毎日が修行~♪

自分を好きになって、自分を大事にして
自分の機嫌は自分で取ろう!
それが自分も周りも幸せになる秘訣です!

ごっつぁんを偲んで…。

2008年01月12日 | 日常
日記には書いてなかったのですが
昨年末の30日、インディアカの忘年会をやりました。

10月のインディアカの試合のあとの打ち上げのときに、
「杵と臼」を持っていらっしゃるお宅があるとわかったので、
忘年会で餅つきをしようということになっていました。


インディアカは、地元の区大会では男性の競技になっているので
我がチームも男性が中心になって活動しています。
だから「男の忘年会」ということで、
すべての準備を男性がやって、
奥さんや子供たちを招待しようという主旨で昨年から始めたの。

でも、さすがにもち米を蒸すことなど、男性だけでは不安だったので
うちのお鍋を持って行って(忘年会をする自治会館がすぐ近くなの)
同じお鍋を持っているしんごママさんにも持って来てもらって
(スティーマーがついているので)
お米を蒸す方法を指導。

私は一度家に帰って来て、30分くらいしたらまた様子を見にいって…
臼にお米を移すところまでを指導して帰って来ました。
(大掃除が忙しくてね~

途中からメンバーの奥さんも加わってくれたらしく、
なんとか餅つきは無事に終わりました。
子供たちも喜んでいたし、つきたてのお餅は美味しかったわ。
残りは持って帰って次の日以降食べたけど
本当につるっと美味しいお餅に仕上がっていました。



さて、それから今度は忘年会。
パパっちが週末ごとに持って帰ってくる
大量のYシャツのアイロンかけが終わってから
私は参加しました。(2週間分たまってたの


その忘年会のときにね、ごっつぁんと言う人(私が勝手に呼んでるのですけど)
の話が出たの。

「○○さん、最近見かけると顔の傷が増えてるんですよ~」と
餅つきの「返し手」が上手だったTちゃんが話してくれました。

「いや~、どうしたんだろうねぇ。
ごっつぁんには、宴会のたびに
葬式の受付をしてくれって頼まれるんだよね~
なんて、いつものように冗談でそのとき、言っていました。


それがね、忘年会の次の日…31日。
そのごっつぁんが亡くなった…と知らせを受けたのです。

もう、ショックでしたね。

忘年会で冗談で言っていたのに…。


ごっつぁんとは何年の付き合いになるのかしら。。。
13年ほどかなぁ。
初めは地域のうるさいおじいさん…という感じだったの。
子供会のソフトの練習にやってきて、(パパっちが監督をしているのに)
勝手にあ~だこ~だ言って来る。

番人が小学校の時には、通学路に立っていて、
登校班で通ろうとすると「隣と手をつなげ!」とうるさく言って
番人は女の子を手をつなげと言われて、
「嫌です!」と言ったらしいの。
(それを見ていた人に聞いたのだけどね)
そんな一見、口うるさい頑固ジジイって感じでした。


だけどね、付き合っていくうちに、
「この人は、人が好きなんだ」とわかるようになって…。


一年に4~5回は一緒に飲む機会があって
いつも「はい、ごっつぁん」とお酌に行くと、決まって
「あんたはべっぴんさんだなぁ。うちのかみさんの次に良い女だ
なんて言うんだよね~。
(誰にでもそう言ってたのだけどね

毎回のことだから
「そりゃ~ありがとうねぇ~。
そんなこと言ってくれるのはごっつぁんだけだよ~
なんていつも返事してた。


ごっつぁんにお酌に行くのは私と、あともう数人しかいなかったから
嬉しかったんだろうなぁ。

でも、数年前からお酒の飲みすぎで肝臓を壊して
「ごっつぁん、これでおしまいね」なんて言わなくちゃいけなかったの。
「なんだよ~。呑ませてくれないのかよ~」なんてごっつぁんは言ってたけど
「長生きしてほしいからね」って一升瓶を取り上げたりしていました。

パパっちはテニスで月に2回ほど一緒にごっつぁんとプレイしていて、
まだまだお元気そうだったのに…。

お葬式の受付けをごっつぁんに頼まれていたけど
やはり残った奥様や息子さんたちの付き合いもあるし…。
お声がかからなかったので
パパっちと二人で3日、4日の
お通夜とお葬式に行くことにしました。

お通夜でお線香をあげるときにね、
並んでいるときにごっつぁんの写真を見たら、またまた思いだされてね。

「あんたは良い娘だね。
うちのかみさんの次にべっぴんだ」っていう、ごっつぁんの笑顔をね。

涙があふれました。

告別式ではごっつぁんが東京農大出身だったということを初めて知りました。
その農大時代の友人が友人代表のスピーチをしたのですが
これがとても良かった。

「1限と4限にテストがあって、
その間に家で勉強しようということになったけど
飲み過ぎてしまって、4限のテストが受けられなかったこともあったなぁ」って。

その頃からのんべえだったんだね…と、
ごっつぁんと一緒によく呑んだTちゃんと苦笑い。

最期のお別れは辛かったです。
棺の中には、ごっつあんのテニスラケット他が入っていました。


そして、ごっつあん最愛の奥様のごあいさつ。
ごっつあんが自慢するだけあって、綺麗な奥様の、立派なご挨拶でした。

「人の和の中に居るのが好きで、子供が好きで、動物が好きで…」

奥さんはごっつぁんのことをそういう風に思っていらしたのね…と
人には「ただの呑んだくれ」にしか見えないごっつぁんを
本当に愛していたのだなぁと分かって
じ~~んとしました。
きっと良い人生だったのだろうと思います。

「ほんと、ごっつあんの奥さんは一番だね」って
まだその辺にうろうろしてそうなごっつぁんに言いました。


安らかに眠ってくださいね、ごっつぁん

新幹線のお見送り

2008年01月12日 | 日常
昨日はお義父さんと、学校が休みの番人と私の3人で
お昼ごはんを近所に食べに行きました。
番人はあまり義父と話していないから…と思ってちょっと気を使ったつもり。

でも、結局番人は私とは話していたけど
何を話して良いのかわからなかったのだと思うけど
義父とはほとんど話はしませんでした。
でも、ドリンクバーからお義父さんのコーヒーを持ってきてくれたり
一応頑張っていました。
人付き合いが苦手な番人だから、こんなもんでしょう。

食事をしているときに、名古屋のパパっちから
仕事が早く終わりそうだから
新横浜に19時頃着けそうだ…との連絡がありました。
義父が20時半発の新幹線に乗車予定だったので、
その間、新横浜で食事をすることになりました。

みりこを二駅先のヤマハに送って行ったあと、 
一度帰って来て男の子二人の食事を作り、
お義父さんと電車で出発。

学校帰りにみりこのヤマハのお迎えに行ってくれたまりぶ(withみりこ)と
途中駅で待ち合わせをして、
4人で新横浜に向かいました。

ちょうど通勤時間だったので電車が混んでいましたけど
親切に席を譲ってくださった方のおかげで
お義父さんは座って行けました。


私達は先に新横浜で待ち合わせの居酒屋に入り、
あとからパパっちが名古屋から到着して合流。

あまりゆっくりはできなかったですけど、
滞在最後の夜に、パパっちとお義父さんがすれ違いにならず、
みんなで食事が出来て良かったです。
けんぴは学校からの帰りが遅く留守番、
番人はバイトでしたけど…)


ちょっとトラブルがあって義理の弟との待ち合わせがうまく行かず
予定していた新幹線に乗れなかったのですが
次の新幹線の自由席に二人とも座れることができて
本当にほっとしました。


みんなで新幹線の窓に向って手を振りました。

「おじいちゃ~~ん、バイバイ~~~~~

お義父さんもうれしそうにこちらに手を振ってくれました。
みんなでお見送りに行けてほんとに良かったわ。



帰って来てからまりぶ

「なんだか寂しいねぇ。
おじいちゃんが居ないと、なごまないね

と言いました。

ほんと、みりこの部屋にまだ義父がいるような感じで…。
ドアを開けて「あ~帰られたんだ」とちょっと寂しくなりました。

トイレのドアに「トイレ」
洗面所のドアに「お風呂」
と貼ってあった紙を
昨夜みりこが気を利かせてはがそうとしたとき、
まりぶが「寂しいからやめてよ~~~」と言いました。
そしたらみりこは「電気はつけておくから…」だって。

お義父さんが滞在中は、夜、電気がわからないといけないので
トイレの電気はつけっぱなしにしていたのです。

みりこまりぶは今回、しっかり義父と触れあうことが出来たようで
とても嬉しく思います。



今日パパっちはテレビの取材の付き添いの仕事があり、お台場に行ってますが
出かける前に
「お義父さん、ハワイに行きたがっていたのだけど…」と話をしました。

「どうしてハワイなんだ」というパパっち
お義父さんが若かった頃、ハワイアンバンドでギターを弾いていたらしい…という話をしました。

やはり、パパっちはそんなこと、知らなかったみたい。
私だって自分の両親の若かった頃の話なんて、
あまり知らないものね~

お義父さんの願い、叶えてあげられると良いなぁ。