【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 朝起きて、大小便、朝飯食って、昼間働き、日が暮れたら家に戻り、夕飯、酒食らって、寝る。何千年も昔から同じ。変わったは使う道具だけ。
斉藤家の家臣だった快川紹喜は、武田家に心を寄せ、甲斐国(山梨県)の恵林寺(武田家菩提寺、信玄公墓所)の住職に。そこへ信長公が3千人の兵を差し向け、焼き討ちに。その時、快川紹喜が「安禅は必ずしも山水を須(もち)いず。心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」の辞世を残し、300人の弟子達と共に焼死を。
【追伸】
恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹。焼き討ちされたは、本能寺の変の3ヶ月前の事。確かに、この辞世の示す通り、安心、悟りは、山、川、海、寺院などの静寂とした地でなければ、得られないというものではない。心の安心(あんじん)は、わが心の持ち様次第でどうにでもなる。が、そうは言うものの、やはり、環境というは大事かな。焼き殺されずに安心して、時を過ごせる場所があるなら、それに越した事はない。日本の戦国時代は国内紛争だが、強者(つわもの)戦国大名が君臨している間は、敵国も無闇に戦(いくさ)を仕掛ける事は。が、この世からその大名が消えた途端に。世界における現在の状況も、当にこれに似たり。さあ、政治家の先生達、この戦国時代の教訓を如何に今の時代に。大変な仕事だとは思いますが。温故知新は大事にて。