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断髪!

 髪の毛を切った。この前切ったのが、確か3月の終わりだったから、半年以上も伸ばし続けていたことになる。面倒だからこのまま伸ばし続けてやろうかとも思ったが、肩近くまで伸びてはさすがに家人からもブーイングが出始め、もう限界かなと思って切った。と言っても、理髪店に行った訳ではなく、自分で鏡を見ながらハサミでザクザク切り落としただけだ。実を言えば、もう15年以上も自分で切り続けている。何故だか理髪店の椅子に座ったまま、小一時間も拘束されるのがイヤでたまらず、自分で切れば勝手でいいやとばかりに、ずっと自分で切っている。当然切ったばかりの頃は、切り残しやら長さが不揃いやらで、異形ではあるのは否めないが、一週間もすれば自然に馴染んできてほとんど違和感がなくなる。今も、窓ガラスに映った頭を見るとイビツな感じがするが、細部に拘らなければなかなかなもんだと、無理にでも納得している。
 夏の盛りにもうかなり長くはなっていたが、松井がワールドシリーズを制覇するまでは切らないでおこうと、殊勝にも願をかけていた。だが、あえなく地区シリーズで敗退してしまい、心にぽっかり空いた穴をしばらくは埋められなかった。翌朝の試合中継に備えてビデオの予約をする必要もなくなったし、朝早く起きる必要もなくなった。松井の試合があった頃には、どんなことがあっても必ず8時前には目覚めていたのが、今では9時過ぎにしか起きられなくなってしまった。なんだかヤンキースの敗退で生活の歯車が狂ってしまったようで、自分に喝を入れるいい方法はないものかとあれこれ考えた結果、そうだ、髪の毛を切ろうと思い至った。
 小さな頃は真っ直ぐな髪質で、きれいなお坊ちゃん刈りをした写真が残っているぐらいだが、長ずるにつれて髪の先がクルクルと巻くようになってしまった。高校から大学の途中までずっとパーマをかけていたせいかもしれないと、冗談めかしてよく言うが、実際そんなことはないだろう。娘を見るとくせ毛っぽいので、全くの直毛である妻からではなく、私のほうから遺伝したと考えるのが自然だ。すると私のくせ毛も、先天的にあった要素が年をとるにつれて顕在化したものだと考えるのが妥当であろう。今のように短い間はさほど目立たないくせ毛も、髪が伸びるにつれて波立ってくる。後ろ髪など、鏡で見るとさほど長くないのに、いざ切ろうと思って指で延ばしてみると、本当に肩まで届いた。それを勢いよく3~5cmずつ切っていった。私が切る様子を横目で見ていた妻が近寄ってきて、「ここがまだまだ長い」と言って、ハサミを奪って遠慮なしに切った。おかげで鏡の前に敷いて置いた新聞紙が髪の毛でいっぱいになった。
 しかし、切り落とした髪を写した写真を見るとイヤになる。小学生の頃から白髪が目立つ、父親譲りの若白髪であったが、最近では全体的に髪が薄くなったせいもあるのだろうが、ほとんどが白髪になってしまった。後ろ髪にはまだ黒髪が残っているようだが、前髪は雪をかぶったように真っ白だ。中3の国語の教科書に、松尾芭蕉の「奥の細道」が載っている。その中に
    卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな   曾良
という句があるが、ここを学習するたびに、毎年必ず生徒が私を見てくすくす笑う。「染めればいいのに」とありがたい忠告も頂くが、今さら色を付けたところでかえって見苦しいだろうと、このままで行く覚悟だ。
 あーあ、本当にイヤになる。私の母が亡くなったとき、棺に入った母と最後の別れをする段になって、あっと思い立った私が母の髪を一房、ハサミで切り落とした。それを遺髪として母の霊前に供えてあるが、その髪の色合いが写真に収めた私の髪の色と酷似しているのだ。なんだか、カウントダウンが始まっているような気がして暗然たる心持ちになる。
 
 だけど、髪の毛を切った途端に寒くなって来るとは、なんとタイミングの悪いことだ。すかすかして、寒い!
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