荒川の作品は、平面に線があれば線を追い、濃淡や矢印で奥行きにいざなわれ僅かな曲線で欠落を想像し、あるいは立体を暗示され、網膜の中にイメージを作るなど、眼と脳内を活性化する。宮城県美で壁面一杯に10メートル余位ある絵を見たが、絵画の前に立つと、その空間に取り込まれながら、細部に眼を走らせる体験をした。英語の文字が読めなくても視覚的に眼を遊ばせられる。古い宗教絵画も視覚的に読んで行くように。網膜の上で見る絵ではないと言ったディシャンを、この時点で荒川さんははっきりと越えた気がする。地球の大気圏を読んで天気図を描いた作家に村上善男がいるが、荒川の作品も、数理的な、ダイアグラムの絵画として面白い。ディシャンには、しばしば、ドアのモチーフが登場する。荒川が天命反転住宅の天井に付けたのもディシャンが関係するのかも。続く
久司―「昔は頻繁に神社に出入りし、そのエネルギーに触れる機会が多かったのですが、最近は神社にはほとんど行かないでしょう」。倉富―「昔に人は神社なんかに出入りして、自然のエネルギーと接する事で癒されていたんでしょうね。最近はそういう機会が少なくなってきたから、病める人が増えてきたんでしょう」。久司―「確かにそうですね。ヨーロッパの産業革命以降、山、川、風といったものが持つ自然エネルギーを人工エネルギーで支配し出しました。自然エネルギーに人工的エネルギーを与える事でエネルギーを発生させてきたわけです。その非常に高いヨーロッパからアメリカに渡り、日本にまで及んで世界を支配し出した」。
東京芸大先端藝術表現科授業、荒川修作の美術と反転住宅のブログの書きなおしをさせていただきました。書き直しの文字をいれながら、絵画の荒川さんは、なるほど、すごいなと思うのと、荒川さんをあまりにも知らな過ぎで、思い知りながらの書き直しをいたしました。複式呼吸しながらゆっくり味わいながらの作業で、少しずつ時間をかけました。パーツを増やしてブログで紹介することにしましたので、改めて見直してくださいますようお願いいたします。明日に続きます。
先生はマクロビオティツク(玄米・生食)の研究をなさる一方で、神道の世界にも精通していらっしゃって、神社についても随分研究なさっているようですが、これからはより日本的なものが世界から求められるようになると考えていいのでしょうか」久司―「昔のお社は、天地のピラミッドなんです。お社の中に入ると、天地のエネルギーがチャージされるわけです。昔は鳥居は一定の方向に向いていて、神社の中から見るとその上を太陽が昇って行く。ようするに天文台なんです。神社にはまっすぐな木が多いのですが、これも太陽光線や何かによって時間を測定したりするためなんです。ですから、神社は心霊的なものでもあり、天文台のような非常に実用的な場所でした。
荒川さんの絵は、線や記号文字で、読む・見るための空間を作っている。新たな平面性の可能性。ディシャンから影響されて、3ツが重なるのは、ダビィンチからとった。空間からとる神秘性ある。"見るだけだと”ディシャンが否定した絵画で、眼を動かし、脳を動かす、神経を活性化する「ディシャン的美術」としての絵画を創造した。その荒川の絵は、絵巻物的な要素も認めるならば、日本的な絵画の伝統をも踏まえている。
ここで地震!!!!!!「大丈夫!です。反転住宅は震度7までは!」と本間さん
荒川は、絵巻物の非完結的な空間によって、1対1で閉じる絵にしたくなかった。作品と鑑賞者が向かい合って、関係性を完結するのではなく、絵画を巡る空間へと思考が展開して行く。イメージを使わず、自分の思考で考えさせる。
反転住宅103号室で、20人の学生に講師正木基氏と教授高山登氏、ナビゲーター本間桃世氏が授業、私も途中から見せていただきました。一言で言って見ごたえがある内容でした。荒川さんの本質にせまった迫力ある講義をされた正木さんに感服いたしまました。私が聞き取れた範囲の事を書いてみました。
荒川修作の最初の作品”棺桶”はミイラの棺桶みたいで、天命反転住宅の多彩な色彩と異なり、色がなかった。画廊空間を真っ暗にした村松画廊個展の、タイトルも「一つの墓場」。死を儀式的に扱う事で、この頃から、逆説的に生命を考えていたのでは。アンデパンダン展だは"棺桶”が洋服タンスまで拡大し、「現代美術の実験」展では、作品の大きさが天井まで、大きくなるタンスに色彩された黄色は、その後も、しばしば使用されるが、荒川の中で生命の象徴ではないか。年譜にはないけど、ある大学の学園祭で、暗闇で荒川が寝ていると言うパフォマンスをしたと東野芳明が書いている。それも、死の世界を意識していたのでは。続く
マクロビオティクの世界的運動家である、久司道夫先生はボストン在住、1991年九司インスチュティトセンター、ベケットへ玄米正食の勉強に渡米しました。
倉富―「私は先達の先生方の文献を読んで、自分なりの治療法をやっているんですが・・・」久司=「それが一番いいんです。昔の侍があちこち歩いて修行しているみたいにね。そうするとすばらしいものが生まれてくるんです。しかし、あなたの治療を拝見していると、技術ではなくて、あなたの想いを送ることで癒しているとの想いが強くします。あなたの治療に特徴があるとすれば、その精神性の高さじゃないかな」倉富―「先生からも随分影響をうけました。先生のおっしゃる「想」の治療を私は知らず知らずのうちにやっていたのではないかと思います」