モーセに導かれるイスラエルの子らは紅海を渡った以降、荒野に進んだ時、水が苦くて飲むことができなくなりました。その時神エホバはモーセに指示し苦い水を甘い水に変え、水を与えられました。その後十二の泉の傍にイスラエルの民は宿営を張り休息しました(出エジプト記15:22~27)。イスラエルの民はその宿営を解き、シンの荒野に移動したとき、今度は食物についてモーセに不満を述べました。その時の様子と、エホバがどのように食べ物を与えるかについて、モーセに答えられた内容が次のように記されています。
「彼らはエリムを出発した。そして、イスラエルの子らの全集会はついにシンの荒野に来た。それはエリムとシナイの間にあり、エジプトの地を出たのち第二の月の十五日のことであった。
そして、イスラエルの子らの全集会はその荒野でモーセとアロンに対してつぶやくようになった。そしてイスラエルの子らは彼らに向かってしきりにこう言った。「エジプトの地で肉のなべのそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたころにエホバのみ手にかかって死んでいた方がましであった。あなた方(モーセとアロン)はわたしたちをこんな荒野に連れ出して、この会衆全体を飢え死にさせようというのだ」。
その時エホバはモーセにこう言われた。「いまわたしはあなた方のために天からパンを降らせる。民は必ず出て行って、各自自分の量を一日分ずつ拾うように。これは、わたしの律法のうちを歩むかどうかについて、わたしが彼ら(イスラエルの子ら)を試みるためである。そして六日目には、自分たちが運び入れたものの準備をしなければならない。それは日ごとに拾った分の二倍となるはずである」」(出エジプト記16:1~5)。
上記の記録に示されている通り、イスラエルの子らはシンの荒野に進んで行った時、食物について、モーセとアロンに不平・不満を述べました。イスラエルの子らはエジプトの奴隷状態の生活の時の、肉やパンを食べていた時に救出をしてくださった「エホバのみ手にかかって死んだ方がましであった」とまで述べて、またもや信仰を失っていました。
それに対して神エホバは、イスラエルの子らに「天からパンを降らせる」ことを約束されました。それは毎日行い、民は各自の必要な「一日分ずつ拾うように」というもので、他の人の分まで取らないようにという意味も込められていました。民はエホバから与えられる「天からのパン」を拾う時に、秩序を守るように教えるものでした。イスラエルの子らに必要なパンは六日間与えられ、六日目には二日分を集めて、各自の食事の準備をするように、という内容です。これは後に与えられる六日間働き、七日目は休む「安息日」の定めとなります。現在の暦はこの教えを源にして出来ています。1週間が七日となっているのは何故かを理解することができます。
今日の聖句に示されている通りに、ご自分の民がモーセにつぶやいても、神エホバはご自分の民が必要としている命の糧の「食物」を必ず与えて下さることを示すものとなっています。エホバは辛抱強く対応されます。そしてご自分の民を必ず顧みられることを示すものとなっています。
金木犀 一面に散る 朝の庭 今日の一句
道端に咲いていた「フヨウ」