引き出し

　現在朝3時、新調したPCの前でうなだれていたところ、漸く血の巡りが悪くなってきたのか、難しいことを 考えるのは止めてさっさと終わらせればよいというところに行き着いた。 　こういったことは大の苦手で、自分の被害妄想なら良いが、やれ面白い話をしろだのためになる話をしろ だの言われることが過去度々あった。決まって自分は、脈絡も無く話が出来るわけないだろう、と答える のだが、正直心中は情けないやら申し訳ないやらで複雑だった。あの時はあんなにすいすいとどこで仕入 れたかもその真偽もわからない話を如何にも体験してきたかのように語って聞かせていたのに、と思い返 すのだ。友人らがそれを楽しんでいてくれていたのなら尚更、自分の意思で引き出しを開けられない自分 が不甲斐なく感じた。 　今もここで、何か書かなければと焦っているのだが、何も出て来はしなかった。時事の話や、偉人の話、 日常に感じた話など、考えていなかったわけではないが、どれもまったく筆が進まなかった。なんという か、改めて文に起こそうとすると、妙な気恥ずかしさというか、とにかく向いていないのだな、と思う。 なぜ向いていないのか、ここで俗に言う話の引き出しの話に移る。おそらく私の引き出しは、ひどく乱雑 で、一切の整理がされていない状態だ。要するに、きれいに整頓された云わばストックと言えるものがな いのだ。さらに言えば、喋りたいことなどそもそもそれほどないのだ。引き出しと言うよりは、穴だらけ の容器であり、誰かがそれを揺らしたときに漏れ出てくるものを舌に乗せているだけに過ぎないのだ。私 は、充実していると感じる会話であるほど、それを強く確信する。言葉はただの結果で、本質は聞くこと 、促すこと、相手の引き出しと呼ばれる容器を良く揺らしてやることにあるのだ。少なくとも、私は今ま でそうしてもらってきたのだ。 　ここまで読んで、何を当たり前のことを、思われるかもしれない。話は少し変わるが、胸に秘めているう ちは時に支えとなり、時に戒めとなるが、言葉にする途端に価値のなくなるものが世の中にはある。それ は大半が"考えてみれば至極当たり前のこと"で、以上に書いたようなことも、ことあるごとに声高にそれ を宣っていれば段々と厭らしくなってくるのがすぐ想像できる。 　情報技術の発展でテキストがあふれかえっている今の時世、ブログやSNSで自分のストックを発散させる人 が増加しているように見える。結果どうも"言葉にしない価値"が無意識に軽んじられ、もはやそこに思い 至らない人もとみに増えているのではないだろうか。言葉にしなくても伝えられることはある。伝わって しまうこともある。決して情報化で人の機微が失われていると言いたいのではなく、不器用になって、だ んだんと受け手が気づけなくなっているのだと思う。巷に氾濫するただ耳触りが良いだけの言葉や美談の やり取りを見ていると、そう思いたくもなる。気恥ずかしさや、斜めな視点がそう思わせているのではな く、字面や外見だけが一人歩きをし、その背景が失われ、新たに生まれることもなく消費され尽くす。そ れは今に始まったことではないかも知れないが、それは確実に存在し、その速度は日々増していっている と私は感じる。(吾)

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