季節は急だ。寒いから遅れるだろうと思っていた桜はとうに終わり、公園の周辺は乗り遅れまいと懸命に咲くつつじが満開になった。芝生だったところには雑草として生えたであろうタンポポとアザミが元気よく黄色い花の世界を作っている。
気温は初夏のように上がっても、昆虫たちはまだ卵からかえったばかりだ。幼虫が多く成虫が少ない。毛虫芋虫のたぐいがわが家周辺の木々にも大変多い。虫たちも春を飛び越して到来してしまいそうな夏に備えて焦っているかもしれない。
季節の回転が早いと幼いものが幼いまま次の季節を迎えてしまうという事態をもたらす。ある時タイムマシンのようなベルトコンベアーのようなわけのわからないものに乗せられて、気がついたら、頭の中はまったく子供のままなのに大人社会に飛び込んでしまっていた、という人も多かろう。私などはまさにその口だ。同年代の友人と話すたび、同じ時間を過ごして来たはずなのになぜこいつはこんなに世の中のことを良く知っているのだろうと感心することが多くなったりもする。年齢を重ねれば重ねるほどその差は大きくなるばかりだ。
出発点が同じでも、飛び出す角度が1度違えば、時間の経過とともに飛行経路の違いがはっきりしてくるのは道理だ。ちょっとだけ上に向かって飛び出した人はその後どんどん遠く離れていく。
その「ちょっとだけ」とは果たして何なのか。それは、われわれ人類が人類として生き残って来た理由そのものであるように思える。人類は、他の類人猿より「ちょっとだけ」うまく言語を操り、周囲とのコミュニケーションを通して文明を興し文化を築いて来た。
「ちょっとだけ」言葉の理解が早い子供は、「ちょっとだけ」早く大人の言葉を理解するようになるだろう。テレビやラジオや新聞や絵本やマンガやその他多くの電子的な情報源から毎日「ちょっとだけ」多くのことを知り、「ちょっとだけ」多くの知恵をつける。それがさらに「ちょっとだけ」言葉を操る力を増やし脳の言語中枢に構築されるシナプスは日々「ちょっとだけ」複雑さを増すに違いない。一つの言葉から連想できる他の言語のパターンが増え、自分で何か考えを深めようと思い立った時には、それを表現できる語彙を蓄えている自分に気がつく時が来る。そして自分に足りないものは何か、それすらも見えてくるかもしれない。
自分に足りないものが見えた人の成長は早い。オリンピックの強化合宿でコーチが行うのはまさにこれだ。盛んに選手の試合風景をビデオで見せ、内容を分析してその選手に足りないものが何か気づかせる。しかし、すでに一流選手として悩み苦しんで自分の言葉を持っている選手達だからこそ、それができる。脳内の言語イメージが自分に不足しているものが何か気付くまでに発達していない場合は、ほとんど意味が無い。
自分の成長より世界の変化のほうが早かったと感じる人達は、つまり私も含めてだが、毎日コツコツと自分が操れる語彙を増やす訓練をしてみるのはどうだろう。そのために例えば新聞を読むとか本を読むとか、まず読む事から始めてみる。そのうちに書くこともやってみる。書いたものを誰かに読んでもらう。そして褒めてもらう。そうするうちに「ちょっとだけ」言葉を操る力が増し、いつしか自分に足りないものが見えてくる。ただ焦ってしまうと自分の考えを形にする語彙もないのに、自分に足りないものを表現する語彙だけを集めて自分で自分の心を傷つけてしまう場合がある。
季節は急だが人はそんなに急に変われない。それでも変わろうと思って「ちょっとだけ」努力した人は確実に変わって行く。長い時間を要するかもしれないが、いつか急に変わって世界の変化について行ける日も来るだろう。その時は是非、自分をそのように導いてくれた多くの先人達に感謝の言葉を伝えたい。最後に理解する言葉こそきっと「ありがとう」という言葉だろうと思う。(三)
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
気温は初夏のように上がっても、昆虫たちはまだ卵からかえったばかりだ。幼虫が多く成虫が少ない。毛虫芋虫のたぐいがわが家周辺の木々にも大変多い。虫たちも春を飛び越して到来してしまいそうな夏に備えて焦っているかもしれない。
季節の回転が早いと幼いものが幼いまま次の季節を迎えてしまうという事態をもたらす。ある時タイムマシンのようなベルトコンベアーのようなわけのわからないものに乗せられて、気がついたら、頭の中はまったく子供のままなのに大人社会に飛び込んでしまっていた、という人も多かろう。私などはまさにその口だ。同年代の友人と話すたび、同じ時間を過ごして来たはずなのになぜこいつはこんなに世の中のことを良く知っているのだろうと感心することが多くなったりもする。年齢を重ねれば重ねるほどその差は大きくなるばかりだ。
出発点が同じでも、飛び出す角度が1度違えば、時間の経過とともに飛行経路の違いがはっきりしてくるのは道理だ。ちょっとだけ上に向かって飛び出した人はその後どんどん遠く離れていく。
その「ちょっとだけ」とは果たして何なのか。それは、われわれ人類が人類として生き残って来た理由そのものであるように思える。人類は、他の類人猿より「ちょっとだけ」うまく言語を操り、周囲とのコミュニケーションを通して文明を興し文化を築いて来た。
「ちょっとだけ」言葉の理解が早い子供は、「ちょっとだけ」早く大人の言葉を理解するようになるだろう。テレビやラジオや新聞や絵本やマンガやその他多くの電子的な情報源から毎日「ちょっとだけ」多くのことを知り、「ちょっとだけ」多くの知恵をつける。それがさらに「ちょっとだけ」言葉を操る力を増やし脳の言語中枢に構築されるシナプスは日々「ちょっとだけ」複雑さを増すに違いない。一つの言葉から連想できる他の言語のパターンが増え、自分で何か考えを深めようと思い立った時には、それを表現できる語彙を蓄えている自分に気がつく時が来る。そして自分に足りないものは何か、それすらも見えてくるかもしれない。
自分に足りないものが見えた人の成長は早い。オリンピックの強化合宿でコーチが行うのはまさにこれだ。盛んに選手の試合風景をビデオで見せ、内容を分析してその選手に足りないものが何か気づかせる。しかし、すでに一流選手として悩み苦しんで自分の言葉を持っている選手達だからこそ、それができる。脳内の言語イメージが自分に不足しているものが何か気付くまでに発達していない場合は、ほとんど意味が無い。
自分の成長より世界の変化のほうが早かったと感じる人達は、つまり私も含めてだが、毎日コツコツと自分が操れる語彙を増やす訓練をしてみるのはどうだろう。そのために例えば新聞を読むとか本を読むとか、まず読む事から始めてみる。そのうちに書くこともやってみる。書いたものを誰かに読んでもらう。そして褒めてもらう。そうするうちに「ちょっとだけ」言葉を操る力が増し、いつしか自分に足りないものが見えてくる。ただ焦ってしまうと自分の考えを形にする語彙もないのに、自分に足りないものを表現する語彙だけを集めて自分で自分の心を傷つけてしまう場合がある。
季節は急だが人はそんなに急に変われない。それでも変わろうと思って「ちょっとだけ」努力した人は確実に変わって行く。長い時間を要するかもしれないが、いつか急に変わって世界の変化について行ける日も来るだろう。その時は是非、自分をそのように導いてくれた多くの先人達に感謝の言葉を伝えたい。最後に理解する言葉こそきっと「ありがとう」という言葉だろうと思う。(三)
monipet
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横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
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