犬神スケキヨ~さざれ石

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令和たる元号

2019-05-07 19:50:27 | 草莽崛起
さて、御代かわりも終わり新しい令和と言う時代を迎えました。

平成と言う時代を治めて頂いた天皇皇后両陛下におかれては太上天皇陛下・皇太后陛下と御成頂きました。

令和を治めて頂く今上陛下におかれましては、不敬ながら、即位後その御顔付きたるや正に天皇としての御顔付き。

崩御による御譲位ではなかったので、臣民としては誠に正月が来た様な不思議な感覚でした。

この令和の時代、神武天皇即位、大和朝廷建国の理念に立ち還れば『皆が食える国』を原点に我々国民は一人一人研鑽し、今上陛下を全力でお支えし、日本国民を統合された一つの『家族』に纏める努力をせねばなりません。

私見ながら、時代と言うのは75年周期であると考えております。

明治維新から約一時代、我々は敗戦と言う屈辱を味わった。

そこからまた一つ時代が変わり、令和を迎え戦後生まれの天皇陛下を戴く事となりました。

これで、やっと戦争が終わった...

そう言う気分です。

この令和の時代こそが、真に我々日本人の戦後なのではないか?そう思えるのです。

戦争経験者の方々も随分と少なくなり、経済的にも豊かなる時代しか知らない国民ばかりとなっています。

だからこそ、令和という時代は『戦後』なのではないかと思うのです。

敗戦後の一つの時代、そして令和からまた一つの時代を経なければ本来の自主独立した祖国の再建はないであろうと考えます。

つまり150年です。

ひとたび戦に負ければ、真の意味での自主独立には二つの時代を経なければならないと言うことですかね。

ならば、一端戦端を開いたならば決して負けてはならないのです!

戦争に負けたならば、本来の意味での自主独立を再建するのに大変な時間と労力がかかるのです。

そして敗戦後、昭和天皇陛下、太上天皇陛下共に激務でありました。

今般の御譲位に際しても陛下の御公務が余りに酷いと話題になりましたね。
しかし何故こうも激務になるのか?

勿論、あらゆる工作の手が入っている『宮内庁』に問題があるのは事実ですが、根本原因は我々国民にあると考えます。

我々は統合された国民、それは日本人は家族だと言っているのです。
先帝の公務が激務であったのはそこにあるのです。

敗戦後、昭和天皇は日本全国を行幸なさいました。
それは敗戦により、焦土化し、疲弊した日本人の心がバラバラになってしまったからです。
その為に陛下は自ら全国の臣民に語りかける事で心を繋ぎ、また日本人を一つの家族にしようとなさったわけです。

その結果、日本人は家族に戻った。
天皇陛下を中心とし心を一つにする事が出来た。

この焼け野原から見事に復興、復活してやるぞ!

結果はご存知の通りです。
世界有数の経済大国、技術立国となりました。

陛下の全国行幸はそれは大変な激務です。
何故、激務かと言えば日本人の心がバラバラになってしまったからです。

そう考えると先帝陛下の公務が何故激務なのか?
容易に理解でき様と言うものです。

そして何より、天皇と言う御存在無くしては我々日本人は心一つに家族として生きていられないと言う事です。
それでは、規範も秩序も全く保つことが出来なくなってしまいます。

令和


この意味は『令』は美しく清らか『和』はなごみ調和を指します。

何らかの治療が必要なバカ丸出しの、反日ド左翼連中は

『令和の令和は命令の令だ!だから相応しくない!』

とか言ってましたが、その文字が表す意味すらわからないし、今般漢籍や支那の故事からではなく万葉集から採用された意味もわからないのです。

バカとしか言いようがありません。

万葉集や古今和歌集、枕草子や源氏物語。
これらが出来た背景には『古事記』があるのです。

古事記が無ければ、清少納言もこの様なベストセラーを生み出す事はなかったでしょう。

そこでよくよく見てください。

命令


令の意味は先程述べた様に『美しく清らか』。
その美しく清らかなるものの前に『命』を置くのです。

古事記には有名な『国譲り』の一節があります。

地上界を統治するのは天照大御神であり、その為にその地を治める大國主神が国をお譲りすると言う話しです。

『天孫降臨』で知られるアレです。

あれは、そめそもは『天孫降臨』に至るまでに『天子降臨』或いは『天息降臨』だったかもしれないのです。

まず天照大御神は、須佐之男命との誓約(うけい)により生まれた神に『お前が地上を治めなさい』と命じたのです。



天之忍穂耳命(あめのおしほほみみのみこと)です。

言わば天照大御神からすれば息子です。
『我が息子なればあの地上世界を見事に統治できるだろう』と信頼し、だから命じたのです。

しかし天之忍穂耳命は『いや、私はもう若くはありません。だから私の息子に統治させる方が良いでしょう』と進言します。
『ならば、そうしなさい』と。

その息子こそ邇邇芸命(ににきのみこと)であるわけです。


『息子よ、お前が行って治めてこい』

邇邇芸命は天照大御神からすれば孫。
つまり天孫です。
だから『天孫降臨』と言う訳です。

邇邇芸命にしてみれば、最高神天照大御神からの命令を父から命じられた。
自分が失敗すれば、父が責任を取らねばならない。
だから失敗など出来ない。

父にしてみれば、息子を信じ命令したのです。
万が一にも失敗したなら、その責任を一身に受ける覚悟です。

また、天之忍穂耳命に命令した天照大御神も、この神なら必ずや出来ると信じ命令した。
その信頼した神が、我が息子に統治させると言うからには、その天孫の失敗は我が身の責任と言う事です。

つまり『命令』とは、下す方も受ける方も、全幅の信頼と、その責任、そして必ずや達成すると言う気概。
お互いが信頼し
美しく清らかにお互いに命を渡す
と、言う事なのではないかと思います。

この元号と古事記、万葉集と古事記の繋がりこそが新しい時代を感じることが出来るのです。

新しい『令和』の時代をどう作って行くのか?

足元、我々日本人の根っこは何なのか?

見つめ直さねばなりません。

日本国民が、統合された一つの家族として実りある国を作る。
本当の意味での自主独立を再建した時こそ、天皇陛下の激務は終わるのではないでしょうか?