イエス・キリストに敵対する祭司長や年長者たちは、「うまく仕組んでイエスを捕え」、イエスを殺そうと相談したのですが、イエスに好意を抱く民、つまり人を恐れ、「祭りの時はいけない」と、言い合っていたことが記されていました(マタイ26:3~5)。祭司長たちや年長者たちは、神エホバにではなく、人に対して恐れを抱いていたのです。
次いで、イエスがちょうどベタニアでらい病人シモンの家での出来事が、マタイの福音書に記されています。その出来事は、一人の女性・ラザロの姉妹のマリアが近づき、イエスの頭に高価な香油を注いだことです。その時のイエスの弟子たちの反応と、イエスの対応が記されています。高価な香油をイエスの頭に注いだ女性・マリアの優しいイエスへの愛と、イエスが彼女の専心を擁護された場面から、霊的な物事を優先することの大切さを学ぶことができます。この高価な香油はマルコの福音書には「3百デナリ」と記されていますので、300日分の賃金に相当するものでした(マルコ14:5)。
「イエスがちょうどベタニアでらい病人シモンの家におられた時のことであったが、雪花石こうの容器に入った高価な香油を携えた女(マリア)が近づき、食卓について横になっておられたイエスの頭にそれを注ぎ始めた。これを見て弟子たちは憤慨し、「なぜこんな無駄なことを。これは高く売れたし、そうすれば貧しい人たちに施すことができたのに」と言った。イエスはこれに気づいて彼らに言われた、「なぜあなた方はこの女(マリア)を困らせようとするのですか。彼女はわたしに対してりっぱな行いをしたのです。あなた方にとって、貧しい人たちは常にいますが、わたしは常にいるわけではないからです。この女(マリア)が、この香油をわたしの体に付けたのは、わたしの埋葬のための準備としてそうしたのです。あなた方に真実に言いますが、世界中どこでもこの良いたよりが宣べ伝えられる所では、この女(マリア)のしたことも、彼女の記念として語られるでしょう」。
上のマタイの福音書に記されているとおり、女性・マリアがイエスの頭に高価な香油を注いだことが記されています。その時にはイエスの弟子たちから評価をされなかったことが記されています。しかし、その女性・マリアがイエスの対する愛と敬意からなされたその行為は、実は、間近に迫ったイエスの贖いの死と埋葬の準備を意味していたのです。それでイエスは、マリアの愛と専心を擁護し、大いに感謝を表し、祝福の約束をされました。イエスは、「世界中どこでも・・・・彼女の記念として語られる」と、愛あることばを述べて感謝を表わされたのです。このマリアのイエスの頭に高価な香油を注いだ行為は、イエスに対する愛と専心の表れでした。
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小雨の中の「白桃の花」