対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))小此木 啓吾中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
★ 科学の進歩は日進月歩で、私たちは宇宙の彼方から微細な素粒子まで観察し、その法則を解明しようとしている。しかし、私達の内なる宇宙とも言える精神世界についてはまだ謎だらけだ。
★ 本書は「対象喪失」という視点から人間の内面に迫った名著である。
★ 「対象喪失」とは、肉親や恋人との別離、愛着のある「もの」や環境の喪失のことをいう。こうした「喪失」を体験したとき、私たちは「悲哀の仕事」を通して、自己の回復を図ると言う。
★ この「悲哀の仕事」、つまり「悲しむ」という営みが不十分であったとき、肉体的精神的な変調をきたすことがあると言う。
★ 私が母を亡くしたとき、ふと感じたことがある。仏教では7日ごとに法事を行い、親族や身近な人が集まって、49日まで死者の霊を弔うが、あの営みはまさに「悲哀の仕事」「喪の仕事」と言われるものではなかろうか。そうした行事は、肉親を失った人への慰めであるとともに、それぞれの参集者が自らの喪失感を癒すために、悲しみを再現するために行われているように思った。
★ 人間は実に巧みに「悲哀の仕事」を生活に取り込んでいるものだと感心した。
★ ところで、著者は現代社会が「悲哀を排除した社会」になってしまっていると指摘している。科学技術は進歩し、私達はより便利により快適に生活が送れるようになった。一方で、私達は漠然とした多忙さに追われ、またひとり一人は分断されて生きている。
★ 傷つくことを恐れるあまり、人ともモノゴトとも深くかかわろうとしない。かかわるときも、「他人事」として接することによって、自己の防御に必死だ。時には自分自身でさえ実体感がもてなくなる。著者は「モラトリアム人間」と定義しているが、確かに私達にこの傾向はあるように思う。
★ 現代人は「悲しむことを忘れた」「悲しむ能力」が欠如していると著者は指摘するが、まさにその通りかも知れない。
★ 本書を読んで、日々マスコミをにぎわせている悲惨な事件のメカニズムが少しわかったような気がした。では、「悲しむ能力」を再生するにはどうすればよいのか。これは教育に課された大きな課題であるように思う。
★ 最近、小学校や中学校の教科書を見ると死や別れなど悲しい話が意図的に選ばれているように思う。こうした話に子どもたちはどれほど共感できているだろうか。いや、指導する教師自身がどれほど共感できているだろうか。所詮は「他人事」で終わっているのだろうか。