弊社ブログを閲覧いただいている皆さんこんにちは。
埼玉某所で危うく遭難(?)しかけた(清)です。
先日東京都心部で初雪を観測した日に埼玉某所に出陣していたのですが、田んぼの真ん中に差し掛かったあたりで強めの風雪に見舞われてしまい全身雪まみれになってしまいました…
実家の方でもなかなかあんな風雪になることが無いのに何故よりによって埼玉のしかも初めて行った場所で…
まあ、ある意味絶対に忘れられない思い出になったのでこれはこれで良しとしましょうか(笑)
と、前置きはこのくらいにして本題に入りましょう。
年末年始は毎年福島県の実家に帰省しているのですが、今回は4,5日を有休にして長めの帰省をしていました。
折角の長い休みだから有効活用したいなーと思い色々考えていたのですが、
「そういえば福島にずっと住んでたのに福島の城全然行ってないわ」
と気付いちゃったので、
「この休みで福島県内の百名城全部行ってやる!」
と思い立って実行に移してきました。
という訳で今回は、福島県にある3箇所の百名城の話を書いていこうかと思います。
【1日目:二本松城】
まず初日は霞ヶ城の別名でも知られている二本松城。
(実家から一番近いので最初にしました)
ここ二本松は室町時代最初期に奥州管領として東北地方に封された畠山氏が居館を構えたことに始まり、二本松氏と姓を変えた後の2代当主・満泰が二本松城を築城、安土桃山時代に至るまで200年以上に亘って同氏がこの地を治めてきました。
しかし、9代当主・義継が伊達政宗と敵対、政宗の父・輝宗の拉致を謀り討たれたことにより滅亡し、その後は伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏(嘉明系)、丹羽氏とその主を変えていくことになります。
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二本松城を訪れるとまず見えるのがこの箕輪門。二本松城の写真で一番よく見るのがここではないでしょうか。
この門をはじめとした山麓の近代城郭部分については加藤氏~丹羽氏の時代の改修で生まれたものと言われています。
箕輪門から入城し三の丸を過ぎると中世城郭の風合いが残る曲輪等が見られ、坂を上っていくと天守跡と蒲生氏時代に築かれたとされる野面積みの大石垣が待ち構えています。
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この天守跡から更に北側には別の峰が繋がっているのですがその最中には堀切が設けられており、各方向からの攻撃にも耐えられるよう工夫された堅牢な城であることが見て取れます。
【2日目:会津若松城】
2日目は西に足を延ばして会津若松城へ。
鶴ヶ城という別名もかなり知られているのでこちらの名前も聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか。
しかし、この「若松」という地名は元からの地名ではありません。
鎌倉時代からこの地を治める蘆名氏が室町時代に居館や城を築いた時には「黒川」という地名でした。
蘆名氏は長らくこの黒川城を中心に会津地方一円を治め、16代当主・盛氏の代に最盛期を迎えます。
しかし、盛氏の死後は急速に衰え伊達政宗に滅ぼされることになるのですが、その伊達氏も奥州仕置にて会津領を奪われ、代わりに蒲生氏が封じられることとなります。
この蒲生氏の当主・氏郷が出身地である近江国(現・滋賀県)日野城近くの地名から取って名付けたのが「若松」と言われています。
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恐らく会津若松城として一番有名な画角でしょうか。
ちゃんとこの角度の写真が撮りやすいようフォトスポットが整備されてますので訪れた際は是非撮ってみてください(笑)
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元の天守は先述の蒲生氏時代(豊臣系特有の金箔瓦も見つかってます)に造られたのですが、今のような形の天守になったのはその後の加藤氏時代、特徴的な赤瓦(それまでの黒瓦だと会津の気候では凍み割れを起こしてしまうため改良された)に変わったのは保科氏時代と言われており、各時代の工夫の総決算が今の姿とも言えますね。
また、会津若松城と切っても切れない関係なのが戊辰戦争(会津戦争)時に白虎隊が自刃した地である飯盛山。
勿論こちらにも行ってきましたが、自刃の地からは会津若松の市街地が広がる向こうに小さくお城が見えました。
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ちなみに、白虎隊だけずば抜けた知名度があるためあまり知られていませんが、当時の会津藩軍は年齢をもとに白虎、朱雀、青龍、玄武の4隊に分けられており、その中で一番年少だったのが白虎隊になります。
また、先程紹介した二本松も旧幕府軍として会津と共に戦っており、白虎隊と同世代の(なんならもっと年少もいた)少年達によって構成され壮絶な戦いに身を投じたその名もずばり「少年隊」と呼ばれる部隊も存在しました。
(おいそこ!仮面舞踏会とかデカメロン伝説とか言わないの!)
【3日目:白河小峰城】
最終日は実家から自宅に戻りがてら道中の白河小峰城に。
この辺りは下総結城氏から分家した白河結城氏が治めていた地で、3代当主・親朝が阿武隈川沿いにあった丘陵である小峰ヶ岡に築城したのが白河小峰城の始まりと言われています。
白河結城氏が奥州仕置で改易された後は、先述の会津領の一部として蒲生氏や上杉氏の支配下に置かれましたが、その後近隣の棚倉から移封された丹羽氏の時代に大規模改修が行われ、東北地方としては珍しい総石垣造りの城へと変貌することとなりました。
(ちなみに、丹羽氏が二本松へ移ってからは次々と城主交代がありましたが、最終的に幕領になった際には再び丹羽氏預かりの城になったとか)
二本松城(近くのテニスコートくらいしかまともに行ったことない…)会津若松城(最後に行ったのは中学校の頃かしら…)と異なり、完全に初めて訪れる城だったのでどんなもんかワクワクしながら白河駅で降りたのですが…
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「あ、駅のホームから見えるのね」
思ってた以上に駅近物件でした(笑)
現在は本丸ならびに二の丸の一部が史跡(公園)として残されているのみですが、先述の2城では味わえない総石垣の迫力は圧巻でした。
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とまあ、こんな感じで3日連続で百名城に行ってきたわけですが、どの城も歴史や迫力が感じられる非常に素晴らしい城で改めて地元の城の良さに気付くいい機会になりました。
(3城ともぐるりと一周&城下町あちこち歩いたせいで足が悲鳴を上げたのは内緒)
実のところ、まだまだ百名城は半分どころか1/5も行けてないんですが、機会を作って他の城にもどんどん行ってみたいですね。
(まあ、先週末佐倉城に行ってきたんですがね(笑))
という訳で、今回は福島県内の百名城3城に行ってきた話をさせていただきました。
百名城になっている城も続百名城になっている城もどっちにもなってない城も良い城凄い城が日本には沢山ありますので、機会があれば是非訪れてみてはいかがでしょうか。
いつもの如く長文となりましたが、最後まで読んでいただいた皆さんありがとうございました。
それでは、また次のブログで。
(清)
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実家の方でもなかなかあんな風雪になることが無いのに何故よりによって埼玉のしかも初めて行った場所で…
まあ、ある意味絶対に忘れられない思い出になったのでこれはこれで良しとしましょうか(笑)
と、前置きはこのくらいにして本題に入りましょう。
年末年始は毎年福島県の実家に帰省しているのですが、今回は4,5日を有休にして長めの帰省をしていました。
折角の長い休みだから有効活用したいなーと思い色々考えていたのですが、
「そういえば福島にずっと住んでたのに福島の城全然行ってないわ」
と気付いちゃったので、
「この休みで福島県内の百名城全部行ってやる!」
と思い立って実行に移してきました。
という訳で今回は、福島県にある3箇所の百名城の話を書いていこうかと思います。
【1日目:二本松城】
まず初日は霞ヶ城の別名でも知られている二本松城。
ここ二本松は室町時代最初期に奥州管領として東北地方に封された畠山氏が居館を構えたことに始まり、二本松氏と姓を変えた後の2代当主・満泰が二本松城を築城、安土桃山時代に至るまで200年以上に亘って同氏がこの地を治めてきました。
しかし、9代当主・義継が伊達政宗と敵対、政宗の父・輝宗の拉致を謀り討たれたことにより滅亡し、その後は伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏(嘉明系)、丹羽氏とその主を変えていくことになります。
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二本松城を訪れるとまず見えるのがこの箕輪門。二本松城の写真で一番よく見るのがここではないでしょうか。
この門をはじめとした山麓の近代城郭部分については加藤氏~丹羽氏の時代の改修で生まれたものと言われています。
箕輪門から入城し三の丸を過ぎると中世城郭の風合いが残る曲輪等が見られ、坂を上っていくと天守跡と蒲生氏時代に築かれたとされる野面積みの大石垣が待ち構えています。
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この天守跡から更に北側には別の峰が繋がっているのですがその最中には堀切が設けられており、各方向からの攻撃にも耐えられるよう工夫された堅牢な城であることが見て取れます。
【2日目:会津若松城】
2日目は西に足を延ばして会津若松城へ。
鶴ヶ城という別名もかなり知られているのでこちらの名前も聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか。
しかし、この「若松」という地名は元からの地名ではありません。
鎌倉時代からこの地を治める蘆名氏が室町時代に居館や城を築いた時には「黒川」という地名でした。
蘆名氏は長らくこの黒川城を中心に会津地方一円を治め、16代当主・盛氏の代に最盛期を迎えます。
しかし、盛氏の死後は急速に衰え伊達政宗に滅ぼされることになるのですが、その伊達氏も奥州仕置にて会津領を奪われ、代わりに蒲生氏が封じられることとなります。
この蒲生氏の当主・氏郷が出身地である近江国(現・滋賀県)日野城近くの地名から取って名付けたのが「若松」と言われています。
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恐らく会津若松城として一番有名な画角でしょうか。
ちゃんとこの角度の写真が撮りやすいようフォトスポットが整備されてますので訪れた際は是非撮ってみてください(笑)
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また、会津若松城と切っても切れない関係なのが戊辰戦争(会津戦争)時に白虎隊が自刃した地である飯盛山。
勿論こちらにも行ってきましたが、自刃の地からは会津若松の市街地が広がる向こうに小さくお城が見えました。
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ちなみに、白虎隊だけずば抜けた知名度があるためあまり知られていませんが、当時の会津藩軍は年齢をもとに白虎、朱雀、青龍、玄武の4隊に分けられており、その中で一番年少だったのが白虎隊になります。
また、先程紹介した二本松も旧幕府軍として会津と共に戦っており、白虎隊と同世代の(なんならもっと年少もいた)少年達によって構成され壮絶な戦いに身を投じたその名もずばり「少年隊」と呼ばれる部隊も存在しました。
【3日目:白河小峰城】
最終日は実家から自宅に戻りがてら道中の白河小峰城に。
この辺りは下総結城氏から分家した白河結城氏が治めていた地で、3代当主・親朝が阿武隈川沿いにあった丘陵である小峰ヶ岡に築城したのが白河小峰城の始まりと言われています。
白河結城氏が奥州仕置で改易された後は、先述の会津領の一部として蒲生氏や上杉氏の支配下に置かれましたが、その後近隣の棚倉から移封された丹羽氏の時代に大規模改修が行われ、東北地方としては珍しい総石垣造りの城へと変貌することとなりました。
(ちなみに、丹羽氏が二本松へ移ってからは次々と城主交代がありましたが、最終的に幕領になった際には再び丹羽氏預かりの城になったとか)
二本松城(近くのテニスコートくらいしかまともに行ったことない…)会津若松城(最後に行ったのは中学校の頃かしら…)と異なり、完全に初めて訪れる城だったのでどんなもんかワクワクしながら白河駅で降りたのですが…
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「あ、駅のホームから見えるのね」
思ってた以上に駅近物件でした(笑)
現在は本丸ならびに二の丸の一部が史跡(公園)として残されているのみですが、先述の2城では味わえない総石垣の迫力は圧巻でした。
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とまあ、こんな感じで3日連続で百名城に行ってきたわけですが、どの城も歴史や迫力が感じられる非常に素晴らしい城で改めて地元の城の良さに気付くいい機会になりました。
(3城ともぐるりと一周&城下町あちこち歩いたせいで足が悲鳴を上げたのは内緒)
実のところ、まだまだ百名城は半分どころか1/5も行けてないんですが、機会を作って他の城にもどんどん行ってみたいですね。
(まあ、先週末佐倉城に行ってきたんですがね(笑))
という訳で、今回は福島県内の百名城3城に行ってきた話をさせていただきました。
百名城になっている城も続百名城になっている城もどっちにもなってない城も良い城凄い城が日本には沢山ありますので、機会があれば是非訪れてみてはいかがでしょうか。
いつもの如く長文となりましたが、最後まで読んでいただいた皆さんありがとうございました。
それでは、また次のブログで。
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