毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
コスモス
私はコスモスという花があまり好きではない。宇宙(cosmos)などという立派な名をいただきながら、ひょろ長く、弱々しげで、葉もどことなく荒んだ感じがして、どうにも好きになれない。秋になると、あちらこちらで盛んに咲いているが、きれいだと思ったことはあまりない。写真のコスモスの花は、自宅近くの道端に群生しているコスモスである。何も先入観を持たずに見れば、きれいな秋の風景だと心も動くだろう。しかし、私には素直にその花を愛でる気持ちになれない理由が1つある。それは、このコスモスが自然生えではなく、ちゃんと世話を世話をする人がおり、その人に大いに問題があるからだ。
その人は、70歳過ぎの近所に住む爺さんで、私を生まれたときから知っているため、「・・ちゃん」と名前で読んでくれる、この年になるとなかなか有り難い人なのだが、いかんせん、悲しいことにアル中なのだ。朝から、というよりも前夜から徹夜で飲み続けた勢いで、スコップ片手にあれこれコスモスの世話をしているその傍らを、誰かが通ろうものなら、大変だ。誰彼かまわず話しかける。皆顔見知りだけに、無下に振り切るわけにもいかず、しばし立ち止まって相手をしなければならない。朝の忙しいときに、こんな暇人に関ることほどイラ付くものはないのに、誰もが辛抱強く相手をしている。これが田舎のいいところではあろうが、爺さんは人の都合などお構いなしに喋りまくる。素面のときは、口数も少なくいたっておとなしい人なのに、飲むとまるで人が変わってしまう。何度もからだを壊して入院しているのだが、退院するとすぐに酒を飲み始めるものだから、家人とのトラブルも絶えない。
半年ほど前のことだ。私が仕事を終えて、深夜12時近くに遅い夕食をとっていると、インターホンが鳴って、玄関を開ける音がする。こんな遅くに誰だ、と訝しがって出てみると、コスモスの爺さんが立っている。「どうしたの、おじさん」と私がたずねると、私の手を引っ張って外に出ようとする。「どうしたの」と問い直すと、「婆アの様子が変だからちょっと見に来てくれ」と小さな声で言うものだから、驚いた私は、走って爺さんの家に行ってみた。すると、玄関を上がった居間に布団を敷いて、婆さんが寝ていた。よく見れば、タオルで右目の上を押さえつけている。「どうしたの?」と慌ててたずねると、「お爺さんに殴られた。頭がガンガンする・・」と呻くように答えた。「それは大変だ、救急車を呼ぼう」と私が言うと、いつの間にか入ってきた爺さんが「警察でも何でも呼べ。俺は何にも怖くないぞ」とわけの分からぬことをがなりたてる。酔っ払ってるな、と思った私は、「おじさん、飲んでおばさんを殴ったの?」と問いただしてみたが、まるで何を言ってるのか分からぬことばかり大声で言うばかりなので、「おばさん、救急車を呼ぼうか」とたずねると、「だめだめ、そんなことしちゃいかん。お爺さんが捕まる・・」「う~ん」私は困ってしまった。救急車を呼べば事情を聞かれて、爺さんの所業がばれてしまう。かと言って、タオルの下にちらっと見える顔は相当腫れ上がっている。ほかっておいていいものだろうか。しばし、考え込んでしまった私に、「前より大分楽になったから、このまま寝れば大丈夫。ありがとう、帰って。心配かけたね」と婆さんが言ってきた。無理してるのは明らかで、このままにしておくのも心配だから、「じゃあ、××ちゃんを呼ぼう。」と近くに住む、娘夫婦の家に電話をかけさせた。程なくやってきた娘に、私の知っている事情を話し、後のことは任せて私は帰って来た。
結局、翌朝を待って病院に行ったそうだが、殴られた勢いでたんすの角に顔をぶつけたためにひどい打撲を負ってしばらく通院していた。爺さんは、この後、息子や娘にこってり油を絞られたおかげで、暴れることはなくなったらしいが、相変わらず酒は飲み続けている。
いつからか私にとってコスモスとは、アル中爺さんを思い出させるキーワードとなってしまったため、どうにも好きになれなくなったようだ。
その人は、70歳過ぎの近所に住む爺さんで、私を生まれたときから知っているため、「・・ちゃん」と名前で読んでくれる、この年になるとなかなか有り難い人なのだが、いかんせん、悲しいことにアル中なのだ。朝から、というよりも前夜から徹夜で飲み続けた勢いで、スコップ片手にあれこれコスモスの世話をしているその傍らを、誰かが通ろうものなら、大変だ。誰彼かまわず話しかける。皆顔見知りだけに、無下に振り切るわけにもいかず、しばし立ち止まって相手をしなければならない。朝の忙しいときに、こんな暇人に関ることほどイラ付くものはないのに、誰もが辛抱強く相手をしている。これが田舎のいいところではあろうが、爺さんは人の都合などお構いなしに喋りまくる。素面のときは、口数も少なくいたっておとなしい人なのに、飲むとまるで人が変わってしまう。何度もからだを壊して入院しているのだが、退院するとすぐに酒を飲み始めるものだから、家人とのトラブルも絶えない。
半年ほど前のことだ。私が仕事を終えて、深夜12時近くに遅い夕食をとっていると、インターホンが鳴って、玄関を開ける音がする。こんな遅くに誰だ、と訝しがって出てみると、コスモスの爺さんが立っている。「どうしたの、おじさん」と私がたずねると、私の手を引っ張って外に出ようとする。「どうしたの」と問い直すと、「婆アの様子が変だからちょっと見に来てくれ」と小さな声で言うものだから、驚いた私は、走って爺さんの家に行ってみた。すると、玄関を上がった居間に布団を敷いて、婆さんが寝ていた。よく見れば、タオルで右目の上を押さえつけている。「どうしたの?」と慌ててたずねると、「お爺さんに殴られた。頭がガンガンする・・」と呻くように答えた。「それは大変だ、救急車を呼ぼう」と私が言うと、いつの間にか入ってきた爺さんが「警察でも何でも呼べ。俺は何にも怖くないぞ」とわけの分からぬことをがなりたてる。酔っ払ってるな、と思った私は、「おじさん、飲んでおばさんを殴ったの?」と問いただしてみたが、まるで何を言ってるのか分からぬことばかり大声で言うばかりなので、「おばさん、救急車を呼ぼうか」とたずねると、「だめだめ、そんなことしちゃいかん。お爺さんが捕まる・・」「う~ん」私は困ってしまった。救急車を呼べば事情を聞かれて、爺さんの所業がばれてしまう。かと言って、タオルの下にちらっと見える顔は相当腫れ上がっている。ほかっておいていいものだろうか。しばし、考え込んでしまった私に、「前より大分楽になったから、このまま寝れば大丈夫。ありがとう、帰って。心配かけたね」と婆さんが言ってきた。無理してるのは明らかで、このままにしておくのも心配だから、「じゃあ、××ちゃんを呼ぼう。」と近くに住む、娘夫婦の家に電話をかけさせた。程なくやってきた娘に、私の知っている事情を話し、後のことは任せて私は帰って来た。
結局、翌朝を待って病院に行ったそうだが、殴られた勢いでたんすの角に顔をぶつけたためにひどい打撲を負ってしばらく通院していた。爺さんは、この後、息子や娘にこってり油を絞られたおかげで、暴れることはなくなったらしいが、相変わらず酒は飲み続けている。
いつからか私にとってコスモスとは、アル中爺さんを思い出させるキーワードとなってしまったため、どうにも好きになれなくなったようだ。
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