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わあ~い!

 今日の昼、宅配便が届いた。私が受け取り、サインをすると、娘からの小包だった。見れば、衣服と書いてあるので、不要になった夏物の衣類をクリーニングに出すよう送ってきたんだなと思って、妻に手渡した。妻はゴソゴソさばいていたが、突然私に向かって「ジャムだよ!」と叫んだ。私は何のことか分からず、近づいてみると、「おみやげだって」と言って、小さな瓶を渡した。「この缶詰は、おじいちゃんの分らしい」と言って、何が入っているか分からない缶も受け取った。また、娘がイタリアで買った絵葉書に書いた妻宛のメッセージも見せてくれた。

 何かの缶詰と、フィレンツェの教会でつくられているものから(400年代)のレシピのジャム、ランコムのマニキュアはおみやげです。
 遅くなりましたが、「おみやげありがとう」と、あげる前からお礼をいってくれたお父上にジャムを渡しておいて下さい。ちなみにこの絵はがきは、MILANOのBRERE美術館で買ったものです。恐らく最後の晩餐がモチーフと思われます。有名なダヴィンチのものと構図が違っておもしろいので買ってみました。
 年末には帰ります。

 イタリア旅行から直接京都に戻ってしまい、自宅には帰ってこない娘からは、帰国後3・4回電話があったが、そのうちの1回私が電話を取ったことがあった。その時、旅行のみやげが私だけに何もなかったことに、少し嫌味を言ってやろうと、「おみやげありがとうね」と言ったのを少しは気にしたのか、今頃になって申し訳程度の物をみやげとして送って来た。帰国時に、妻には小さなバッグ、息子にはワインをみやげとして送って来たが、私のものは何もなく、親戚や知り合いに娘のことを聞かれる度に「自分にはみやげがなかった」と嘆いていた。その声がやっと娘に届いたのか、なんともまあ、素晴らしいおみやげがもらえた。畏れ多くて食べることなどできそうもないジャムだが、なにやら由緒正しきものらしいから、時機が来たら身を正していただこうと思う。まあ、そんな皮肉を言ってみても、昼からずっと頬が緩みっぱなしで、心が妙に弾んでいる。どんな形であれ、娘が私のことを気遣ってくれたことがうれしくてたまらない・・・バカだなあ。
 それにしても、年末まで帰ってこないというのにはあきれる。大学で2つのサークルを掛け持ちしていて、バイトも続けているため、毎日忙しがっているのは知っている。さらに、11月に行われる学園祭に向けて、両方のサークルそれぞれで重要な役割を引き受けたとかで、今までの何倍も忙しいらしい。これでは、まともに大学に行っているのかと文句の1つも言いたくなる。私の時代だったら、出席などせずとも試験さえ受かれば進級など簡単にできたのだが、30年近くも経てばそんないい加減なものではないだろう。しかも娘は理系だから、ちゃんと出席していなければまずいだろうと心配になるが、いらぬ詮索は止めておこう。
 ところで、その学園祭のことだが、私たちの頃は11月祭と呼んでいた。私も「野草を食べる会」で模擬店を出し、急造りの胡散臭い果実酒を高い値で売って、みんなでお祭り騒ぎをしたことを覚えている。その11月祭を今ではNF(November Festival) と呼ぶらしい。昨年娘が盛んにNFと意味不明なことを言っていたからたずねたら、そう教えてくれた。「何がNFだ、あんなもの。みんなで酔っ払ってクダまくだけだろう」と言ってやったら、至極馬鹿にした顔つきをされてしまったので、雰囲気が変わったのかなと思った。ミスコンが中止になったとかなんとか言っていたので、今時の奴らは冗談も通じないのかと思ったりするが、まあ、オヤジの口出しすることではないだろう。
 私は、ジャムでもなめながら、昔の思い出にふけるのがお似合いなのかもしれない。
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