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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

とんぼ

2011-09-05 08:58:11 | 日記
 台風12号の影響もここ横浜では幸い軽微なものだった。風が強く吹く中、セミだけが短い命の時間を惜しむように全力で鳴いていた。韓国テグで開かれた世界陸上最終日の男子マラソンゴール付近の映像を見ていたら、トンボが多いことに気付いた。都会育ちの若い人には信じられないだろうが、昭和の後半まで、日本にも今頃の季節になると空を赤く染めるぐらいたくさん、赤とんぼが飛んでいたのを思い出した。そしてまた、空を覆うように飛んでいた爆撃機がいたことに、連想が跳んだ。
 
 1945年(昭和20年)、日本全国の都市にはアメリカ軍の執拗な空爆が繰り返された。建物という建物が軒並み燃え落ち、東京の街も焼け野原になった。その年の今頃、それでもトンボは飛んでいたのだろうか。
 
 1945年8月15日、日本国民の多くが日本の降伏とポツダム宣言受諾を知ったが、北から侵入したソ連軍と交戦していた部隊は、日本という国を守るため、戦いをやめることが出来なかった。すでに中央では帝国陸軍・帝国海軍の体をなさなくなっていた地方に置き去りにされた部隊が、大量の兵士と武器とを動員して押し寄せるソ連軍と死力の限り戦っている。樺太戦線での抵抗の激しさからソ連軍は北海道上陸を諦めたという話もある。この時戦った日本兵は、国家や組織によって縛られた存在ではない。すでに武装解除して解散することを約束した軍隊だった。言わばボランティア軍のような存在だ。しかし、当時の記録では、個人的な理由で戦線を離脱するものは一人もいなかったという。自分たちの国が、言われもない無意味な略奪に合うことを必死で食い止めようと心に誓った兵士たちが、武器も弾薬もほとんど持たない状況で1週間近くの間、戦いに戦い抜いた。司令部からの武装解除命令を受けて日本軍が武装解除を行ったのは、ソ連軍の侵攻を食い止め、停戦に持ち込んだ後の8月23日だと言われている。
 
 ハリー・S・トルーマン。日本全土に焼夷弾の雨を降らせ2度の原爆投下を命じたアメリカ大統領である。彼の娘、メアリーが命名した戦艦の甲板で、日本が降伏文書に署名したのは1945年9月2日である。調印の朝、戦艦ミズーリの上空には空を覆うようにアメリカ空軍の戦闘機や爆撃機が編隊で飛行し、アメリカ軍の強大さを誇示した。アメリカが強さを誇示した相手は膝を折った日本ではなくソビエトであったが、そのソ連軍は調印式後も侵攻を止めず、国後、色丹、歯舞などの制圧を完了したのは、66年前の今日、9月5日であった。ようやく日本全国で戦争による銃声が終わった日だった。
 
 赤とんぼが舞い、ヒグラシが鳴き、夕焼けが空を彩る。そんな美しい光景を戦地で眺めたい人がいるわけがない。空を覆うほどのとんぼは見られなくなってしまったが、大震災にあってもなお日本は平和で強い。未来を信じ、必死に戦ってくれた人達のおかげだ。この託されたバトン、この国の未来を信じるという強い気持ちを私たちも未来に繋いでいこう。

 1945年9月5日は特に何があったということもない1日だったが、今に続く平和が始まった最初の1日だった。2011年9月5日はさてどんな1日になるのか。(三)
 
 
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  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
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