ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ル・コルビュジエ 機械時代における建築の叙情性

2023-09-12 20:47:28 | ヨーロッパあれこれ

 

ル・コルビュジェ

機械時代における建築の叙情性

ジャン=ルイ・コーエン 著

タッシェン・ジャパン 発行

2006年12月31日 第1刷発行

 

ル・コルビュジェほど、工業時代の希望と幻滅を具現化した建築家もいなければ、同時代の人々を憤慨かつ激怒させた建築家もいない。

ル・コルビュジェの生涯には、名声を博して有名人になった類まれな建築家の一人として常に皮肉と中傷が付きまっとった

 

シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ、1920年までル・コルビュジェというペンネームは使わなかった、が1887年に生まれたスイスのジェラ地方にある町ラ・ショー・ド・フォンは時計製造の中心地だった。

彼にとっての最大の形成期教育は、生涯を通じてヨーロッパやその向こうを数えきれないほど旅したことであった。

 

ル・コルビュジェは先祖のルコルベジエとおそらく画家のル・フォコニエをまねた。p9

 

1906-1907 Villa Fallet スイスの住宅

1912 Villa Jeanneret-Perret スイスの白い住宅

1916 Villa Schwob 近所から「トルコ人の家」と呼ばれる

1923 Villa La Roche-Jeanneret パリ郊外オートゥイユの二戸建て住宅

1923-1925 Villa "Le Lac" スイスの白塗りのバンガロー

1924-1926 フルジェス近代地区 ボルドー郊外のペサックの団地

1925 「エスプリ・ヌーヴォー」館 パリ現代装飾美術・工業美術国際博覧会で開館 現存せず

1926-1927 Weissenhofsiedlung ドイツのシュトゥットガルトの二戸建て住宅

1926-1928 Villa Stein-de Monzie パリ近郊のヴォークレッソンの大邸宅

1928-1931 Villa Savoye ポワシーの壮観な別荘

1928-1936 セントロソユース・ビル モスクワの大型建築

1928-1933 Cite de refuge パリの浮浪者収容所

1931-1934 ポルト・モリトールの集合住宅 パリの街はずれの境界壁の間に建てられた

1946-1952 Unite d'habitation

批判的な専門家が、将来、住人の中に精神病が発症すると予測する報告書を発表した後、全国で論争を巻き起こし、マルセイユの人々はこのビルを地元の方言で「精神病患者の家(Maison du Fuda)とあだ名をつけた。

1951-1952 ”Le Cabanon"

1951-1955 ノートル・ダム・デュ・オー礼拝堂 ロンシャンの教会

1951-1955 ジャウル邸

1951-1956 Villa Shodhan  インドのグジャラート州アーメダバードの住宅

1951-1955 高等裁判所 インドのパンジャブ州

1951-1958 総合庁舎 インドのパンジャブ州

1951-1962 議事堂 インドのパンジャブ州

1953-1960 La Tourette  フランスリヨン近郊の田舎の修道院

1958 フィリップス館 ブリュッセルの万国博覧会のパビリオン

1959 国立西洋美術館 上野公園

1959-1962 Carpenter Center for the Visual Arts アメリカマサチューセッツのカーペンター視覚芸術センター

 

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ラグビーワールドカップフランス大会開幕!フランス、イングランドの勝利

2023-09-10 20:01:38 | ヨーロッパあれこれ

 

ラグビーワールドカップフランス大会開幕!
初戦は開催国フランスとニュージーランドの闘い
フランスいきなり強豪である。 
後半、まだフランス負けているところから観たが、大歓声に押されて見事逆転勝利!
対戦後のテレビインタビューで、フランスの主将が、英語で聞かれていたにも関わらず、平然とフランス語で答えていた。
日本語の同時通訳もスルーせざるを得なかった。
フランス人はこうでなくっちゃ。
単に英語が苦手なだけかもしれないが(笑)

翌日はイングランドVSアルゼンチン
こちらは最初から観ることができた。
アイルランドやウェールズの好きな自分だが、この場合はイングランドを応援する。
テレビではのび太をいじめても、映画では一緒に巨大な悪役に立ち向かうジャイアンを応援するようなものか(笑)
個人的には、アルゼンチンには、サッカーのワールドカップで、フランスに勝って優勝してしまった、という恨み(逆恨み?)もあるし。
イングランド、レッドカードでいきなり数的不利になってしまうが、ドロップゴールやペナルティゴール連発で見事な勝利

マルセイユの夜空を切り裂くフォードのキック
潮風に乗り勝利へ導く

 

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なかなか開館しないジェイムズ・ジョイスの塔(アイルランド)

2023-09-06 20:09:21 | ヨーロッパ旅行記

 

ジェイムズ・ジョイスの塔に開館時間前に到着します。
まだ電気も着いておらず、旗も掲げられていません。
しばらく待ち、開館時間になりましたが、開きません。
入り口の前には、結構観光客も集まっています。
二十分ほどして、やっと職員が車に乗ってやってきました。

ここはジョイスの博物館になっています。
日本語のパンフレットもわざわざ作成してくれていましたので、この機会にその内容を紹介していきます。
まずはこの塔の紹介から

サンディコープのマーテロタワーは、時のイギリス軍がナポレオンの侵略を恐れ、防衛のために1804年に建てられたものです。タワーは高さ12フィート、幅8フィートもあり、柱を立てかけた金属製のドアから中に入りました。銃砲台はタワーの最上階にあり、今でも大砲が発射されたレールの跡が見られます。砲弾は螺旋階段上のオーブンで温められました。
タワーとそれに隣接している砲台は1904年まで英国軍により占領され、その後、当時医学生で、機知に富んだ詩人としても知られていたオリバー・シンジン・ゴガティが一般市民では最初の住人となりました。彼が住んでいる間、数多くの文人達がこのタワーを訪れたと言われています。
1962年には、ユリシーズを出版したシルビア・ビーチがタワーをジョイス記念館として開館しました。現在はダブリン観光エンタープライズが所有しています。

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EU結束基金の看板(アイルランド)

2023-09-02 20:27:58 | ヨーロッパ旅行記

 

ダンレアリー湾から、ジェイムス・ジョイスの塔へ、海沿いをてくてく歩いて向かいます。
途中で、画像のような看板を見かけました。

Dun Laoghaire-Rathdown
County Council
ダンレアリー=ラスダウン
市議会

Dun Laoghaire drainage
Bulloch Pumping Station
ダンレアリー排水
ブーロックポンプ場

This project has received financial assistance from the cohesion fund of the European Communies.
この事業は欧州共同体の結束基金による財政援助を受けています。

結束基金(Cohesion Fund=CF)とは
一人当たりの国民総所得(GNI)が、EU平均の90%未満の加盟国における経済的・社会的格差を是正し、持続可能な成長を促進することを目指す。2014年~2020年の予算枠組みではブルガリア、クロアチア、キプロス、エストニア、ギリシャ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、チェコ、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニアが対象。

とのことです。
現在はEU拡大などにより、アイルランドは対象外のようですが、訪問した2001年前頃は該当国だったようです。
EUに関しては、なにかと恩恵を受けることの方が多いのでしょうね。
そしてブレグジットによって、アイルランドのEUでの立場は強くなったようです。

(EU MAG のサイトを参考にしました)

 

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