愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

白のスミレとエゾエンゴサクの花

2016-04-15 23:09:12 | 四季折々の花々

 昨夜の「熊本地震」の被災者の方々には心からのお見舞いと、平安の回復をお祈り致します。

 庭の片隅に白のスミレが咲いています。

 花図鑑には白のスミレも紹介されていますので、

 珍しいことではないのかも知れませんが、

 我が家の庭に白のスミレが咲いているのに気づきませんでした。

 スミレの花期は3月~4月です。

 花言葉は「誠実」と紹介されています。

 今日は白のスミレとエゾエンゴサクの花を紹介致します。

                      庭の片隅に咲いている「スミレ」

                  庭に咲いている可愛い「エゾエンゴサク」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたは、祭司長たちがイエスを滅ぼすように群衆に説きつけたのをご存知ですか?

2016-04-15 22:25:57 | 神の言葉・聖書

 昨夜の「熊本地震」の被災者の方々には心からのお見舞いと、平安の回復をお祈り致します。

 イエス・キリストはローマ総督ピラトの間に立たされ、総督ピラトの関心事であったイエスが「ユダヤ人の王なのか」どうかを尋問された時、イエスはメシア王国の王であることを答えられました。また、祭司長と年長者たちが総督ピラトに偽証したことについては、イエスは終始神エホバの子として、毅然とし無駄な論議を避けられた様子がマタイの福音書に記されていました。イエスの対応には人間的な考えはありませんでしたので、総督ピラトは、イエスについて知らなかったので「たいへん不思議に思った」ことが記されていました(マタイ27:11~14)。

 次に総督ピラトは、祭司長や年長者たちが、イエスは罪を犯したのではなく「そねみ」のために自分に引き渡したことに気付き、イエスを釈放する方法を彼らに提案します。しかし、祭司長と年長者たちは、イエスを滅ぼすように群衆に説きつけたことが記されています。総督ピラトはイエスが「どんな悪事をしたのか」と、問いかけましたが、彼らはイエスを「杭につけろ!」と叫びつづけ、総督ピラトはその声に屈したことが、次の通りマタイの福音書に記されています。

 「さて、祭りの度に、群集の望む囚人ひとりを釈放するのが総督の習慣であった。ちょうどその時、彼らにはバラバと呼ばれる名うての囚人がいた。ゆえに、彼らが集まった時、ピラトはこう言った。「あなた方どちらの者を釈放して欲しいのか。バラバか、それともキリストと言われるイエスか」。彼らがそねみのためにイエスを引き渡したことに気づいていたのである。さらに彼(イエス)が裁きの座に座っている間に、その妻(総督ピラトの妻)が人を遣わして、こう言った。その義人(イエス)に関わらないでください。わたしは今日、その人(イエス)のために夢の中で苦しんだのです」。しかし、祭司長と年長者たちは、群集がバラバを求め、イエスの方を滅ぼさせるよう説きつけた。さて、総督(ピラト)は彼らに答えて言った、「あなた方は、二人のうちどちらを釈放して欲しいのか」。彼らは、「バラバを」と言った。ピラトは言った、「ではキリストと言われるイエスはどうするのか」。彼らは皆、「杭につけろ!」と言った。ピラトは言った、彼(イエス)がどんな悪事をしたというのか」それでも彼らは、「杭につけろろ!」と、いよいよ叫びつづけた

 それが無駄であり、むしろ騒動になってくるのを見たピラトは、水を取って群衆の前で手を洗い、「わたしはこの人(イエス)の血について潔白である。あなた方自身が処置を取らねばならない」と言った。すると、民はみな答えて言った、彼(イエス)の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」。そこでピラトはバラバを彼らに釈放し、イエスのほうは、むちで打たせてから、杭につけるために渡した」マタイ27:15~26)。

 上のマタイの福音書をお読み頂いたなら、お分かりの通り、祭司長と年長者たちは、矯正のきかない邪悪さを露呈しています。総督ピラトは、イエスには罪がなく、彼らが「そねみ」のために、イエスを自分に引き渡したことに気付き、釈放の道を提案しましたが、祭司長と年長者たちは群衆に「イエスのほうを滅ぼさせよう説きつけた」ことが記されています。加えて、総督ピラトは「彼(イエス)がどんな悪事をしたというのか」と正しましたが、彼らはイエスを「杭につけろ!」といよいよ叫びつづけたことが明らかにされています。加えて、総督ピラトも公正な裁きをするのではなく、最終的には、群集の叫びと騒動に屈し、責任逃れをしてしまいました。イエスを「むちで打たせ、杭につけるために渡したのです。この事例は、人間の裁きは偽証や群衆の圧力によって、公正が曲げられることがあることを教えています。

 さて、この緊迫した場面はどのように進んで行くのでしょうか。続くマタイの福音書の紹介は明日に行います。

                      WWW.JW.ORG

         春の夜に 地震警報 身を屈む  今日の一句

                    温暖な地に咲いている「リンゴの花」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする