ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

写真と地図でたどるパリ歴史散歩

2023-08-06 20:22:03 | パリの思い出

 

写真と地図でたどる

パリ歴史散歩

古さと新しさが交錯する街パリを発見する18の旅

PARIS PROMENADES

dans le centre historique

パスカル・ヴァレジカ 著

蔵持不三也 訳

ミュリエル・モンティニ 写真

 

パリ中心部、アンシャン・レジーム(旧体制)末期、いわゆる徴税総請負人の市壁内部の18通りの散策コースを紹介しています。

内容は高度でパリ上級者向けですが、写真が多いので、眺めているだけでも楽しめます。

あと各コースの小腹がすいた時の食事場所も紹介しています。

それにしても、様々な隠れた歴史が現代の街並みに残っているのには、さすがパリの街と感心させられます。

 

フォブール・サン=マルセル地区

当初は「死者たちの地」だった

 

フォブール・サン=ジャック地区からフォブール・サン=ヴィクトル地区へ

中世都市の古い東南端

ジャン=バティスト・カルボーの「世界の4地域の泉」

 

サン=メダール界隈から「大学」地区へ

中世的なセーヌ左岸の中心街

フワール通り

フワール(fouarre)とは、古フランス語で「麦藁」(feurre)、つまり学生たちが野外での講義を受講する際に履いた藁沓(わらぐつ)を意味する。

ダンテはその『神曲』の「天国編」でそれについて触れている。p51

 

サン=タンドレ=デ=ザール地区からサン=シュルピス地区へ

旧修道院領の緩やかな変貌

 

高貴なフォブール・サン=ジェルマン地区

18世紀の「トレンディな」界隈

ロダン美術館

 

「外国宣教会地区」

田舎風かつ文学的で、きわだってカトリック的な界隈

 

グロ=カイユ界隈

17世紀に生まれた村の存続

ジャン・ニコ(1530-1600)フランスにたばこを招来したとされる人物。ニコチンの語源

 

モンソー公園周辺

田舎の町の一部

 

旧ヴィル=レヴェック地区

司教の農場から栄光の聖堂まで

メトロ・マドレーヌ駅の2011年に閉鎖されたアール・ヌーヴォー調の見事な公衆トイレ

 

フォブール・ド・ラ・ヌーヴェル=フランス地区

失われた植民地とシュルレアリスム

 

フォブール・サン=マルタン地区

静かな運河の洪水とペスト禍

 

パレ=ロワイヤル地区からラ・ブールス地区へ

小路を通る時間の旅

レチフ・ド・ラ・ブルトンヌが『ムッシュー・ニコラ』でパレ=ロワイヤルの魅惑について多くを語っている。p183

パレ=ロワイヤル庭園

夏冬を問わず静かで快適な場所で、素晴らしい光が差し込んでくる。p187

 

サンティエ地区とボン=ヌーヴェル丘

長きにわたるパリの周縁

 

サン=ジャックの塔からサン=マルタン界隈

イシス、錬金術師たち、シュルレアリストたち

イシスはエジプト神話の豊穣の女神

 

ロンバール(ロンバルディア)通りの呼称は、イタリア出身の商人や銀行家、両替商たちが中世にここに集団で住み着いたことに由来する。p217

 

モンソー・サン=ジェルヴェ地区とサン=ポール界隈

セーヌ右岸の原点へ

 

フォブール・サン=タントワヌ地区

大修道院から職人へ

 

ポパンクール地区

「ヴィル・ヌーヴ・ダングレーム」

バタクラン劇場

 

ルイイ周辺

ダゴベール、ラ・ファイエット、植民地博覧会

 

 

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パリとセーヌ川 中公新書

2023-02-23 09:01:17 | パリの思い出

 

パリとセーヌ川
小倉孝誠 著
中公新書 1947
2008年5月25日発行

本書はパリを中心としながらも、その上流と下流にも目を配りつつ、セーヌ川を舞台に繰り広げられられた生活、習俗、文化を歴史的に跡づけ、ジャーナリスティックな言説、文学、絵画、版画などがセーヌ川をめぐってどのような表象を提示してきたかを探ろうとしています。p7

プロローグ
フランスには大河(フランス語で「フルーヴ」[fleuve])が五つある。セーヌ川、ロワール川、ローヌ川、ガロンヌ川、そしてライン川である。p4

フランス史の領域では、1789年のフランス革命勃発から1914年の第一次世界大戦までの120年余りを、巨視的に19世紀と捉える見方が一般的である。p9

 

近代パリを論じ、語った言説の範疇
・ジャーナリスティックな文章
この種の著作では、タイトルの中に「タブロー」(tableau)という語を含む例が多い。タブローとは絵、情景、光景といった意味
・当時「社会観察者」と呼ばれた人々によって書かれた調査記録
マクシム・デュ・カンの『パリ、その構造と機能と生活』がその代表作
・観光ガイドブック「ギード」[guide]と旅行記、すなわち旅行者のために、旅行者の視点で綴られた言説
・文学作品
・絵画、版画、写真など視覚的にパリを表現した芸術

なせパリは語られたか
・当時のパリが急速に変貌していた。首都が変わるからこそ首都について語らなければならない。
・19世紀においてパリがさまざまな価値の温床と見なされるようになった。

 

第1章 川を通過する
パリは19世紀にいたるまでフランス最大の港の一つだった。
かつては河川と運河により、水上交通が陸上交通よりもはるかに効率的だった。

日本の河川はヨーロッパの河川と比べて、細く急峻なだけでなく、川の最小流量に対する最大流量の比率「河況係数」が際立って高い。交通・運輸には適していない。p19 

可動堰の発明は、パリ市内のセーヌ川の航行を安定化したという意味で決定的だった。川の流量に関係なく水位を上げて一定の高さに保ち、恒常的な水深を確保できたので、かなり大型の船舶でも季節を問わず市内に乗り入れ可能になった。p24

セーヌ川の航行を整備、拡大し、最終的にはパリを大規模な海港と較べてても遜色ない港にすること、それは決して根拠のないユートピアではなかった。
「パリ、海港」という神話的構想は、長い間にわたってフランス人の脳裏に宿ってきた。

中世から近代にいたるまでパリのセーヌ川に架かる橋は少なく(18世紀末で九つ)人々はしばしば渡し船で両岸を往復した。p32

 

1830年代から40年代にかけてがセーヌ川の蒸気船の黄金時代だった。p40
1837年、パリ市内から、西郊サン=ジェルマン=アン=レーまで鉄道が開通した。旅行客はそこまで汽車で行き、近郊の村ル・ペックの桟橋から蒸気船に乗船することになっていた。
当時は蒸気船と鉄道が共存した平和な時代だった。p47

 

第2章 運河に生きる
イベリア半島を除いたヨーロッパ大陸は河川を運河化し、河川どうしを結ぶ運河を作ってきた。

児童文学の古典とされるエクトール・マロの『家なき子』(1878年)
ミリガン親子は大西洋から遠くない河口内港ボルドーを出発してガロンヌ川を遡り、トゥールーズ近郊でミディ運河に入った。そして地中海に出てからローヌ川に入り、リヨンまで北上してソーヌ川へと移り、再び運河を使ってロワール川、さらにはセーヌ川へと船旅を続ける。そしてセーヌ川の河口ルーアンに出て、イギリス海峡に抜ける。p64

首都パリも運河と縁の深い都市である。セーヌ川それ自体が運河化されただけではない。セーヌ川と他の川を、そしてセーヌ川の上流と下流を結ぶために、サン=マルタン運河、ウルク運河、サン=ドニ運河が設けられた。

 

第3章 川を楽しむ
セーヌ川を利用した王政期の祝祭、共和制時代の祭典、そして万国博覧会はいずれも中央政府が先導した国家的プロジェクトであった。
一方セーヌ川を舞台にした市民が誰でも実行できる活動、レジャーとして、釣り、水浴、船遊びがあげられる。

鉄道の開通と発展により、パリ西郊のセーヌ川沿いの町村は人気の高い行楽地になっていった。水辺がリゾート化した。
アルジャントゥイユ、シャトゥー、ブジヴァルなど、西部鉄道の沿線に位置する町。p121

 

第4章 川を描く
アルジャントゥイユ、シャトゥー、ブジヴァルは町自体に格別豊かな文化資源が残されているわけではない。
それにもかかわらずこれらの町の名が現代人に何がしらの郷愁を覚えさせるのは、モネやルノワールやシスレーが描き、モーパッサンが数多くの短編小説の舞台にしたからに他ならない。

印象派の誕生と発展がセーヌ川の情景を表象することと密接に繋がっていたことは、あらためて指摘するまでもないだろう。光と水と大気を表現しようとした印象派は、セーヌ川を必要としたのである。p148

第5章 川に死す

 

第6章 橋を架ける
2008年現在、パリのセーヌ川に架かる橋は全部で37。
しかし18世紀末の時点においてパリのセーヌ川に架かる橋の数は現在に較べてはるかに少なく、その多くは中心部に集中していた。p204

橋の三種のカテゴリー
・セーヌ川の中洲と両岸を南北に繋ぎ、いわば首都の主要な縦軸を形成していた橋
・都市交通のためというより、特定の用途にだけ当てられていた橋
・16世紀から18世紀の王政時代に建造された大規模な橋
首都の交通量を分散させるため、パリ市の予算ではなく王室の予算で造られた。

 

18世紀までのパリは中心部の橋の上には、住居兼店舗が軒を連ねていた。
しかし18世紀末、都市景観への好奇心が浸透し始めたと共に、大気や水が循環することが人体の健康と都市の衛生にとって有益であるという「大気循環論」が広く流布し、受け入れられるようになった。そうなれば、橋の上の建物は審美的にも衛生学的にも好ましからざる邪魔物にすぎなくなった。

 

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闇夜に浮かぶパリの凱旋門

2022-11-05 07:29:23 | パリの思い出

 

夜の闇に浮かぶパリの凱旋門です。
凱旋門というだけあって、ナポレオンがフランス軍の栄光を讃えるために1806年建築を依頼したそうですが、完成は1836年になってしまい、ナポレオンは既にこの世におらず、1840年葬儀時にご遺体が凱旋門をくぐったそうです。
この中央には無名戦士の墓があります。
フランス各地には、第一次、第二次大戦の戦没者慰霊碑が有りますが、凱旋門もフランス全体の、またパリという一都市における慰霊碑の役割を果たしているのでしょう。
昼間の堂々とした姿ではなく、闇夜にひっそりと浮かび上がる姿を見ると、ますますそういった一面を実感します。
画像だと街灯が、あたかも凱旋門に更なる光のめぐみを与えているかのように見えました。

 

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エコール・ミリテールとエッフェル塔のツーショット

2022-10-29 07:20:32 | パリの思い出

 

画像はエコール・ミリテール(陸軍士官学校)とおなじみのエッフェル塔です。
横に伸びるエコール・ミリテールと縦にそびえるエッフェル塔、という感じですね。
パリ在住時代はメトロ8号線をよく利用したので、モグラのようにこの辺りの地中を駆けずり回っていました。
ブシコーから、フェリクス・フォール、コメルス、ラ・モト=ピケ=グルネル、そしてこのエコール・ミリテールを通り、ラ・トゥール=モブール、アンヴァリッド、そしてコンコルドで1号線に乗り換えます。
時にはモグラも地上に出て、この辺りの通りをわざわざ歩いていたのも、いい思い出です。
パリのメトロの駅名の由来を述べた「パリのメトロ歴史物語」(原書房)より、エコール・ミリテールに関する箇所を抜き書きします。

 

このエコール・ミリテールは、ルイ15世時代の1752年から60年にかけて、建築家のアンジュ=ジャック・ガブリエルにより士官学校として建てられました。 
その後まず小麦と小麦粉倉庫となり、革命曆2年(1793-1794)に騎兵隊の兵舎に変えられました。そこには執政護衛隊が、後には国王親衛隊が入ります。
ここを兵舎としたナポレオン親衛隊は貴族に叙任され、それにより兵舎はエリート軍人のものとなります。
第2帝政時(1852-1870)にも、ここに騎兵や砲兵たちを住まわせました。 
しかし第3共和政(1870-1940)でここを軍事教育のための学校に戻しました。
そして現在では国立高等軍事学校となっています。

 

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アンヴァリッドの金箔ドーム

2022-10-15 08:06:51 | パリの思い出

 

画像はパリのアンヴァリッドのドーム聖堂です。
西側のルイ・コデ通りから撮ったものと思われます。
グーグルマップで一生懸命見比べてみたのですが、なにぶん二十年ほど前の写真で、並木などかなり違っていたので、確証は持てませんが。
まあでもその並木の暗がりのおかげで金箔のドームが引き立っています。
このドーム聖堂の建設は1677年から始まりました。
設計および指揮は、ヴェルサイユ宮殿も手掛けたジュール・アルドゥアン・マンサールによります。
その時はルイ14世が王家の礼拝堂として建造させていました。
しかし1840年に皇帝派と王家の和解の印として、ナポレオンの遺体はセント・ヘレナ島から帰還し、21年後の1861年に、その柩がドーム真下の地下霊廟に安置されました。
ドームの金箔装飾はまず1706年に行われました。
その後1815年、1853年、1867年、1934年に補修されました。そして5回目の、現時点では最後の補修が革命二百年後の1989年に行われ、12キロの金が使用されたそうです。
ドームの高さは107メートルです。その高さとキンキラキンのおかげで、パリのランドマークとして目立っています。
最後にアンヴァリッドについて書く時にはいつも触れているのですが、日本語訳の「廃兵院」というのはやはり失礼だと思います。
現地でもらった日本語パンフでもそう書いてしまっているのですが、「傷痍軍人院」とかいう訳の方がふさわしいかと思われます。

(現地の日本語パンフおよび週刊ユネスコ世界遺産第4号パリのセーヌ河岸1、そしてFrench momentのHPを参考にしました)

 

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