成人の日の各地の新成人たちの様子(1部かも分かりませんが)を見ていると
これでも成人かと言いたくもなります。
先日借りた藤原正彦氏の「この国のけじめ」の文をお借りします
個の尊重」について、
個性の尊重とか個性豊かとかやたら目に付き、美しい響きを持つが、
「自由」 とない交ぜになり、結果これらと紙一重の身勝手、わがまま、
したい 放題が横行している。「他人に迷惑をかけない限り何をしても良い」
が大手を 振って いる。
その通りなら、援助交際も誰の迷惑にもならないとなる。責任をとる必要が
なくて も、してはいけないこと、をわきまえることこそが道徳の中核である。
戦後の自由は、武士道精神など古くからあった「かたち」や道徳を徹底的に
破壊した。誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、公の精神、 誠実、孝心、
名誉と恥、卑怯を憎む心など、わが国の至宝といえるものであった。
「個人の尊厳」の派生として子ども中心主義があり「ゆとり教育」として
世界で最も勉強しない子どもたちを作り上げた。
小学生に「英語」「パソコン教育」が必要か
人間には主軸が必要である。母国語の完全習得とそれに支えられた豊富な
読書を通して、文化、教養を吸収することであり、全時間の半分くらいを要して
もよい。日本人として育てるなら、小学校で外国語導入は無意味で愚かで
ある。他教科の時間を圧迫し有害ともいえる。
パソコン教育についても財界や産業界の干渉であり、小学校で起業家
精神を、中高生に株や債券の知識をなど愚民化政策としか思えない。
教育とは、政治や経済の諸事情から超越すべきものであり、子どもたち
にはすばらしい教育を与える、と言うのが誇り高い国家の覚悟である。
数学者の藤原氏の著書(ベストセラーになった)「国家の品格」の
柱石となった本です。かなり厳しい論説ですが、日本のこれからを思うとき
子どもたちの教育が今のままでよいのかと憂慮するこのごろです。