ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

マイヨールとある女性

2007-08-18 00:28:45 | パリの思い出
パリ7区、オルセー美術館から少し南に行った所に、彫刻家マイヨールの美術館があります。
この美術館は、1995年オープンした、比較的新しい美術館です。
「四季の泉」と呼ばれるモニュメントの脇から、美術館に入っていきます。
美術館の展示は写真の通り、滑らかで、少しふくよかな曲線の女性像が主なものとなっています。
ちなみに、最も彼のモデルとして活躍したディナ・ヴィエルニーとは、彼女が15歳の時に出会ったそうです。
恐らく、出会ってまもなく、モデルとなったのでしょうが、今の感覚からすると、少しヤバイ気もします。
1944年に、マイヨールは亡くなりますが、その後彼女はアートギャラリーなどを経営し美術作品を収集しました。
さらに財団を作り、マイヨールの作品を広めることに専心しました。
それがこの美術館の礎になったようです。
彼の彫像のほかにも、マティスのデッサンなどが印象的でした。
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ル・ノートルを1ダース

2007-08-15 23:57:36 | フランス物語
ル・ノートルを1ダース
パリと近郊の美しい庭園を訪ねて
西岡真里 著
文芸社
2005年4月15日 初版第1刷発行

むかし、ル・ノートルという庭園家がいた。
ヴェルサイユ宮殿の庭園を手がけた人らしいが、その他のイル・ド・フランスの庭園でも、やたら名前が出てくる。
この本を通して、パリ市内及びその周辺では、この本の題名の通り12もの庭園を手がけたことをはじめて知ることができた。
そこをすべて訪れた人による旅行記である。
日本の地方銀行に勤めながら、休暇をとり、フランスまで何度か足を運び、踏破したとのこと。
その成果を、ちゃんとした本にまで昇華させているのには、うらやましく感じる。
内容については、その庭園の詳しい由緒や歴史的なことよりも、どんな印象だったか、そしてどのようにそこまでたどり着いたかを、詳しく書いておられる。
自分も知らない場所に行く時には同じような苦労をしているので、親しみがわいた。
ちなみに、この方の場合、ヴォール・ヴィコントでは、土産物屋で値段をごまかされそうになったエピソードも書いておられた。
またリュクサンブール公園では20代の、チュイルリー公園では70代の男性にナンパされかけ、ショックを受けておられた。
ご本人はたいへんだったと思うが、読んでいる方としては面白く思ってしまった。

(写真はこの本の裏表紙です。上からソー公園、シャンティイ、ヴォール・ヴィコントです。)
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コンスタンティヌスの凱旋門に思う(ローマ人の物語ⅩⅢより)

2007-08-14 22:51:41 | ヨーロッパ旅行記
ディオクレティアヌスに引き続き、コンスタンティヌスにちなんだ建造物あります。
その名も「コンスタンティヌスの凱旋門」です。
ファロロマーノから、コロッセオに向かう途中に、ここに立ち寄りました。

この凱旋門は、コンスタンティヌスが、マクセンティウスに勝利した事を記念して建てられました。
この場所には、既にハドリアヌス帝に捧げられた凱旋門があったらしいですが、それを一部直し、コンスタンティヌスに合う様な装飾を加えたそうです。
かなりの突貫工事だったそうです。

それにしても、この浮き彫りの写真を見て愕然とさせられました。(ローマ人の物語ⅩⅢの194~195ページから引用)
紀元前後に造られた別の建造物の浮き彫り(右上)と、この凱旋門の浮き彫りの明らかな違いです。
コンスタンティヌスの時の浮き彫り(左下)は、明らかに稚拙といえます。
紀元前後の、人間の姿を美しく、忠実にあらわした物とは全く違ってしまいます。
この種の芸術作品も、やはり国力の状態で影響されてしまうかもしれません。

この作品群だけで判断するのは危険なことですが、この後、ヨーロッパが「暗黒の中世」に入っていってしまったのを象徴してしまっているような気がします。
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コンスタンティヌスの時代(ローマ人の物語ⅩⅢより)

2007-08-12 22:03:06 | ヨーロッパあれこれ
ディオクレティアヌス退位の後、四頭政は殆どもたなかった。
東西正帝・副帝プラス、前正帝や前皇帝の実子も名乗りを上げ、6人で争う混乱状態になってしまう。
まず正帝リキニウスと副帝コンスタンティヌスが手を結び、マクセンティヌスを敗北に追い込む。
そしてローマ入りしたコンスタンティヌス、正帝に昇格し、凱旋門まで建造される。
しかしまもなく、リキニウスとの同盟関係は早くも崩れ去る。
コンスタンティヌスは戦いに勝ち、リキニウスを引退に追い込み、1年程して彼を死に至らしめる。
そしてコンスタンティヌスが唯一人の最高権力者となった。

彼は新しき首都、新しき政体、そして新しき宗教による、新生ローマ帝国を打ち立てる。
まず首都はビザンティウムに建設する。
そして元老院を実権のない、名誉職的なものにおとしめす。
そしてキリスト教を公認である。

325年のキリスト教の会議、「二ケーア公会議」にて、いわゆる神とその子イエスと聖霊が同意であると決定され、それを認めなかった派は異端となる。
この異端と呼ばれる説では、イエス・キリストとプラトンが似たようなものになるという意見が興味深い。
つまり真実への道を説き、自分の考えに殉じたという点だ。
しかしイエスの方は、たとえ論理的とはいえなくても、復活し昇天することで「不可知」となったことにより、救済を象徴した事となった。
そして他の人間にも救済の希望を与え、それがキリスト教の発展につながっていったのである。

ある人の言葉に「ローマ人は三度、世界を支配した。初めは軍隊によって、ついでは法律によって、そして最後はキリスト教によって。」
そうして延命したローマ帝国だったが、その性格は全く異なるものとなってしまったのであった。

(写真はカピトリーニ美術館の「コンスタンティヌス帝頭部像」です。逞しい面構えが印象に残ります。)
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セーヌに漂うエコールドパリ④

2007-08-10 22:37:05 | 小説
まず窓の上部に、センサー付スピーカーを備え付ける。そばを通ると、アラブの音楽が出てくるのだ。
そして窓には、同じくアラブの紋様を描いたセロハンを張り付ける。外が見えるように上部は空けておく。そして向こう側にも同じように貼って置く。
そんなに時間はかからなかった。早速テストしてみる。
下を通ると、のんびりとした抑揚のアラブ音楽が流れてきた。

三日後、無事ぼくらの展覧会「21世紀のエコールドパリ」が幕を開いた。
入り口には、参加者みんなが礼服できめた、セピア色の写真を飾っておいた。ヨウコは慣れないドレスを着て、はじけんばかりの笑顔で映っている。ぼくはといえば、友達から借りたタキシードを着てすましている。
午前中、簡単なセレモニーの後、お客さんがボツボツ入ってきた。みんなヨウコの作品ではにこにこ笑っている。
ぼくの作品といえば、何回かそばを通ってくれて、やっと音と装飾の関係に気がついてくれているようだ。
でもそれだけでない、夕暮れでないとぼくの作品はわからない。
一旦会場を離れる。
夕暮れ時に再びヨウコと一緒に会場に入る。初日ということもあり、客はほとんどおらず、中はがらんとしていた。
そんな中、若い東洋人の男がぼくらの作品のある部屋に入ってきた。
中国人か、ヴェトナム人かと思っていると、ヨウコの作品のそばに立って、散らかった部屋、体操のビデオ、そして作者のネームプレートを見てにやりとする。
「どうもあの人、日本人のようね」とヨウコがつぶやく。
続いてぼくの作品のそばにやってきた。午前の客と同じように、何度かそばを通り過ぎ、やっと気づいてくれた。
窓をじいっと見つめている。そしてその上を見る。
外は薄暮に染まったパリの空。
そしてライトきらめくエッフェル塔。
それを見上げる男。
ふと振り向きぼくらの方を見つめる。ぼくの風貌で、作者と気づいたのだろうか。顔には「うまくやりやがったな」と書いてあった。なんだか恥ずかしくなって慌てて目をそむける。
その男は満足げに会場を後にしていった。
彼の後姿を見つめながら、ぼくは「ありがとう」とつぶやく。
音色と装飾と、
ネオンきらめくエッフェル塔。
建てられた時には色々文句をいわれた。でも今となってはパリの象徴。
どんなものでも、最後には優しく抱きしめてくれる、「パリ」という街の限りない包容力。
これがぼくの作品。自分の「原風景」と「想い」を表した作品、てことを。(完)
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