「荒川修作は天命反転住宅を作ったとき、ディュシャンを越えたと思う。荒川さんはフレームを付けた、見るだけの絵画から、体感する建築を作った」と、言われた方がいましたが、天命反転住宅は荒川さんの手から離れ、一人歩きします。入居者がどう生きるかという事を見守っていただき、彼等が最も興味ある生き方を選択し、本当の自由と健康を手にした時、荒川さんは、デュシャンを越えたといえるのではないかと。
便器のオブジェで「考えさせた」ディュシャンですが、荒川さんは、天命反転住宅を「感じさせた」。天命反転住宅の建築を社会に投げ込まれた。現代人が無くしたもっと大切な忘れもの、“感じる”世界は他人が介入することが出来ない、自分だけの世界であります。
荒川さんは最も難しい人間の宿題を大いなる意志から出されたのではないでしょうか。
天命反転住宅に住んで、そんな事を思いました。