6月末まで午前9時のウォーキングを、あまり陽が高くならないうちにと7月
からは午前6時に変えて30分ほど歩くことにしました。その後畑の草取りなど
して1日の始まりです。その前に4時半には朝刊が届くのでざっと目を通し、
洗濯機を回しておきます。
朝食は7時半、ゴルフが入っていない限りは午前の時間はしっかりあります。
新聞を丁寧に読み直し、雑誌(文春)に目を通します。
7月号文春に 発掘テープ 吉村 昭の予言が掲載されていました。
三陸の村に残された講演 「災害と日本人」 -津波は必ずやってくるー
(2001年の講演)
内容
50Mの大津波 大津波の前には奇妙な現象が起きる、マグロカツオ・
イワシなどが大量に取れる、井戸水の急激な減水・海水の異様なほどの
引きなど、異常現象が起きたこと、これらは明治29年に起きた大津波
だった。公式記録24、4Mですが、所によっては50Mの波が襲った。当時
人口が10万300名が22%死亡とされた。
特に田老と乙部では家屋が全部流出1859名が死亡生き残ったのは
36名(沖で漁をしていて免れた)と言う。
また昭和8年の津波でもやはり田老と乙部では家屋のほとんどが流出
下。その時も前兆としてイワシの大漁・井戸水の大減水・沖合いでは異常
発光現象があった。
作家吉村昭氏は2006年に死亡ですが、多くの歴史小説を書き、特に
著書「三陸海岸大津波」での後での講演だったとのことです。
そして明治以来の最大の地震「関東大震災」についても調べています。
東京で48万戸の家が31万戸火災により災害・死者7万人、横浜では
10万戸のうち6万2千戸が焼け、死者2万3千人だった。
ー著書「関東大震災」ドキュメントよりー
災害時のためにリュックを背負ってというがリュックは可燃物であり、
手ぶらが良いと、また食料をと言うがすごいところから逃げた人が、翌日
には炊き出しが用意される。逃げるさいは全く手ぶらが良い。先ずは道を
確保することが大事である。
大事なのは津波は地球上に住むからには必ずやってくると言うことを
科学の進歩は当然考えに入れなければ、・・・地震と津波についても、予知
は別としても、地震があると「津波の心配はありません」と言う、あれはひと
つの科学の勝利です。
素朴な事ですが携帯品はもって逃げない、車で逃げない、(道路を確保
するために)など常識、人間の智恵であると言うことと結んでいました。