ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ボジョレヌーヴォ解禁の日(パリ・マルシェサントノーレ)

2005-11-16 23:20:12 | パリの思い出
パリにいた時、ボジョレ・ヌーヴォ解禁日の夜、ビストロに出かけた。
場所は、Le Rubisという店である。ブランドストリートとして有名なフォーブル・サントノーレ通りから一本路地に入ったところにある。
その店の前で待ち合わせになったのだが、来てみて驚いた。もうすでに人でごったがえしているのである。
店からワインのビンと透明のプラスチックのコップを持って出てくる人がいて、そこら辺で飲んでいるのだ。
しばらくして、待ち人が、人ごみを掻き分けるようにやってきた。その人たちにとっても想定外のことだったらしく、「やあやあやあ、会えてよかった」という感じだった。

狭い店の中に入り、何とか注文する。
最初は立ち飲みだったが、席が空いたのでそちらに移動できた。あらためてカンパーイである。
しばらくいた後、さらに店が混んできたので、ワインのビンとコップを持って外に出る。
たまたま近くにいたアイルランド人の夫婦と話が弾む。ちょうど前回のワールドカップ予選で、アイルランドが出場決定した直後だったので、たいそうご機嫌だった。
みんなで記念写真を撮る。そのときは気づかなかったのだが、あとで写真を見ると、うれしそうにキスしやがっていた。

店の前を離れ、マルシェ・サントノーレのあたりを日本人だけでうろつく。
連れの人は、機嫌よく酔っ払っていた。
その人は途中、店先でボジョレを売っている所があったので、さらに買い込む。
多量のビンを持って近くで夕食をとる。
食事が終わったあと、さらに酔っ払ってしまった。
ワインのビンが重くなってしまったようだ。何本か持って帰ってあげた。
翌日会った時に、昨日の分です、と渡したが、えっそうなのと言っていた。
酔っ払って覚えていなかったようだ。
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オペラ・バスティーユ初体験

2005-11-12 00:16:18 | パリの思い出
同僚からオペラのチケットがあるので買わないかと言われた。
オペラは全くの門外漢なのだが、「これも人生経験だ」と思い行くことにする。
場所はかのオペラバスティーユである。
題名は“La Dame de pique”。日本語題だと「スペードの女王」になるらしい。
インターネットであらすじを調べて予習する。ふむふむ、なるほど。
18世紀末のぺテルブルグが舞台らしい。

舞台は夜の7時半からである。
チケット代が高かった分、いい席だったが、自分にとってはあまり意味が無い。
「猫に小判」「豚に真珠」という言葉が頭の中を駆け巡る。
ステージ開演。
太った男が、粗末なベッドの上や周りでのた打ち回る。
先般亡くなられた、プロレスラーの橋本真也選手を思い出す。
どうやら、彼は主人公のヘルマンで、伯爵令嬢リーザに恋したが、すでに彼女は婚約者がいたことを知り、絶望の気持ちを表しているらしい。
それにしてもベッドや服装が粗末だ。
昔の貴族の、豪華絢爛な舞台を期待していたのだが、少し違うようだ。
病院内部のような舞台にしているらしい。他の場面では、背景で多くの病人たちが怪しい動きをしていたりしていた。
オペラ界のことは全く分からないが、オペラを見慣れた人のために、現代風な解釈でアレンジしているように思われる。
第一幕では、伯爵夫人がジャーンといった感じで現れて終わった。

舞台の上部では、電光掲示板でフランス語訳が現れる。それをちらちら見ながらなんとか理解しようとしたが、首が少し痛くなった。
第二幕では、いよいよ賭博場でのクライマックスシーンである。
カードを引くたびに、ジャジャジャーンという感じで盛り上がる。
結局、主人公は、カードに負けてしまい自殺してしまった。

舞台が終わり、出演者が出てきて挨拶をする。
リーザ役の、若い女性のところでひときわ大きい拍手がおこっていた。

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ブリュージュのアヤシイ二人組

2005-11-09 23:18:24 | ヨーロッパ旅行記
昼も過ぎ、おなかも減ってきたので、食事のできるところを探す。
聖母教会の近くに小さなレストランがあったので入る。
Gruuthuse Hofというところだ。
1955年開業のレストランだ。
ここの窓際の席で、通りの人を見ながら、ポークソテーを食べる。そしてやっぱりビールを飲む。

食事をすまし、ベギン会修道院の前を通り、愛の湖公園の枯葉を踏みしめ散策する。
小さな湖には、水鳥がのんびり漂っている。
てくてく歩いていると、二人連れの若い男に声をかけられた。
写真と撮ってくれというのだ。
こういうのは、大概怪しい。すきを見て、財布を取られるかもしれない。
適当なことを言って、逃げればよかったのだが、結局撮ってあげることになってしまった。
リュックサックを前に抱きかかえ、財布の位置を確認し、後ろと両隣をよく確認する。誰もいないようだ。
写真を撮る。カメラを返す。サンキューと言われる。
特に何も実害は無かった。
今考えても、9割方危なかったと思う。本当に無事でよかった。
意外に、彼らはただの観光客で、貴重な記念写真になっていたりして・・・。

そうこうしている内に、帰りの時間が来た。
冬のフランドルを離れ、冬のパリに戻る。

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中世の街を守る門と鐘楼(ブリュージュ)

2005-11-06 23:19:08 | ヨーロッパ旅行記
ダムの広場に戻る。
観光案内所もあるということだが、この時は開いていなかった。
しかし広場近くのお土産屋は開いていたので、中に入る。
ここでダムの絵葉書を買う。
牧場と聖母教会が写ったものが一枚、そして風車をモチーフにしたものを買う。

ダムを離れ、ブルージュに戻る。
再び運河沿いの道を行く。運河と並木が相変らずきれいだ。
途中の田園ものんびりしていて楽しい。
牧草地に白い馬と黒い馬が一緒にいた。その対称がおもしろく、写真に撮っておく。

カリヨンの音が聞こえてくる。冬の朝の郊外まで響く。
まだブルージュには遠いはずだが、その音だけはよく聞こえた。
しばらくして鐘楼も見えてきた。

ブルージュの街の入り口に着く。
街中には入らず、周囲の運河沿いに時計回りにまわってみる。
公園のところに、風車を発見する。こんなところにもあったんだ。
さらに「十字の門」「ゲントの門」「鍛冶屋の門」の前を通る。どれももしっかりした門である。
都市国家として、外敵から街を守るため、こんな頑丈な門を作ったのだ。街の存亡がかかっていたともいってよい。
今は謎の東洋人の男が通っても何も言われない。自転車で左側通行でもしない限り・・。

街の中心部に戻り、自転車を返す。
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フランドルの冬の大地

2005-11-05 23:18:51 | ヨーロッパ旅行記
自転車に乗り、ダムの村を、離れていく。
広い平原と並木が見える。こんな風景でも、全然飽きない。
少し村から離れたところで振り返ってみる。
静かな小川と、ゆるやかな曲線を描く牧草地。
そこには羊がのんびりと草をついばんでいる。
牧草地が、少しこんもりしているため、向こうの聖母教会の搭と市庁舎の上部だけが見える。

ゆるやかに曲がった道を進んでいく。
一応、小さな標示があったので、それを目安に進んでいく。
集落らしい集落は無く、ぽつんぽつんと人家があるのみだ。

かなり進み、並木も無い見晴らしの良いところに出る。
はるか彼方に、小さい教会が見える。
あそこまで行ってみたいと思う。ひょっとしたら、オランダ国境にも近いんじゃないかと思う。
しかし疲れと不安で、さすがに諦めた。ここまでで十分だ。

来た道を戻っていく。
間違えていないか少し心配になる。
背の高い並木の向こうに、搭と市庁舎の集落が見えてきた。
フランドルの一家が、道を歩いている。
厚着をした子供たちに気をつけながら、追い抜いた。
ダムの村中に戻る。
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