1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 何度でも言いますが、信仰は特別な物ではないですよ。特別な物にしている者がいるだけで。特別な物を望む側にも多少の問題は。

2022-11-07 11:38:39 | 法話
法話読者が「某教会の事で随分世間が騒いでるが、信仰に対する住職の見解はどうよ」と。「鶯が鳴かずとも春の訪れは、陽気、虫、草花などで、容易に知る事が出来るでしょ。されど、そこに鶯が鳴いてくれたら春に彩りを添えてくれる。信仰とはそういうものと認識を。人の人生に彩り(安らぎ)を添える存在かな」と。

【追伸】
この読者が「ほう、彩りですか」と。「信仰だけじゃないよ。政治も、教育(子育て)も、仕事も、趣味も、そうかな。支える立場の物(人)は、鶯の様な存在である事が望ましいかな。鶯の鳴き声をどう捉えるかは、人それぞれだが。捉え方といえば、三猿(見猿、言わ猿、聞か猿)が当にそれ。『見てはならん。見なきゃならん。聞いてはならん。聞かにゃならん。言うてはならん。言わにゃならん』と。この判断は非常に大事かな。法話もそうだよ。話す側より、聞く側の受け取り方が大事」と。

さて、何度でも言いますが、信仰は特別な物じゃない。特別な物(ご利益の為の大金請求。脅し誘導、ネズミ講まがい)にしている者がいるだけ。騙される方も悪いと言うが、騙す方が悪いに決まっとる。が、特別な物(努力せずに目的達成)を求め過ぎる側も、多少の問題はあるかな。