貴方は、自分を愚弄し、命を奪おうとする人を許し、偉大な創造者エホバ神に対して、そのような非道な悪人を許してくださるように祈ることができるでしょうか。このような愛の表わし方は、私たち人間にはなかなかできないことです。しかし、イエスはみ父エホバの愛を完璧に表されました。今日はイエスの示された深い愛についてお伝え致します。
イエスは、同情心を行動に表し、神エホバの愛を示されました。別の重要な点でも、イエスはみ父エホバの愛を完璧に反映されました。「進んで許された」のです(詩編86:5)。イエスは苦しみの杭にかけられていた時にも、この快く許す態度を示しました。杭に付けられ、恥ずべきかたちでの贖いの死に処せられる前、手足を釘で刺し通されたイエスは、どんな言葉を述べたでしょうか。非道な刑執行人たちを罰してください、とみ父エホバに呼ばわったでしょうか。そのようなことは全くありませんでした。イエスは死を目前ににし、肉体的に極限の苦しみの中でこう言いました。「父(エホバ)よ、彼ら(非道な刑執行人たち)をお許しください。自分たちが何をしているか知らないのですから」(ルカ23:34)。
更に、イエスの許す態度を示すいっそう感動的な事例として、使徒ペテロに対するイエスの接し方を挙げることができます。ペテロがイエスを深く愛していたことに疑問の余地はありません。二サン(春の)14日、イエスにとって最後の夜、ペテロはイエスに、「主よ、わたしはあなたと共に獄に入ることも死ぬことも覚悟しているのです」と断言しました。ところが、わずか数時間後には、ペテロは、イエスなど知らない、と3度も否認したのです。福音書は、ペテロが3度目の否認の言葉を述べた時のことをこう記録しています。「主(イエス)は振り向いてペテロをご覧になった」。ペテロは自分の罪の重大さに打ちひしがれ、「外に出て、激しく泣き」ました。その日の後刻に、イエスが贖いの死を遂げられた時、ペテロは「主はわたしを許してくださるだろうか」と考えたことでしょう(ルカ22:33、61、62)。
ペテロは、長い間気をもむ必要はありませんでした。イエスは二サン16日の朝復活し、おそらくその日のうちに、ペテロに個人的にお会いになりました(ルカ24:34.コリント第一15:4~8)。イエスを知らないと3度も否認した使徒ペテロに、イエスがそれほどまでの特別な心遣いを示されたのは何故でしょうか。悔い改めていたペテロに、自分は今もイエスに愛され、評価されているとの確信を持たせたい、と思われたのでしょう。しかし、イエスは、ペテロを安心させること以上のことをされました。
そのしばらく後、イエスはガリラヤ湖で弟子たちに現れました。そして今度はイエスが、自分を3度否認したペテロに向かって、あなたはわたしを愛していますか、と3度質問されました。3度目の質問の後に、ペテロは、「主(イエス)よ、あなたはすべてのことを知っておられます。わたしがあなたに愛情を持っていることを、あなたは気づいておられます」と答えました。確かに、心を読むことの出来るイエスは、自分に対するペテロの愛に、その愛情に十分気付いていました。 それでもイエスは、愛を確信できる機会をペテロに与えたのです。それだけではありません。大切なご自分の「小さな羊たち」を「養い」、「牧する」任務もペテロに与えました(ヨハネ21:15~17)。それより前に、ペテロは神の王国の伝道の割り当てを受けていました(ルカ5:10)。しかしこの度、イエスは驚くほどの信頼を示して、いっそう重い責任をペテロにお与えになりました。イエス・キリストの追随者・弟子になる人々を世話をする責任です。少し後には、弟子たちの活動における主だった役割もペテロにお与えになりました(使徒2:1~41)。ペテロは、イエスが許してくださり、今でも信頼してくださっていることを知って、大いに安堵し、いっそう使徒としての活動に励む力になったに違いありません。このような完全な愛を示されたイエスが神の王国の王として私たちを導き保護をして下さることをしるなら、あなたはどうなさいますか。
次回は、あなたは「キリストの愛を知って」いますか、の内容でお伝え致します。引き続きお読みくださり、神エホバとそのみ子イエスの愛に留まってくだされば嬉しく存じます。
大輪の 美しきこと ぼたんかな 今日の一句
整形外科医院玄関の「カーネーション」