今回のオバマ大統領広島訪問には紆余曲折ありました。
まず「謝罪」はしない。
被曝者には合わない。
こんな条件がアメリカ側からあった。
しかし、ケリー国務長官の訪問で米国はアドバルーンを上げて国民の反応を見たのです。
すると、アメリカ国内に反発があまりなかった。
オバマ大統領の思い
日本の報道は、まるで米国側の意のみで今回の広島訪問が決まったかの様に報道しています。
しかし、事実は違う。当たり前です。
もちろん、安倍晋三首相の水面下での交渉があり、オバマ大統領の思いがあり実現したのです。
そもそも、オバマ大統領が学生時代に「核廃絶」について学生新聞に寄稿していることを考えれば、或いはこの訪問への道筋は当然のこと、いや必然であったのかもしれません。
現に鳩山政権下で広島訪問を日本側へ打診しているからです。
それをアホの鳩山由紀夫は「まだ早い」と蹴ったのです。
それは誤解を恐れず申すならば、チェコプラハでの「核無き世界」という演説でノーベル平和賞を受賞してしまったオバマ大統領の政治的思惑があったのは事実です。
そして、今回の訪問も、その様な思惑は事実としてあります。
任期終盤に自らの花道を飾る。
この意図はあります。
しかし、アホの民進党小西某などは今般の広島訪問を批判していますが、ならばその民進党、前民主党の党首で首相だった人間のクズ鳩山由紀夫は断わったではないか!
わざわざ米国側からの打診であったのに。
それを断わった。
一体何の批判をしようと言うのでしょうか?
日本側もアメリカ側もギリギリの折衝を重ねた。
しかし、アメリカ側の返答は相変わらずで謝罪や被曝者面会はしないと。
本当に来日直前までギリギリの折衝をしていました。
それが突然です。
米国のインタビューで大統領副補佐官であるベンジャミン・ローズ氏は原爆投下の必要性は変えない姿勢ながらも「多大な代償があった」と言いだした。
さらに「大統領が個人的に述べることはあり得る」と言いだしました。
これは大変な話しです。
このベンジャミン・ローズ氏は大統領のスピーチライターでもあるのです。
その人物の発言は「謝罪はないが多大な代償についての責任を述べるかも…」と、これまた米国民へのアドバルーンを上げたのです。
つまり、これはチェコプラハでの演説の中身「道義的責任」を盛り込むと言うことで、これを広島で述べることは実質的に謝罪だと取られてしまうかもしれない、しかしそこに踏み込むと言うことです。
改めて申しますが、私自身は「謝罪無き訪問」には反対の立場をとっていました。
しかしこのベンジャミン・ローズ氏の発言で、米国はギリギリの妥協点を打ち出したのだな、そう考えました。
日米双方が具体的な謝罪などは盛り込まないが、ギリギリの妥協点、ギリギリの一致点を見つけたのだと受け止めました。
これは私が前記事に示した「仲直り」と言う日本人の文化だと思いました。
ロジカルにぶつかり合うより、一致点を見出し「和解」をする。
対立をするより遥かに難しく、遥かにお互いの利益になる。
この日本精神が、この難題を解決するのだと捉えました。
参考世界基準は我が祖国
私の今般のオバマ大統領広島訪問の懸念は
一、プラハでの演説によりノーベル平和賞を受賞した、その最後の仕上げとしての引退の花道に利用されるのではないか?
一、「核無き世界」はありえない。それを広島で述べるならば、それは嘘であるから被曝者の苦しみをさらに増すのではないか?
この二点が特に懸念でありました。
どちらの懸念も払拭することはありません。
何故ならば、どちらも事実だからです。
ノーベル平和賞を受賞し引退の花道に、大統領としての仕上げとしての広島訪問。
これも事実です。
広島を花道に利用することになります。
また、核無き世界もありえません。
真実は「核少なき世界」であって、核無き世界ではありません。
核と言うのは維持費がべらぼうに掛かります。
だから、管理出来る数にまで減らし実質的に「使える核」にすることが「核無き世界」の真実です。
これは恐ろしい話しです。
実際に必要な核だけを保有する、つまり使わない兵器ではなく「使うかもしれない兵器」になってしまいます。
核廃絶の逆を行く事になります。
そうやって数を減らして、使うかもしれない兵器となれば、数発しか持たない劣悪な核の価値を上げることに繋がるのです。
つまり、北朝鮮の粗悪品の価値を上げてしまうことになります。
それでも我々日本は、その核の傘に守られているのです。
このジレンマを抱えてのオバマ大統領訪問、そして演説。
どれほどの意味と成果があるのか?
私は疑問を持っていました。
案ずるより産むが易し
この様な言葉がありますが、今回はある意味そうではなかったかと感じます。
この被曝者の笑顔
抱き合う姿
被曝者の方々が、これで長きに渡る苦しみから少しは解放され、癒されたのだと受け止めました。
左
さて左に曲がった連中はと言うと。
早速難癖をつけています。
「具体的な政策がない」
「安倍晋三の選挙対策」
「資料館への訪問時間が短い」等々。
具体的な策がないとか、先に述べたアホの小西某も言っていますが…
この場所は慰霊をする場所であって、その為の演説を行なったのです。
何かを宣言したりすることも重要ではあるでしょうが、今回は違います。
あくまで慰霊が目的で、被曝者との面会、更に先の大戦の「和解」への一歩です。
また、選挙対策だとの批判もありますが、選挙対策だとして一体何の問題があるのですか?
我々日本人とて、政権終盤のオバマ大統領の花道に利用された側面は間違いなくあります。
それで何か問題があるのですか?
私は政治利用されることに懸念を抱いてきたし、そう発言して来ました。
しかし、被曝者の方々が「これで癒された」と仰るのですから、それが全てです。
利害が絡むのが外交で、そのギリギリの擦り合わせをやって一つの成果を出すのが外交での当たり前の事です。
また、我が国の「国柄」は一致点を見いだすことにあるのです。
日米双方は「謝罪無き和解」を模索して、今回その成果を得た。
これがこの広島訪問の事情でしょう。
具体的に今現在、出来ることをやった
元広島市長などは「謝罪と賠償」を求めろ!と発言しています。
そんなものは日本精神に反します。
支那朝鮮人じゃあるまいし。
我々は日本人です。
日本精神は金など求めません。
我々が求めるのは「未来」です。
被曝者の方がオバマ大統領に仰った言葉。
「あんたノーベル平和賞を取ったんだから、遊んどったらイカンよ」
この言葉に込められているでしょう。
Toward the alliance of hope3へ続く
まず「謝罪」はしない。
被曝者には合わない。
こんな条件がアメリカ側からあった。
しかし、ケリー国務長官の訪問で米国はアドバルーンを上げて国民の反応を見たのです。
すると、アメリカ国内に反発があまりなかった。
オバマ大統領の思い
日本の報道は、まるで米国側の意のみで今回の広島訪問が決まったかの様に報道しています。
しかし、事実は違う。当たり前です。
もちろん、安倍晋三首相の水面下での交渉があり、オバマ大統領の思いがあり実現したのです。
そもそも、オバマ大統領が学生時代に「核廃絶」について学生新聞に寄稿していることを考えれば、或いはこの訪問への道筋は当然のこと、いや必然であったのかもしれません。
現に鳩山政権下で広島訪問を日本側へ打診しているからです。
それをアホの鳩山由紀夫は「まだ早い」と蹴ったのです。
それは誤解を恐れず申すならば、チェコプラハでの「核無き世界」という演説でノーベル平和賞を受賞してしまったオバマ大統領の政治的思惑があったのは事実です。
そして、今回の訪問も、その様な思惑は事実としてあります。
任期終盤に自らの花道を飾る。
この意図はあります。
しかし、アホの民進党小西某などは今般の広島訪問を批判していますが、ならばその民進党、前民主党の党首で首相だった人間のクズ鳩山由紀夫は断わったではないか!
わざわざ米国側からの打診であったのに。
それを断わった。
一体何の批判をしようと言うのでしょうか?
日本側もアメリカ側もギリギリの折衝を重ねた。
しかし、アメリカ側の返答は相変わらずで謝罪や被曝者面会はしないと。
本当に来日直前までギリギリの折衝をしていました。
それが突然です。
米国のインタビューで大統領副補佐官であるベンジャミン・ローズ氏は原爆投下の必要性は変えない姿勢ながらも「多大な代償があった」と言いだした。
さらに「大統領が個人的に述べることはあり得る」と言いだしました。
これは大変な話しです。
このベンジャミン・ローズ氏は大統領のスピーチライターでもあるのです。
その人物の発言は「謝罪はないが多大な代償についての責任を述べるかも…」と、これまた米国民へのアドバルーンを上げたのです。
つまり、これはチェコプラハでの演説の中身「道義的責任」を盛り込むと言うことで、これを広島で述べることは実質的に謝罪だと取られてしまうかもしれない、しかしそこに踏み込むと言うことです。
改めて申しますが、私自身は「謝罪無き訪問」には反対の立場をとっていました。
しかしこのベンジャミン・ローズ氏の発言で、米国はギリギリの妥協点を打ち出したのだな、そう考えました。
日米双方が具体的な謝罪などは盛り込まないが、ギリギリの妥協点、ギリギリの一致点を見つけたのだと受け止めました。
これは私が前記事に示した「仲直り」と言う日本人の文化だと思いました。
ロジカルにぶつかり合うより、一致点を見出し「和解」をする。
対立をするより遥かに難しく、遥かにお互いの利益になる。
この日本精神が、この難題を解決するのだと捉えました。
参考世界基準は我が祖国
私の今般のオバマ大統領広島訪問の懸念は
一、プラハでの演説によりノーベル平和賞を受賞した、その最後の仕上げとしての引退の花道に利用されるのではないか?
一、「核無き世界」はありえない。それを広島で述べるならば、それは嘘であるから被曝者の苦しみをさらに増すのではないか?
この二点が特に懸念でありました。
どちらの懸念も払拭することはありません。
何故ならば、どちらも事実だからです。
ノーベル平和賞を受賞し引退の花道に、大統領としての仕上げとしての広島訪問。
これも事実です。
広島を花道に利用することになります。
また、核無き世界もありえません。
真実は「核少なき世界」であって、核無き世界ではありません。
核と言うのは維持費がべらぼうに掛かります。
だから、管理出来る数にまで減らし実質的に「使える核」にすることが「核無き世界」の真実です。
これは恐ろしい話しです。
実際に必要な核だけを保有する、つまり使わない兵器ではなく「使うかもしれない兵器」になってしまいます。
核廃絶の逆を行く事になります。
そうやって数を減らして、使うかもしれない兵器となれば、数発しか持たない劣悪な核の価値を上げることに繋がるのです。
つまり、北朝鮮の粗悪品の価値を上げてしまうことになります。
それでも我々日本は、その核の傘に守られているのです。
このジレンマを抱えてのオバマ大統領訪問、そして演説。
どれほどの意味と成果があるのか?
私は疑問を持っていました。
案ずるより産むが易し
この様な言葉がありますが、今回はある意味そうではなかったかと感じます。
この被曝者の笑顔
抱き合う姿
被曝者の方々が、これで長きに渡る苦しみから少しは解放され、癒されたのだと受け止めました。
左
さて左に曲がった連中はと言うと。
早速難癖をつけています。
「具体的な政策がない」
「安倍晋三の選挙対策」
「資料館への訪問時間が短い」等々。
具体的な策がないとか、先に述べたアホの小西某も言っていますが…
この場所は慰霊をする場所であって、その為の演説を行なったのです。
何かを宣言したりすることも重要ではあるでしょうが、今回は違います。
あくまで慰霊が目的で、被曝者との面会、更に先の大戦の「和解」への一歩です。
また、選挙対策だとの批判もありますが、選挙対策だとして一体何の問題があるのですか?
我々日本人とて、政権終盤のオバマ大統領の花道に利用された側面は間違いなくあります。
それで何か問題があるのですか?
私は政治利用されることに懸念を抱いてきたし、そう発言して来ました。
しかし、被曝者の方々が「これで癒された」と仰るのですから、それが全てです。
利害が絡むのが外交で、そのギリギリの擦り合わせをやって一つの成果を出すのが外交での当たり前の事です。
また、我が国の「国柄」は一致点を見いだすことにあるのです。
日米双方は「謝罪無き和解」を模索して、今回その成果を得た。
これがこの広島訪問の事情でしょう。
具体的に今現在、出来ることをやった
元広島市長などは「謝罪と賠償」を求めろ!と発言しています。
そんなものは日本精神に反します。
支那朝鮮人じゃあるまいし。
我々は日本人です。
日本精神は金など求めません。
我々が求めるのは「未来」です。
被曝者の方がオバマ大統領に仰った言葉。
「あんたノーベル平和賞を取ったんだから、遊んどったらイカンよ」
この言葉に込められているでしょう。
Toward the alliance of hope3へ続く