イエス・キリストの使徒の一人のペテロは、イエスがペテロに前もって言われた、「今夜、おんどりが鳴く前に、あなた(ペテロ)は三度わたしのことを否認するでしょう」という言葉通り(マタイ26:34)、おんどりが鳴く前にペテロは主人のイエスのことを否認したことが記されていました。しかし、ペテロは自分の犯した罪の重さを悔い改め、激しく泣いたことがマタイの福音書に記されていました。(マタイ26:69~75)。イエスが語る言葉は、み父エホバの言葉ですから、予告されたことはすべて成就することを教えています(ヨハネ7:16;12:49,50)。さらに、主人のイエスを三度も否認したペテロは、この後のマタイの福音書を読むと、惜しみなく許されたことが分かります。
次にマタイの福音書には、祭司長たちが、イエスを死刑にしょうと協議し、イエスを縛り総督ピラトに引き渡したことが記されています。続いてイエスを裏切ったユダ・イスカリオテが、首を吊り自殺した時の状況も記され、祭司長たちが銀三十枚で畑を買ったことは、預言が成就したことが次のように記されています。
「朝になってから、祭司長と民の年長者たち全員は、イエスを死刑にしょうと協議した。そして、彼(イエス)を縛ってから、引いて行って、総督ピラトに引き渡した。
その時、イエスを裏切ったユダは、彼(イエス)が罪を定められたのを見て悔恨の情を感じ、銀三十枚を祭司長と年長者たちに返して、「わたしは義の血を売り渡して罪を犯した」と言った。彼らは、「それがわたしたちにどうしたというのか。あなたが処置すべきことだ!」と言った。それで彼(ユダ・イスカリオテ)はその銀を神殿に投げ込んで引き下がり、去って行って首をつって死んだ。しかし、祭司長たちはその銀を取り、「これを聖なる宝物庫に入れることは許されない。これは血の代価だから」と言った。相談したのち、彼らは、見知らぬ人の埋葬のためにそれ(銀三十枚)で陶器師の畑を買った。それゆえ、その畑は今日にいたるまで、「血の畑」と呼ばれています。この時、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。こう言われていた。「そして彼らは、値をつけられた人、つまりイスラエルの子らのある者たちが値を定めた者の代価である銀三十枚を取り、エホバがわたしの命令されたところに従い、陶器師の畑のためにそれ(銀三十枚)を与えた」」(マタイ27:1~10)。
上のマタイの福音書に記されている通り、祭司長たちは、イエスを死刑にすることを協議し、イエスを縛って、総督ピラトに引き渡したことが記されています。
一方、イエスを裏切ったユダ・イスカリオテは悔恨の情を感じ、銀三十枚を神殿に投げ込み、首をつって自殺したことが記されています。神エホバのお考えは、悔恨の情を感じたなら、神エホバに心から悔い改めを言動で示し、滅び、つまり死ではなく、命に至ることを望んでおられます(ペテロ第二3:9)。ですから、命の付与者の神エホバは「自殺」を容認されていません。
祭司長たちは、 ユダが神殿に投げ込んだ銀三十枚を取って、陶器師の畑を買ったことが記されています。こうした行為は、預言者エレミヤを通して預言されていたことが成就したことが記されています。預言者エレミヤはエルサレム、つまり祭司や民が徹頭徹尾背信し悪くなることや盗みを働くことを予告していたので(エレミヤ2;1~6:30;7:11)、これらの言葉が成就したことをマタイは記したものと考えられます。続いてマタイの福音書は、預言の成就としてゼカリア書の11章12,13節を引用し、み言葉が成就したことを証ししています。聖書は、預言された言葉は必ず成就することを明らかにしています(イザヤ55:8~11)。
雀らの 声活発や 春の朝 今日の一句
早くも庭に咲いた「ツツジ」