人は善はプラスされていく、悪はマイナスされていく。
なんだそりゃ?と思いますよね。
わかりやすく言えば、善を行えば道徳の貯金がされていく、悪を行えば貯金が減ると言う考え方です。
これは一つ善が貯金されたら、悪を一つ行ってもプラマイゼロとなるのだと人は考えがちだと言う事です。
この実験でわかった事は道徳の貯金箱は大雑把で、自分が善行をしたと思えば無意識に貯金されていく。人種や性別に関係ない。
道徳の貯金残高を他人が知っているかどうかは関係ない。
相手がどう思うとも、自分が納得するかどうかが問題。
ですから、例えば『きれいごと』を述べただけでも自分が善行だと納得出来れば『道徳貯金』の残高が増えるのです。
これが厄介な道徳の真実です。
またこれが自尊心とも結びつくから厄介です。
自尊心もまた報酬系なのです。
自尊心の残高が下がれば、もうパニックになりその残高を増やそうと必死になります。
例えば、SNS等にトピックを上げます。そのトピックの間違いを誰かに指摘されたら自尊心の残高は著しく下がります。
そうなると、残高を増やす為に必死になります。その様な事が顕著に現れる人はやはり認知能力が著しく低い人間です。
根拠のない自信から持論を展開しますから、間違いを認められません。間違いに気づいたらそれを訂正して改める方がはるかに後の報酬が増えます。
しかし、今残高を減らされた事にしか神経が向かないのです。
するとどうなるかと言えば、残高を増やす為に論理のすり替え、果ては罵詈雑言で相手を攻撃します。時には誹謗中傷。
相手が余りの無知蒙昧ぶりと攻撃に呆れて相手をしなくなると何故か『勝った』と宣言して自尊心の残高を増やします。
これも道徳の残高と同じで、自分が納得出来れば良いので『事実』等気にしません。
それでもまだ残高不足なら、永遠に何日も何ヶ月も繰り返します。
さて、話しを戻しますがジェンダー過激派や環境テロ過激派は全く論理性のない非科学的な事を大真面目に宣います。
この非科学的で非論理的な話しは、彼らには『納得できる綺麗事』なわけです。
これを宣えば宣う程『道徳の残高』は増えて行きます。そうなれば、残高分の悪を行えます。しかし、これは一般的な普通の話し。
実際には、この手の連中がやるキャンセルカルチャーやテロ紛いの行為も『善』なのです。世界的な遺産や美術品にペンキをかける行為、捕鯨船に体当たりする行為。
そして生物学的男女差を『偏見』と言う事。
コレら全て、当人達には『善』であるのです。
幾ら科学的根拠を示したところで、連中には通じません。
自らを『生物ではない』とアホな宣言をするに等しい行為も、そんな真偽はどうでも良いのです。
陰謀説を必死に喋りまくる人も、それを話す事で『私しか知らない』貴重な話しをしていると自尊心の残高は増え、わけのわからないお節介も自分が納得できる『道徳の残高』なのです。
これが我々の社会の残酷な真実です。
これを理解しなければ、各種過激派とは対峙できません。