ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ヨーロッパ覇権以前(上) 序論 第1章

2020-12-19 07:42:00 | ヨーロッパあれこれ
ヨーロッパ覇権以前(上)
もうひとつの世界システム
ジャネット・L.アブー=ルゴド 著
佐藤次高・斯波義信・高山博・三浦徹 訳
岩波書店 発行
2001年11月27日 第1刷発行

原題はBefore European Hegemony :The World System A.D.1250-1350です。

序論 第1章 システム生成への問い
13世紀のヨーロッパは東洋の後塵を拝していたが、16世紀までには、すでにかなり追い越していた。
・両地域を結ぶ内陸交易ルート上にある諸地域は、13世紀前半にチンギス・ハーンによって統一され、有効な部分をなしていたが、世紀末までには後継者によって分断されてしまった。
・1348年から1351年まで「悲惨な」世紀半ばに中国からヨーロッパに至る全地域に流行した黒死病は、世界交通の海上ルート沿いにあるほとんどの都市を殺戮し尽くした。

13世紀後半から14世紀初頭の世界システムをあるがままにみなければならないが・・・
・当時の諸文化は、何を記録するに値するか考えたか、どこに保存されていたのか、またどの程度の細部がどの程度の正確さをもって記録されたのか、などの点で大きく異なっていた。
・データが手元にあるときでも、叙述史料と、現実世界とのギャップの見通しの問題

13世紀、
ジェノヴァや中国では、記録し数え上げることが熱心に行われた。
一方、13世紀の交易に参加した三つの主要な民族と地域―中央アジアのモンゴル、マラッカ海峡沿いの小国、はるかに良好な状況のイスラム地域、では控えめな一次史料や、碑文、世俗に無関心な史料しか残っていなかった。

13世紀までに、ヨーロッパでは三つの結節点が一つの交易回路を形成しつつあった。
・トロワとプロヴァン、バール・シュル・オーブとラニィからなるシャンパーニュ大市
・フランドルの商業・金融上の中心ブルージュと第一の工業都市ヘント
・イタリア半島の両側にある国際交易港、西のジェノヴァと東のヴェネツィア

中央の三つの橋頭堡
・黒海沿岸にあり、コンスタンティノープルと中国を結ぶ第三のサブシステムが始まる地点
・パレスティナの海岸地域にあり十字軍を通して、第四のサブシステムと接触した
・エジプトの北アフリカに第三の橋頭堡を築こうとしたが、十字軍の失敗ののち、エジプトの支配者によって統制された制限付きの交易関係
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逆光に抵抗するシャンティイ城

2020-12-11 18:24:33 | フランス物語
シャンティイの庭園をさまよった後、城のそばに戻ります。
逆光に負けじと、城の写真を撮っていました。
まず手前の塔のような建物は「宝庫塔」(La Tour du Trésor)と呼ばれています。
その名のとおり、二階の内部は「宝石の部屋」(Cabinet des Gemmes)と呼ばれ、七宝細工や細密画が展示されています。
その隣の少しへこんだ建物は、日本語パンフレットでは「楼台」という少しわかりにくい単語で書かれていました。
フランス語ではTribuneと書かれていました。その意味は演壇、傍聴席、大観覧席と辞書には載っていました。
画像をよく見ると二階はテラスのような感じになってますので、いわゆるそういう的な建物なのでしょう(笑)。
一階には階段もあり、庭園に出られるようになっています。
その庭園は「ヴォリエール庭園」(Le jardin あるいはparterre de la Volière)と呼ばれています。
Volièreは鳥小屋、(大型の)鳥かごという意味です。
庭園のサイズからそのような名称になったのかな、と勝手に想像してしまいます。
そして庭園から濠の水面に橋がかかってますが、これも庭園と同じようにヴォリエール橋と呼ばれています。
「楼台」の更に奥の建物の二階部分は「鹿のギャルリー」(Galerie des Cerfs)と呼ばれています。
ここには狩猟の様子を織り込んだタペストリーが飾られています。 
シャンティイ城の再建に尽力し、そのコレクションとなっている品々を収集したオーマール公の接待用食堂(1880年)だったそうです。
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作家たちの原風景 播磨文学紀行2

2020-12-05 21:12:06 | ヨーロッパあれこれ


作家たちの原風景 播磨文学紀行2

橘川真一 著

姫路文庫 9

ひめしん文化会 発行

神戸新聞総合出版センター 編集・制作



上田秋成の「秋山の記」

上田秋成が妻とともに安永8年(1779年)9月、播磨を歩いた時の紀行文。

大阪から須磨・明石を経て播磨に入り、市川沿いに北上し、辻川を通って但馬の城崎に湯治に出かけた。

柳田国男はどの道を通って但馬に向かったのか関心を持っている。p8-9



シーボルトの「江戸参府紀行」

文政9年(1826年)に江戸に参府旅行したシーボルト

往路で3月7日から11日まで播磨を見聞

帰路では6月19日から21日まで、海の上から播磨を眺めている。

3月7日、家島群島や赤穂の沖を通り、室(室津)の港に入港する。

室津で一泊し疲れを癒し、裏山の鳩ヶ峰を越え、正条の宿(揖保川町正条)で山陽道に合流した。これを室津道と称していた。

正条から揖保川を小さい舟で渡り、松林の間を歩くと龍野城が見えた。ここでヒバリの声を聞いた。シーボルトの故郷であるドイツのノヒバリに似た声であった。

斑鳩・山田を通って姫路に着いたのは午後も遅くなってからであった。

姫路でシーボルトを最も喜ばせたのは地誌「播磨名所」と見取り図であった。

3月10日、雪の姫路を朝の9時頃出発する。

市川を渡り、曽根で昼食をとった。そして加古川で宿泊。



長塚節の播磨路

長塚が播磨に関心を持ったきっかけは、家島からすぐれたうたを送り続けていた、姫路生まれの歌人岡本倶伎羅との縁がきっかけであった。

その倶伎羅とは会う機会もなく終わってしまうが、生涯で三度も播磨を訪れており、有名な白鷺の城のほか、飾磨の海、家島、明石の浜、瀬戸の海などのうたを残している。

明治38年(1905年)には神戸・須磨・明石に倶伎羅と会うため訪問している。しかし既に家島に転地療養のために移っており会えず、

飾磨の海よろふ群島つつみある人にはよけむ君が家島

などの短歌を残している。

倶伎羅は明治39年の秋、病が重くなり、故郷の八重畑に帰って翌年の2月に30歳の若さで亡くなった。



空襲の明石を描く、永井荷風の「断腸亭日乗」

昭和20年、相次ぐ空襲で東京を追われた永井荷風は6月3日に知人とともに明石に逃れた。

荷風にとっての明石は、焦土と化しつつ日本の中で、ただ一つフランスの詩人マラルメが描いた詩「牧神の午後」を思い起こすような素晴らしい風景であった。p102

そして憧れであったニースに似た景勝の地で、きびしい避難の日々を過ごしていた中でのひとときの安らぎであった。p107



数多く残る弁慶伝説 「義経記」に見る書写山

軍記物語「義経記」

室町時代の初め頃成立

その中に弁慶と書写山のことが詳しく書かれている。

軍紀というのは一種の語り物のため、史料としての信頼性は薄い。

しかし書写山をはじめとする播磨一円の弁慶伝説から見ると、弁慶が書写山に修行に来たという可能性は残る。
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妖精の棲む島 アイルランド 自然・歴史・物語を旅する

2020-12-03 20:53:17 | ヨーロッパあれこれ
妖精の棲む島 アイルランド 自然・歴史・物語を旅する

渡辺祥子 著

三弥井書店 発行

2020(令和2)年4月13日 初版発行




この本は二部構成になっています。

第1部「アイルランドを旅する」ではアイルランドの南部マンスター地方とレンスター地方の一部の自然の風景を旅しながら、歴史の秘話や物語を探っています。

第2部では、アイルランドの民衆が長い間語り継いできた民間伝承の話の中から主に妖精伝説を取り上げています。




アイルランドの神話が提示するもの

・アイルランドという国が様々な民族の侵入により作られてきた

・ダナーン族がアイルランドを去らずに地下にとどまり不思議な世界を構築したこと

アイルランドの二重構造の世界観、現実の世界の隣に常に豊かな想像力の世界を持つ精神構造を理解するうえで重要 p4




アイルランドのキリスト教の教会にはカトリック教会とチャーチ・オブ・アイルランドがある。

5世紀にキリスト教が伝えられた時、土着の信仰を取り入れていた。それでもキリスト教を伝えた聖パトリックはローマ法王とのつながりを大切にした。

12世紀以後、アイルランドのキリスト教はヨーロッパ型のキリスト教に組み込まれ、カトリックの信仰を守りぬいた。

16世紀、イギリスのヘンリ8世がローマのカトリック教会から離脱し、自ら英国国教会を設立すると、イギリスの植民地だったアイルランドのカトリックの修道院、教会は解体されるか、歴史的に価値のある教会はカトリックからチャーチ・オブ・アイルランド(英国国教会のアイルランド自治支局)となった。

1892年カトリックの大政治家ダニエル・オコンネルが「カトリック解放」の法案をイギリス議会で通過させた後、カトリック教会が建てられることとなる。

ゴールウェイ大聖堂はその一例。

アイルランドの現在のカトリック人口は共和国が全人口の約87%、北アイルランドが44% p19-20




マーテロー・タワー

1804年から1806年にかけて、イギリス軍はアイルランドの主に東海岸沿岸にナポレオン軍の侵入に備えて、かなりの数の砲台のついた円筒形の要塞を築いた。この塔はコルシカ島のケープ・マーテローに最初にたてたため、マーテロ・タワーと呼ばれている。

結局ナポレオンのアイルランド侵入は無く塔は使われないまま時が経ち、あるものは廃墟に、あるものは物置になった。

ジェームス・ジョイスの記念館になった塔はもっとも有効に使われている例である。p174




この本では次の4つのテーマの話を紹介しています。

1 妖精による誘拐とチェンジリング(変え子)の話

2 妖精が人間に助言や援助を与える話

3 海に住む不思議なものたちの話

4 レプラコーン(赤い帽子に緑の上着を着た妖精)の話




アイルランドでは人魚の話が沢山伝えられている。

話のパターンはほぼ同じである。

北に行くほど人魚がアザラシに置き換えられ、アザラシ女房として語られることが多く、スコットランドではほとんどがアザラシの話である。p247
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