イエス・キリストは捕縛され、大祭司カヤファのところに引いて行かれました。その時11使徒の一人ペテロは、大祭司カヤファの家の中庭に座って、イエスの成り行きを見ようとしていました。祭司長たちおよび高等法院サンへドリンは「イエスを死に処するため、彼(イエス)に対する偽証を探し求め」ていました。しかし、何一つ偽証を見いだすことができませんでした。しかし、大祭司カヤファは、イエスが神を「冒とくした!」と、偽証のレッテルを張り、サンへドリンは「彼(イエス)は死に服すべきだ」と、イエスを死罪に定めました。加えて彼らはイエスの顔につばをかけ、こぶしで殴りつけ、イエスの顔を平手で打ち、イエスに激しく侮辱的な行為を加えました(マタイ26:57~68)。
次いでマタイの福音書は、イエスがペテロに対して「今夜、おんどりが鳴く前に、あなたは三度わたしのことを否認する」と、予告されたことが、その通りペテロの身に生じたことを詳しく記しています。ペテロは、自分の罪の重さを悔い改め、外に出て激しく泣いたことも記されています。
「さて、ペテロは外で中庭に座っていた。すると、一人の下女がやって来て、「あなたも、ガリラ人のイエスと一緒にいました!」と言った。しかし彼(ペテロ)はみんなの前でそれを否定し、「あなたが何のことを話しているのか、わたしには分からない」と言った。彼(ペテロ)が門舎ところに出て行くと、別の女が彼(ペテロ)に気づき、そこにいる者たちに、「この人はナザレ人のイエスと一緒にいました」と言った。すると、彼(ペテロ)は再びそれを否定し、「わたしはその人(イエス)を知らない!」と誓って言った。しばらくのち、周りに立っていた者たちが寄って来て、ペテロに言った、「確かにあなたも彼ら(使徒たち)の一人だ。現に、あなたのなまりがあなたのことを明かしているではないか」。その時、彼(ペテロ)は、「わたしはその人(イエス)を知らないのだ!」と言って、のろったり誓ったりし始めた。するとすぐにおんどりが鳴いた。それでペテロは、「おんどりが鳴く前に、あなたは三度わたしのことを否認するでしょう」と言われたイエスのことばを思い出した。そして、外に出て、激しく泣いた」(マタイ26:69~75)。
上のマタイの福音書に記されている通り、ペテロは師のイエスについて、おんどりが鳴く前に3度否認し、イエスの予告の言葉が成就したことが記されています。どうしてペテロはこのようなことになったのでしょうか。ペテロは自分の霊的な強さをあれほど確信していたのに、どうして三度も続けざまに自分の主人を否認したのでしょうか。ペテロはきっと周囲の状況に不意を打たれたのでしょう。師のイエスに関し、真実はゆがめられ、イエスはいやしむべき犯罪者であるかのように言われています。正しいことが悪いことのように、無実な者が有罪であるかのように扱われています。ですからペテロは、その起きている状況に圧倒されて平衡を失っています。正しい忠誠心は突然覆されます。ペテロも人にありがちな、人への恐れで萎縮してしまったのです。聖書は、ペテロのように堅く信仰に立つ人でも、一時的に人への恐れからペテロのような行動になることを教えています。ペテロは、自分が師のイエスを三度も否認しましたが、おんどりの鳴く声を聞いた時に、自分の起こした罪の重さに打ちひしがれ、悔い改め、外に出て激しく泣いたことが記されています。ペテロは激しく泣き、心から悔い改めしたことが分かります。
陽を受けて 青き宝石 犬ふぐり 今日の一句
早くも咲いた垣根の「ツツジ」