倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

荒川さんとミッドナイト井戸端会議

2007-02-09 11:43:35 |  縄文心導ヒーリング

韓国テレビ局とドイツの雑誌社の取材が終った後、反転住宅のオフィスで打ち上げをされていました。遅れて私も参加させて頂きました。荒川さんも日本酒を結構飲んでいらっしゃいました。「僕は、今日は嬉しい!こんなにお酒を飲むのは、一年に1~2回位ですヨ」と言われ、面白い話を沢山してくださいました。「今夜は“ビックバン”一億五千年前と同じ出会いを七人がしている。(荒川さん・山岡さんご夫妻と子供さん・本間さん・松田さん・倉富)」



「僕が17才の時、アインシュタインを“一番バカ”と言ったら、皆怒った。でも、去年位から、認めだしたヨ」



遊眞君(山岡さんご夫妻のお子様・3才)が、荒川さんの周りで遊んでいると、荒川さんや松田さんを指差して“嘘パパ”と言ったら、荒川さんは、「遊眞君が、“嘘パパ”と言うのは、境界線を自分で作ったの…。ものすごい事、瞬間的に境界を作った…。」。遊眞君が夢をみたと聞き、遊眞君に「どんな、夢をみたの?」と聞くと、遊眞君は「女の子で…、目も足も無く、手だけだった」と言う答に、「ここに住む事によって、どう変わって行くか楽しみ…。ここは一つの林、森じゃないけど、運河になって。遊眞君は、木を切ったり、林にしている。生命、固有名詞の無い名前を作って…、それこそ進化論と言う。」



荒川さんに「遊眞君のようにいつ頃から成りたいと思ったのか?」と聞いたら、「5才の頃、近くに、素晴しいお医者さんがいて、お金貰わないから貧乏医者、奥さんも医者、僕の家5人兄弟がいたのだ、僕は、その医者の所に泊りに行っていた。廊下で寝ていた。電話を持っていたのは、そこだけ。5才位から看護士してたヨ。先生の手術の手伝いで、汚い新聞紙で拭いたりして手伝った。そこに住む様になり、看護士の役目をした。7~8才から、学校に行かないと決めた。亡くなる人を目の前で見たから、今でも流れ星や星を見ると、兄弟だと思う。今でも、こうやって君達と居るだろ、どんなに落ち着かないか、知ってる?人間的幸福を一度も味わった事ない。僕は、ほとんど人間らしきもの味わった事ない。恐怖だけ。美しいとか、どんな事やっても味わった事ない。僕は、ストリップするヨ」と最後には、冗談で和ましてくれました。



まだまだ続く、



「荒川修作滞在日記」オ タ ノ シ ミ ニ!





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球体で遊ぶ遊眞君3才



コメント
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