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ひとり暮らし~荷風

 平日の午前中、妻の買い物に付き合わされることが多い。と言っても、最寄のスーパーまで車に乗せていって、妻が買い物をしている間は駐車場でボーっとしていることがほとんどだ。それでも、スーパーに出入りしている人々の様子を見ていると、結構楽しい。別に人間観察などと立派な名目をつけたいわけでもないが、いろんな人が入れ替わり立ち代りやってくるので飽きることはない。子供連れの主婦や、仕事着で昼食を買いに来る人、老夫婦など多種多様な人々がやってくる。その中に時々年老いた男性が、おぼつかない足取りでやって来るのを時々見かける。日々の食材を求めにやってくるのだろうが、一人暮らしなのだろうか。それとも、病身の妻の代わりにやってくるのだろうか。あれこれ想像してみるのだが、女性の場合、どんなに年をとっていても、ある程度てきぱきと買い物ができるが、男性の場合は遠くで見ていると、どうしても不器用な感じが否めない。若い頃に八百屋で買い物などしたことがない世代であろうから、習慣が身についていないのは仕方がないのかもしれない。私も年をとって、一人で暮らさなければならなくなったとしたら、買い物などうまくできないだろうなと、身につまされる。その時に備えて、妻の買い物に付き添って練習しておけばいいのかもしれないが、今はそんな気になれない。そうした見栄が後から自分を苦しめることになるかもしれないと思っても、どうにも妻と並んで買い物籠を持つというのは照れくさい。誰も私のことなど気にするはずもないから自意識過剰なんだと思っても、なかなかできない。

 というようなことを考えている時に、書店で、「永井荷風 ひとり暮らしの贅沢」(新潮社)という本を見つけた。
 永井荷風といえば、明治36年から約5年間アメリカ・フランスで生活しており、その時の様子を「あめりか物語」「ふらんす物語」に書いてあるのを随分昔に読んだことがある。33歳の時に結婚しているが翌年離婚し、またその翌年に再婚したものの1年もたたないうちに再び離婚してしまい、それ以来亡くなるまでひとり暮らしを続けた。
 「最初私は独身といふことを、大変愉快なことのやうに感じてゐた。それは西洋の独身者などの生活を見たり聞いたりしてゐたからである。(中略)日本の今日の状態では、男の独身生活といふものは、日常生活の些細な点に於て非常に不便なものである」
と随筆「独居雑感」に書いている。しかし、帰宅がどんなに遅くなっても家で待つ者のいない気楽な生活を楽しみ、他人から干渉されない自由を至福として、生涯独身を貫いた。
 昭和32年に、終の棲家となった家を新築したが、引越しの荷物は机と火鉢・本といった程度で、他に大きな家財道具はなく、2時間ほどで整理が終わったという。間取りは六畳と四畳半・三畳・台所・トイレと小じんまりとしていて、好きなことに打ち込める家だったようだ。荷風が誰にも看取られること亡くなった家だが、発見されたとき六畳間には年中敷きっぱなしにされた布団と机、造り付けの本棚があり、玄関脇の四畳半には七輪や鍋・湯のみ・コーヒーの瓶、煙草や空き缶などが畳の上に無造作に並べられていたといいう。吝嗇だ、奇行だと陰口も叩かれたようだが、この家で独り暮らし、独り死んでいった晩年の荷風は何を考えていたのだろう。
 それを知るためには、79歳で亡くなる死の前日まで42年間にわたって綴られた、日記文学の名作との誉れ高い「断腸亭日常乗」が残されている。私はまだ一度も読んだことはないが、『四月廿九日。祭日。陰。』で終わるこの日記を読んでみるべき年齢が近づいてきたのを感じる。

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