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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

とっさの一言

2015-12-14 08:28:12 | 日記
 歩道を走って来た小さな女の子がスピードを緩めず交差点に飛び出した。そこに「危ないよ」の声が飛んで、車道を数歩進んだ所で女の子はピタリと止まり、その脇をすり抜けるように軽トラックが走って行った。声の主は交差点を渡ろうとして縁石の上に立っていた男子小学生だった。車が行ってしまうと、女の子も男の子も何事も無かったように交差点を渡って行った。

 数日前の朝の出勤時に目にした光景だ。
 「危ないよ」という少年の一言がなければ、あの女の子は大変なことになっていただろう。少年よくやった、私は密かにガッツポーズを作って交差点の反対側を彼らとは逆の方向に歩いた。

 人それぞれ、いついかなる時に危機に直面していても不思議ではない。しかも自分でそうとは知らずに。「危ないよ」と声をかけてくれる人が近くにいればいいが、そうでなければいきなりガツンと来る。ただ、その声が耳に届かない場合もある。せっかく発せられたとっさの一言に素直に反応することができなければ、事故は起きる。

 1980年代の終わり、日本は膨れて行くバブルに飲み込まれていた。時代の空気が変わりハードウェア(アナログ)からソフトウェア(デジタル)に向かう産業のパラダイムシフトが起きていた。あちこちから「危ないよ」と言う声が発せられていたが、それを聞くリーダーはほとんどいなかった。その結果、何の受け身も取らずに大穴に墜落した日本には1990年代以降、失われた20年と呼ばれる長い停滞期が訪れた。今もまだそこから抜け出せたとは言えない。

 とっさの一言を発する訓練をすることは、とっさの一言に柔軟に応える自分を作ることに通じるように思う。常に柔らかくいる、ということだろうと思うが、簡単では無い。一方で曲がらぬ強い意志を持ち、一方で柔らかな発想と気遣いを持っていたい。曲がらぬ強い意志は、諦めない前向きな気持ちだ。

 ただバブルの時も先の大戦中も推進派の諦めない強い意志が被害の拡大に繋がった面があることは無視出来ない。何でもっと早く止められなかったのか、今もそう反省する日々を送る人がいる。自分の立つ位置はだから本当に大切だ。常に柔らかくいようと周囲に合わせて波に飲み込まれているだけだと目の前で起きている誰かの危機に気が付かない。気が付いてもとっさの一言が出ない。

 気が付かなかったならまだいい。いや、良くはない。が仕方がない。しかし、気が付いていたにも関わらず声を発することが出来なかったというのでは悔しい。

 2013年10月に私は『強さ』と題して、踏切内で動けなくなっている老人を助けるために危険をかえりみず、とっさに行動を起こした村田奈津江さんのことを書いた。
 気がついたらとっさに身体まで動いてしまう人もいる。もうそこまで若くない今は、せめて声をあげて危険を回避できればと思う。(三)


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株式会社ジェイエスピー
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