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 半月ほど前、父を連れて畑を見に行った。しかし、夏の初めから何の手入れもしていなかった畑は荒れ放題になっていて、見るも無惨な姿を晒していた。私でさえ、余りに野放図に伸びきった雑草を見て、胸が締め付けられる思いがしたほどだったから、父の無念さは如何ばかりだっただろう。退院後半年以上経ったが、体の衰えは隠しようもなく、家の近くに拓いた畑でさえも、夏過ぎからは手を入れなくなってしまった。キュウリやトマトの出来はじめの頃は嬉しそうに世話をしていたが、首や手足に痛みが走るようになってからは、家から出る回数も少なくなってしまい、一日中タバコを吸いながらぼんやりTVを見るのが日課になってしまった。そんな父を見ていると、私も苦にはなったが、なにせ夏休み中は私自身が忙しくて、父の世話まではとても気が回らなかった。だが、9月になってからは私に時間の余裕ができたため、時々父を連れ出すことができるようになった。そんな折に、「畑に行ってみようか」と誘ってみた結果が、荒れた畑を見る結果になってしまっては、逆効果だったかもしれない。
 だが、一つだけ良いことがあった。それは父の生家の跡に生えている柿の木にたくさんの実がなっているのが分かったことだ。その時は、まだ実も小さくまったく色づいていなかったので、「もう少ししたら採りに来よう」と約束して帰ってきたのだが、その約束を昨日果たすことができた。
 だが、まだ少し早かったようだ・・。

 
 
 父によれば、樹齢100年は越えるという古木だが、今年は実が多くなっている。去年は全くならなかったそうなので、今年はかなり成績が良い。ただ、まだまだ全体的に青いままだ。父が高枝ばさみで切ろうとしても、頃合いの物が少なく、選ぶのに一苦労していた。覚束ない手つきながら、父が幾つか実を切り落とした後、代わって私が高枝ばさみを使った。


 結局、かごの半分くらいしか採ることができなかった。見上げればまだまだたくさんの実が残っている。
「1週間したら食べ頃になるのかなあ?」
「そうだな・・、1週間経てば大丈夫だろう・・」
と、いうことで、1週間後にもう一度やってくることになった・・。


 1週間後に柿は食べ頃になっているだろうが、この曼珠沙華はもう散ってしまっているだろうか・・。
 
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