日曜日の本日はインストラクターの勉強会で九段下のキャリアの道場にこれらいきましす。
アーツッ!地震が来て今家が揺れています。窓ガラスがガタガタッーが収まりました。7:38Am。
遠くでサイレンの音がしています。
チョツト怖い気がしますが、東京にはいつ地震が来てもおかしくないので、危機管理をして早目に出かけることにしました。
何かが動き出す時に地震が来ると成就される証だと聞いていましたので。
続く。
東京の町田市鶴川に引越ししました。
息子の経営する会社の寮があるので、そこを拠点にして、しばらく日本で仕事をすることになりました。
朝起きたら朝日と緑が目に差し込み、夜はベランダから北斗七星が目前に入るような良い所で、びっくりしています。
鶴川の駅から歩いて5分という、小さな山の丘が坂になっていて、サンフランシスコに環境が似ています。
坂の登り降りもサンフランシスコで鍛えていたので、苦にならず、逆にいい運動になり、たのしめます。大家さんがお寺の住職さんというので、お墓も目前に、こじんまりとしたアパートや一軒家も所狭しと長屋のようにありです。
都内には小田急線で50分の所で、通勤も苦にならない距離です。
思わぬ息子からのプレゼントに、心が熱くなりました。
東京で仕事ができる環境が整いました。
iPadから送信
高校二年生さんからのコメントありがとうございました。
コメント
「失礼にあたるかも知れんませんが、倉富先生は顔が広いですね。
もし先生が周りにいる方々と心を通わせているのであれば、素晴らしいことだなと思います。
倉富先生の目指す世界と周りが目指す世界に違和感を感じることもあるのかもしれませんが、まずお互いに許し合うことから始まるのだと思います。」
いつもブログを読んでくれ、コメント頂きありがとうございます。
「人の出会いは一瞬遅からず早からず」を肝に銘じながら、出会いを大事にしています。
東京に来てからは帰国の挨拶回りで、走り回っています。
東京は2ヶ月留守すると忘れられてしまうとかです。
私が訪問する方達は、皆さん25年の付き合いの中から生まれたものです。
それに少し新しい出会いがあつた方々ですね。
福岡から東京に出て来た時に、福岡とは違う東京の人脈ネツトワークの凄さに、タジタジしたりしました。
江戸の百万都市から続く、江戸しぐさなどのしきたりや、マナーを先輩から教えて頂きました。
福岡にいる時のような親から続く、お山の大将では東京では通用いたしませんので。
基本には人が大好きという、ねあかな性格も手伝って、やって行けています。
アメリカ、北欧、日本でこの一年間に会った人の数は延べ人数2.200人でもを超えています。
良い人の出会いを大切にこれからも精進したいと思っています。
神宮前の致知出版の藤尾秀昭社長を訪問しました。
月間致知を始めて知ったのは、福岡の笑顔共和国の福田純子さんを通じてからでした。素晴らしい本があるからと、致知の購読を勧められました。
購読者として、25年目を迎えていますが、背水の陣の時に読む致知に何度となく、心が救われました。
アメリカに渡ってからは,切れた凧のようにならないように、致知を聖書のように持ち歩いていました。
致知に書かれていることは、魂に響く語りがあります。
致知出版の前身の竹井博友社長がまだ30歳の藤尾社長を編集長に抜擢されたところから、藤尾社長の今日の姿は預言されていたようです。
人の世の強欲から、ギリギリに落ち込み立ち直るまでの過程を書かれていますが、成功者の自慢話でなく、情に訴えながらの文脈に、読む人の心を引きこんで行くところが魅力な致知になっていると思っています。
数年前のものでも時折読み返しながら、今の自分に役立つ内容もあり、一生を通じて読める内容です。
若い人たちの間でも致知の購読者が増えているそうです。
藤尾秀昭社長の35周年記念講演に
「人生は投じたものしか帰ってこない。
そして人間の花は、十年後に咲く。」
物質は心につながっています。
最近は、逆発想の動きが始まってきました。
心の問題、愛の問題も以前から気がついていましたが、更にこれからやって行くと、"そうだ"ということになります。
人から言われてするのではなく、自分で選ぶ時代です。
明治維新から欧米の文化が入って来ましたが、日本は中世以降からやっていたことでした。
鎖国していたので、江戸幕府は対応できませんでした。
日本の江戸には、農民でもなく商工ですごい人がわんさかいました。
ヨーロッパは人口4.5万の時に江戸には100万人いました。
江戸末期に欧米が入って来ましたが、日本人は対応しました。
元々あったものだからです。
科学の技術もずば抜けていて、コンピュターも日本人が作った物ですが、このコンピュターは自分でみつけなければいけないものです。
人から言われてするのではなく、自分で選ぶ時代になりました。
メディアもそうです。
昔と違い真実が見えてきます。
健康もそうですね。
昨日小田原のワークショップに行きました。
集まって来た女性たち60代前後という、皆さんは、からだの何処かに痛みがあると、いう人ばかりでびっくりしました。
膝が痛い。
尾てい骨が痛い。
右腕が上がらない。
首、腰が痛い。
交通事故の後遺症。
自律神経失調症。
ヘルペス。
60歳くらいでからだに痛みがある人で、これから年取って行くにつれからだが更に硬くなって行きます。
ストレッチで改善されるものばかりの痛みで、日本の良い習慣をアメリカから変えられた結果にあります。
60歳といえば、子供も成長し孫が出来る年代で、年金ぐらしの優雅な暮らしで、お一人の女性は、来週からヨーロッパに行かれるとか。
そういうお金持ち層も医療費は無料のところに。
ある方が言われていましたが、「病院の待合室は、いつも満員でお話するのが楽しみ、今日は、元気だから病院に来れました」という。
元気だったらほかにすることもあるでしょうに。
医療制度のあり方を考える事で、税金の使い道をもっと有意義にして欲しいですね。
アメリカの医療保険も高すぎて考えものですが、日本の医療保険もこのままではいけません。
次世代の子供達の為になる、税金の使い方をして欲しいですね。
日本の教育の落とし穴のひとつに山本太郎参議院議員、橋本徹市長達が受けた日教組の教育に問題があると思います。
日本の天皇制は、世界のどこにもない2.000年も続く長い歴史があります。
天皇家の儀式の中には、一般に公開されないものもあります。
山本太郎議員の世代には、日教組の影響で、天皇家についての教育は、通り一遍の物しかなく、手紙を天皇陛下に渡すという事がどんなことかという、意識が欠落していたと思います。
こんな騒ぎになるとは、本人もビックリ!と言っているくらいです。
橋本徹市長も同じく、宗教について知らない結果、カトリックに入り込んでしまい、カトリック信者を冒涜したように思います。
カトリックは離婚は許されないし、婚前交渉も禁止です。
風俗は法律で許されていません。
カトリックには厳しい十戒律があります。
戦後の日本の教育の欠落がこのような結果に繋がつたと思います。
海外に住んでいて思うのは、王政を持っている国は、ランクが上という事です。
フィンランドは経済が伸びてシッカリした国になっていますが、お隣の王政があるスウエーデンには劣るという風にです。
一万二千年以上続いた縄文には、戦争がなかった。
天変事変はあったが、人間がが作り出したもので、不都合なものはなかった。
リーダーはいたが、かってそういう時代があったという、生き方を学ぶことが大事です。
国際縄文学協会を10年やって来たけど、人の流れの生き方が変わったのは、初めての事。ここ1.2年ですごく変わった。
デカルト以降の科学は、物を大切にしました。
心の問題は一旦外に置いて、
何が欠けるのか。
人間は、心なくして生きていません。
科学によって失われていたもの、限界に来ています。
続く。
朝のニュースで山本太郎の園遊会で天皇陛下に手紙を渡したことで、問題になっていましたが、日本に帰ってからテレビを見ながら、出る釘は叩かれる日本を思い出しました。
橋下徹市長の慰安婦発言の時と同じですね。
橋下市長について、西垣内先生は、同じ弁護士として述べられたことは、
人の考えない大阪都構想をやろうとしていて、今までにない展開構想し、具体案も出し優れた役割果たそうとしています。
しかし彼のやり方には限界があります。
どういう風にしたら良いのか明言できていません。
ユダヤは、1000年の後のことを手打って来る。
欧米もそれなりに手を打ってきますが、それはそれで良い。
日本人が、"なあなあ"外交で来ても日本になっています。
どうしてかというと、日本は細かい技術を持っていて、理屈でなくて優れた技術を出します。
コンピュターの技術も日本人の技術です。縄文以来の持続した技術力は、日本人はそう簡単に滅びません。
続く。
武蔵新城の越川禮子先生の自宅を訪問しました。
本厚木から小田急線の登戸で南武線に乗り換えて、武蔵新城まで所用時間約一時間帰国挨拶に回っていますが、片道2時間は普通だと思って、動かないと行けません。
電車の乗り換えをしながら歩く時間は、一時間以上なので、いい運動になっています。
サンフランシスコに住んでいる時のように、散歩時間を取る必要もなく、歩く東京です。
88歳の越川 禮子先生は、ベストセラー「江戸しぐさ」の作者で、80歳で世に出られました。
遅咲きの華🌸ですが、からだが元気であれば、80歳になっても大丈夫。
我々女性に夢を与えて下さいました。
先生は、「倉富さんとは24年前に始めて新宿の青木先生の所で、お会いしましたね。
その後倉富さんの新宿御苑のヒーリングオフィスを、訪ねた時に玄関にお父様の写真が掛けてありましたが、そのお顔が今でも忘れられません。
最近倉富さんもお父様に似て来られましたね」というお言葉をかけて頂きました。
禮子先生に「何をしている時が楽しいですか?」と質問したら、「人と会っている時です」とすぐさま答えられていました。
思い立ったらすぐに行動に移す。
夕食の時に「愛子先生89歳は、どうされているかしら」と言われ、誰も知らなかったら、直ぐに電話を入れてお話しされていました。
88歳の禮子先生が89歳の愛子先生に、?マークの解決を直ぐ行動し、後伸ばしにしないという、人と違う頭の回転に感服いたしました。
サンフランシスコの次男の越川猛夫氏も今回は、デニス、バンクスの映画の試写会のため為に来日されていて、ご一緒になりました。
腰川家は母、息子で、ムーブメント活動で社会貢献されていて、素晴らしいですね。