ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

セーヌに漂うエコールドパリ③

2007-08-10 22:36:40 | 小説
セーヌ河沿いにだらだら、休みながら歩いていたので、パリ市立近代美術館に着いたのは夕方になってしまった。
中に入り、ぼくらの展覧会を行う場所にたどりつく。
2階の広い、U字型のフロアが、みんなのスペースになる。
ここをみんなの作品で埋める、といえば聞こえはいいが、所詮は場所の奪い合いになってしまう。
噂では結構でかいオブジェを作ろうとしている学生もいるらしい。
下手をすれば予備審査で落とされてしまう。
ぼくのそんな心配をよそに、ヨウコは「私の作品はこの辺ね」と勝手に決めてしまっている。
入り口から少し入った、部屋のど真ん中の特等席だ。
可愛くないなあ。

ぼくは重い気持ちで、部屋の中をうろつく。
壁際沿いにとぼとぼ歩く。
ふとそばを見ると、ぼくの背丈より少し高い窓があった。
ちょうど向こうに、もう一つ同じ大きさの窓が見える。
このフロアでは、その二つの窓しかない。
そして、ふと外を見上げる。
「これだ」と思わず叫んでしまった。
ヨウコはぼくの突然の喜びように驚いて、「どうしたの」と尋ねる。
ぼくはニコニコしながら、「なんでもないよ。でも、この窓はぼくのものだからね」と応える。

ヨウコが自分の原風景を追い求めているように、ぼくも自分の原風景を描き出してみよう。
早速下宿に帰り、予備審査用の報告用紙に、自分の作品を描いていく。
テーマははっきりした。すっすと筆がすすむ。

提出して2、3日、すぐに結果は出た。
出展OKとの知らせだった。無事決まってほっとする。
ヨウコは「当たり前でしょ」てな感じで悠然としていた。場所も予想していたところだったので満足そうだった。
早速準備に取り掛かる。
まず電気店に行って、センサーで音の出る装置を買ってくる。
更になじみの画材店に行き、ガラスに貼り付けられる黒いセロハンを買う。
音色を吹き込み、セロハンをいろいろ切ってみる。大まかには決まっていたものの、細かいところが気になり、何度も切っては捨て、切っては捨てを繰り返す。

いよいよ設営の日がやってきた。
みんな自慢の作品を持ってきている。
ヨウコは透明なテントを天井から吊るした。その中に女の子用の机や引き出しを置く。机の上は小物で散乱させ、引き出しから衣類を飛び出させている。大体のことは決めていたが、実際現場になると、「こうじゃなくって」などぶつぶついいながら細かく動かす。
そして机の上には自分の体操している姿のビデオが映る。体操し、そしてだめだめだめとやめる彼女の姿が何度も繰り返される。
その他、北京の古い家並を再現しようとしている生徒や、ガラクタの電気製品を集めてなにやら組み立てている奴など、いろいろ訳のわからないオブジェが揃っていった。
ぼくも窓際に陣取り制作に取りかかる。
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セーヌに漂うエコールドパリ②

2007-08-10 22:36:03 | 小説
翌日、午後3時、ヨウコに誘われて学校を出る。
彼女と一緒に、カルチェ・ラタンのサン・ミッシェル通りの緩やかな坂道を下り、セーヌ方面に向かう。
シテ島の手前で、左に折れ曲がる。どうも警視庁のそばには近寄る気がしない。
ブキニストのそばを通りながら、一番古いくせに、名前だけはポン・ヌフ(新しい橋)という橋にたどりつく。
国語の授業で習った、昔のパリ市民が残したフレーズを思い出す。
「パリのどこどこの場所は別のどこどこの場所から遠いのかと聞く農民たちに、パパは答える『ふん、川を渡るだけだよ』」
ぼくらも川を渡り、シテ島の端っこを抜ける。バトー乗り場の近くではパントマイムをしている奴がいた。
結局地下街というには中途半端な場所、フォーロム・デ・アールにたどりつく。そこのスポーツショップが彼女の目当てだったようだ。
そこで彼女は陸上競技用のブルマと、真っ白なトレーニング用Tシャツを買った。

下宿に戻り、彼女はそれらを身に着ける。
ブルマには、なぜかモコモコと余計な布を入れる
そして頭を細長い布でしばる。
そんな彼女の姿を見て「それって何?」思わず聞いてしまう。
「日本の学校の原風景なの」と真剣な表情でヨウコは答える。
訳がわからない。

そんなふざけた格好にもかかわらず、真面目な顔でぼくを見て、
「そこのビデオで私を撮って」と真剣に言われる。
しかたなく、カメラを構え、彼女に向ける。
スイッチを入れると、彼女は一生懸命、デンマーク体操(のようなもの)をしはじめた。
延々と、手を振ったり、腰をひねったり、足踏みをしたりしている。
さんざん動いたあと、だめだめだめと手を振りながら、カメラの枠から外れていく。
さすがに疲れたらしい。

ビデオを再生しながら、彼女に尋ねる。
「これって何」
「日本では、毎朝こんな体操をやっているの。私も小さい頃は、夏休みでもちゃんと早起きをして、参加してたの」
今の寝ぼすけな彼女からは想像もつかない。
また、いくら現代芸術といっても、なぜこんな体操なのかわからない。
「これこそ日本の原風景、朝の公園の一場面なの」と彼女
ふーん、またゲンフーケーかよ。

ヨウコが着々と準備を進めている一方、自分は何も思い浮かばない。
このままではさすがにまずい。予備審査にも間に合わなくなってしまう。せっかくのチャンスが台無しだ。
何かデッカイものを表現したいな、と思うが、いいアイディアが出てこない。
考えていても仕方がない。パリ市立近代美術館に下見に行ってみよう。
ヨウコと学食で昼食をとった後、二人でセーヌ沿いにひたすら下っていく。結構距離はあるが、何かヒントを見つけないといけない。歩いていく。
といっても、途中川に浮かぶ船のカフェで休みながらだけど。
ポンデザールそばの船上カフェでだべっていると、ちょうど橋の上でモデルが撮影されているのが見える。
歩行専用の橋で、背景がルーブルや学士院だったりして、撮影にはちょうどいい場所だ。
反射板がピカピカ光って眩しい。そこでポーズを決めるモデルたち。
ふん、と眺めるヨウコ。現代芸術家の目は厳しい。私の体操のほうが芸術的でしょ、といわんばかりだ。
何も言えない。
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セーヌに漂うエコールドパリ

2007-08-10 22:35:13 | 小説
ぼくはサイード
パリ生れのパリ育ち
といっても、「花の都」なんていうイメージとは全然違う、北の方の、地区。
ぼくのようなアラブ系や、アフリカ系が多く住む地域。
ぼくのおじいちゃんは、北アフリカからフランスに来て、ごみ掃除など白人がやりたがらない仕事でこつこつ金を貯めた。
そしてぼくの親父は、その金を資金にして小さな食料品店を立ち上げ、家族を養ってくれた。
移民の暮らしは相変らずよくない。
就職なんかでも、アラブ系の名前というだけで差別される。
ぼくの周りには、サルコジの野郎が言うところの「ごろつき」がいっぱいいる。
親の汚れ仕事を引き継ぐより、ぶらぶらしていたり、もっとひどい奴だと、麻薬の密売人になってるような奴もいる。
ぼくも一歩間違えればそうなっていたかもしれない。
でも、それを救ったのは芸術的な才能。
親父によると、ひいおじいちゃんは有名な工芸職人だったらしい。
隔世遺伝で、その才能がぼくの所に来たようだ。
学校でも、他の教科は全然だめだったけど、美術の時間だけは、先生はいつもぼくの作品をうっとりと見つめてくれた。
おかげで奨学金をたくさんもらい、上級の美術学校へ行く道を開いてくれた。
今ではそこでわけのわからないオブジェの制作に没頭する日々。
さすが文化の国フランス。こんなことが十分できるようなシステムを作ってくれている。
まあ、カエサルの時代から、戦争に負け続けたフランスのことだから、文化を伸ばすしかしょうがなかったらしい。
それはそれで結構な事。
おかげでぼくなんかものうのう生きていける。
たとえナポレオンがたまたま勝っても、後に残るは死体のみ。

今は家を出て、日本からの留学生、ヨウコと一緒に暮らしている。
といっても、彼女のアパルトマンに居候しているような感じ。のら犬と変わらない。
彼女、かわいいけど気は強い。
もともと、日本女性って、「おしとやか」というイメージがあったんだけど、ヨウコを見る限り、そんなことば、どこかに消え去ってしまう。
ヨウコは自分の出身地を「コメディの街」といっていた。
うるさくなければ生きていけないらしい。

そんなある日、ぼくたちの学校に、素晴らしいニュースが飛び込んできた。
パリ市立近代美術館で、みんなの作品を出展できるかもしれない、というのだ。
もちろんパリ市のお墨付きである。
こんなチャンスめったにない。
さすがぼくらの講師はすごい。ゲイで見かけはなよなよしているが、さすが芸術界では顔が利く。
クレイジーでいつもべたべたまとわりついてくるけど、ぼくらに道を開いてくれた。
さすがパリ、市長もゲイの街は違う。

まわりのみんなは準備を始めたが、ぼくは何もいいアイディアが思い浮かばない。
一方ヨウコは着々と準備を進めている。
透明なテントを買ってきて、天井から吊るす。
その中に丸いテーブルを置き、小物を散乱させる。
そして白いタンスを置く。半開きの中からは女の子の下着が半分取び出ている。
それでもまだ物足りないらしい。
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ローマの「聖母マリアと天使と殉教者の教会」について

2007-08-09 23:02:04 | ヨーロッパ旅行記
ローマ市内にある、ディオクレティアヌス帝にちなんだ建造物を紹介します。
写真の噴水の向こうにある建物は「サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会」と呼ばれています。
ちなみに「ローマ人の物語ⅩⅢ」の中では、「聖母マリアと天使と殉教者の教会」とされていました。
この教会を見たときは、古い建物を利用したんだな、と思ったくらいなのですが、もともとは紀元305年に完成した「ディオクレイティアヌス浴場」だったそうです。
その一部、具体的には「温浴室」と「冷浴室」の部分が教会として残っています。
そのせいか、建物内部が、普通の縦長の十字とは違い、横長になっています。
後に教会の建設を依頼された、かのミケランジェロが、可能な限りオリジナルな状態を残そうとしたからです。
さすがミケランジェロと、改めて感心させられます。

彼のおかげで、ローマ人の空間感覚を追体験できるのですが、残念ながら内部のことは記憶にありません。
このときは、ローマ時代について、全く知識がなかったこともあります。
また、この後に見た、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会のキンキラキン、そして「聖テレーザの法悦」に心を奪われてしまったからかもしれません。

ちなみに、写真の噴水のまわりは共和国広場と呼ばれます。
広場といってもロータリーになっており、車が走っていました。
この外縁の部分こそ、広大なディオクレティアヌス浴場の外縁になっていたそうです。
そんなこともつゆ知らず、「わあ古い教会と噴水だ。そこをくるまがぐるぐる走っているよ」とアホみたいに思いながら写真を撮っていました。
場所はテルミニ駅の近くです。
ぜひ今度行かれる時は、教会内部の空間にその身をひたすと共に、車を消し去って、古代ローマの巨大な浴場の空間を想像し、感じ取ってみてください
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ローマ人の物語ⅩⅢ 最後の努力

2007-08-08 22:27:05 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語ⅩⅢ
最後の努力
塩野七生 著
新潮社
2004年12月30日 第2刷

紀元284年に皇帝になる「ディオクレティアヌス」
軍隊出身の皇帝である。
帝国の安全保障と構造改革のため、建て直しを図る。
まずは二頭政ということで、戦闘に強いマクシミアヌスに皇帝の座を「分与」する。
さらに293年、四頭政というシステムを確立する。
東方と西方で、それぞれ正帝・副帝を任命するのである。
それで防衛システムを強固にし、なおかつ後継者争いでもめないように工夫したのだった。
これは一定の成果をおさめるが、その一方兵士の増加による負担増や兵士の蛮族化も見られるようになってしまった。
そして官僚機構も、増大になってしまう。なにしろ4つの政府があるのと同じような状態だからだ。
それを支える財政も「中央政府」「地方自治体」「個人による利益の社会的還元」から、中央政府が決める財政の帳尻をあわすための重税だけになってしまった。
更にキリスト教徒に対する弾圧も行われる。

そんな彼だが、あっさりと引退する。
自分の考えた、四頭政で、磐石だろうと思ったのだが、五賢帝のときのように、男の実子が殆ど無かった時ならよかったものの、このときはそうでなかった。
ディオクレティアヌスは実力で後継者たちを選んだのだが、有力者の実子がはずされると、それを担いだ反対勢力が出てくる恐れが強い事をどう考えていただろうか。
また自分が皇帝という権力を失った時、他の人がどう豹変するかを。
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