ヨーロッパ近現代の200年
くらべて楽しむ地図帳
関眞興 編著
山川出版社 発行
2023年8月30日 第1版第1刷発行
この本では
・ウイーン体制が成立した1815年
・第一次世界大戦が始まる1914年
・第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の1919~39年
・第二次世界大戦後の東西冷戦が本格化していく1950年
・ソ連崩壊により冷戦が終結した後の1993年
・現在
の6つの時代の地図が示されています。
ヨーロッパ近現代史を理解するために、ヨーロッパが近代へ移行する契機の一つといえるウイーン会議後、すなわち1815年を始点としています。
フランス絶対王政を代表するルイ14世は自身が行う戦争の目的を「自然国境論」という言葉で正当化した。
これは国境は山や川で決めるとしたものである。p24
イタリア中部にあるサンマリノ共和国は世界最古の共和国として知られる。
4世紀初めのローマ帝国でディオクレティアヌスが行ったキリスト教徒の大迫害を逃れた人々によって建設されたという伝説が残る。
17世紀の中頃、ローマ教皇がサンマリノの共和政を承認した。
イタリアに侵入したナポレオンに、アドリア海まで領土を拡大する提案を受けたというが、国際紛争に巻き込まれることを嫌って断った。
ウイーン会議で独立が再確認された。
イタリア統一戦争ではサルディーニャに義勇軍を派遣したが、新生イタリア王国に編入することはなく独立を維持し、イタリア王国もそれを認めた。
イタリアには外交、国防などで大きく依存している。
国土は61平方キロメートルと、世界で5番目の小国家であり、資源に乏しく、地政学的な重要性もないため独立が保たれている。p43
第一次世界大戦に敗れたとはいえ、ドイツはなおバルト海沿岸に領土を維持していた。このためポーランドは内陸国家になるのだが、経済発展のためには海への出口が不可欠である。
このためバルト海に面したダンツィヒ(ポーランド語ではグダンスク)をドイツの支配から離れた「自由市」とし、その港の自由使用権を求めた。
しかしそこに至る通路が必要である。
このためドイツ本土と東プロイセンの間の土地を「ポーランド回廊」としてポーランドに割譲した。
ドイツ人の不満が大きいものであったのはいうまでもなく、第二次世界大戦の大きな原因をつくっていく。
リトアニアのバルト海沿岸にメーメル(クライペグ)がある。
ここも第一次世界大戦後には国際連盟の管理下に置かれた。
この地域を管理したのはフランスであったが、1923年、リトアニアは軍隊を派遣してこの地域を併合してリトアニア領とし、国際連盟はそれを承認した。
(池内紀さんの「消えた国 追われた人々 東プロシアの旅」では日本の軍事行政官も行ったはずだと書いてあったが、どこまで日本とかかわりがあったのだろうか?)