世間はすっかり秋めいてそのまま冬に突入しそうな感じです。こんにちは。
最近居住地の地方自治体で「平等」に関する感じ方のアンケートがあったらしいです。
行政として「平等」を錦の御旗にかかげ、色々と政策を決めていこうという腹積もりなのでしょうが、なんだかなあ、と思ったので今回はこの話題です。
言葉遊びの領域になってしまうのかも知れませんが、正直「平等」という言葉はあまり好きではありません。平等に影のようについて回る「差別」という言葉も暗いイメージがあるのですが、なんとなく「平等」そのものに胡散臭さを感じるからです。
まず言葉の定義ですが、辞書を引いてみると
平等(equality):かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。
となっています。人間の社会において「かたよりや差別がなく」「みな等しいこと」という事自体が既に有り得ない事象であることが、この言葉の功罪でもあるのでしょう。
私自身法学部出身のため、よく「法の下に皆平等に扱われる」などという言葉は学生時代によく耳からも目からも入ってきました。
ただし、ここに大きな落とし穴があります。皆さんも言葉として馴染みの深い「民法」や「刑法」は「神の法律」と呼ばれています。これらで定義されている法律は実際にそうであったことを証明することがひどく難しいのです。実際に契約において口約束(口約束であろうと契約です。証拠が無いだけで)や周辺事情も含めて民法のどれが適用できるか?人を殺したるものほにゃららの刑罰に処す、とあっても実際に現場を見ていて動機も含めて完全に立証することはできません。つまり民法や刑法を完全に適用できるのは全てを見通せる神様だけですよ、という意味なのです。
これらを補完し、実際に運用するために規定されているのが「民事訴訟法」と「刑事訴訟法」なわけです。
それぞれの法は定義となるものと運用規則があって初めて意味を成しています。片方だけでは存在する意味がないのです。
前述で登場した平等とは「民法」「刑法」あるいはそのもとの「憲法」で登場するもので、やはり理念や理想の類であって現実的ではないのではないでしょうか。
対して私が好んで使うのが「公平」です。
公平(fairness):すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。
同じじゃないの?と思われる人も多いと思いますが、「同じように扱うこと」という点において大きな違いがあると思います。「平等」が定義であるのに対して「公平」は行動主体があるのがその点です。
500円を5人で分けるときに、100円ずつ分ける。これが平等です。
500円を5人で分けたいけど、1人が緊急で500円必要であり、他の4人はそのときは我慢して
また別の機会や違った形で補填される。これが公平です。
前者はひどく分かりやすいですが、それぞれが抱える事情は完全に無視します。逆に考慮してはいけないのです。その時点で平等は崩れます。
後者はいささか難しい問題がついて回ります。500円必要な「緊急度」を5人で認識をあわせて共有しないと実現は難しいでしょう。ですが難しいという点において簡単に定義されてしまうものより信頼性が感じられます。分かり易い定義は人から思考を奪う様な気がするからです。
公平とはただ平らに、ただ等しくではありません。そこに代替手段、区別等も含まれます。
そこに争点が生まれてしまうのですが、力の強いものも弱いものも全て等しく扱い、同じ条件を課すことが正しいのかどうか。このブログを読んでいる奇特な方にも考えて欲しいところです。
社会保障も本来社会に生きる人全てを「公平」に扱う事が原点だという見方もあってもいいのではないのでしょうか?そこで「弱者救済」のみに焦点を当てるからおかしな事になっているような気もします。
なんだかよく分からない話になってしまいましたが、カタカナにすると分かり易いですかな。
「フェアな精神」はあっても「イコールな精神」はないですよね。それだけ生き方や心の有り様に近いのが「フェア」なのでしょう。
ということでフェアを常に考える精神を。フェアレディZと言ったら2代目のS130型系だよね。
・・・・しまった、オチが強引すぎたようだ・・・。
(刑事長)
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
最近居住地の地方自治体で「平等」に関する感じ方のアンケートがあったらしいです。
行政として「平等」を錦の御旗にかかげ、色々と政策を決めていこうという腹積もりなのでしょうが、なんだかなあ、と思ったので今回はこの話題です。
言葉遊びの領域になってしまうのかも知れませんが、正直「平等」という言葉はあまり好きではありません。平等に影のようについて回る「差別」という言葉も暗いイメージがあるのですが、なんとなく「平等」そのものに胡散臭さを感じるからです。
まず言葉の定義ですが、辞書を引いてみると
平等(equality):かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。
となっています。人間の社会において「かたよりや差別がなく」「みな等しいこと」という事自体が既に有り得ない事象であることが、この言葉の功罪でもあるのでしょう。
私自身法学部出身のため、よく「法の下に皆平等に扱われる」などという言葉は学生時代によく耳からも目からも入ってきました。
ただし、ここに大きな落とし穴があります。皆さんも言葉として馴染みの深い「民法」や「刑法」は「神の法律」と呼ばれています。これらで定義されている法律は実際にそうであったことを証明することがひどく難しいのです。実際に契約において口約束(口約束であろうと契約です。証拠が無いだけで)や周辺事情も含めて民法のどれが適用できるか?人を殺したるものほにゃららの刑罰に処す、とあっても実際に現場を見ていて動機も含めて完全に立証することはできません。つまり民法や刑法を完全に適用できるのは全てを見通せる神様だけですよ、という意味なのです。
これらを補完し、実際に運用するために規定されているのが「民事訴訟法」と「刑事訴訟法」なわけです。
それぞれの法は定義となるものと運用規則があって初めて意味を成しています。片方だけでは存在する意味がないのです。
前述で登場した平等とは「民法」「刑法」あるいはそのもとの「憲法」で登場するもので、やはり理念や理想の類であって現実的ではないのではないでしょうか。
対して私が好んで使うのが「公平」です。
公平(fairness):すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。
同じじゃないの?と思われる人も多いと思いますが、「同じように扱うこと」という点において大きな違いがあると思います。「平等」が定義であるのに対して「公平」は行動主体があるのがその点です。
500円を5人で分けるときに、100円ずつ分ける。これが平等です。
500円を5人で分けたいけど、1人が緊急で500円必要であり、他の4人はそのときは我慢して
また別の機会や違った形で補填される。これが公平です。
前者はひどく分かりやすいですが、それぞれが抱える事情は完全に無視します。逆に考慮してはいけないのです。その時点で平等は崩れます。
後者はいささか難しい問題がついて回ります。500円必要な「緊急度」を5人で認識をあわせて共有しないと実現は難しいでしょう。ですが難しいという点において簡単に定義されてしまうものより信頼性が感じられます。分かり易い定義は人から思考を奪う様な気がするからです。
公平とはただ平らに、ただ等しくではありません。そこに代替手段、区別等も含まれます。
そこに争点が生まれてしまうのですが、力の強いものも弱いものも全て等しく扱い、同じ条件を課すことが正しいのかどうか。このブログを読んでいる奇特な方にも考えて欲しいところです。
社会保障も本来社会に生きる人全てを「公平」に扱う事が原点だという見方もあってもいいのではないのでしょうか?そこで「弱者救済」のみに焦点を当てるからおかしな事になっているような気もします。
なんだかよく分からない話になってしまいましたが、カタカナにすると分かり易いですかな。
「フェアな精神」はあっても「イコールな精神」はないですよね。それだけ生き方や心の有り様に近いのが「フェア」なのでしょう。
ということでフェアを常に考える精神を。フェアレディZと言ったら2代目のS130型系だよね。
・・・・しまった、オチが強引すぎたようだ・・・。
(刑事長)
monipet
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ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業