神エホバは、イザヤを通して偶像の神々は礼拝することの空しさを教え、何もなしえないことを諭されました(イザヤ46:3,4)。
偶像に信頼を置く当時のバビロニア人が味わうことになる失望を想像すことができるでしょうか。それらの偶像は全く役に立たないことが証明されるのです。神エホバとの契約下にあった当時のイスラエルは、そうした神々を神エホバと比べることができるでしょうか。比べることなどできるはずがありません。エホバは適切にもイザヤを通して次のように言われました。
「「あなたたち(イスラエルの民)は私(エホバ)を誰になぞらえ、誰と同等とみなすのか。誰と比べ、煮ているなどと言うのか」」(イザヤ46:5)。
上の聖句のようにエホバは質問されました。イザヤの時代、イスラエルの民はの中には、口がきけず、耳があっても聞くことのできない、命のない、無力な偶像の崇拝に陥った人々がいましたが、それらの人々には弁解の余地はありませんでした。神エホバとの契約下にあったイスラエル国民が、人間の手による、身を守る術を持たない偶像に頼るのは、全く愚かなことでした。
偶像礼拝者たちは実に浅はかな考え方をしています。イザヤは霊感を受けて次のように記しています。
「「ある者たちは財布から金を惜しみなく出し、はかりで銀を量る。金細工人を雇い、(偶像の)神を作らせる。そしてひれ伏し、それを崇拝する」」(イザヤ46:6)。
偶像礼拝者たちは、木製の偶像よりも高価な金製や銀製の偶像の方が後利益があると言わんばかりに、お金に糸目をつけずに偶像の神々を作っていました。今日でも金や銀の偶像が幅を利かせています。しかし、人間の手の業の偶像にどれだけお金や労力をつぎ込もうとも、命のない偶像には、全く力がありません。この事実は恐らく偶像礼拝者も分かっているのではないでしょうか。神エホバは遥か昔から、人類の益のために、偶像礼拝をしないように教え続けてくださっています。
3学期 キューポラ実習 3年生 今日の一句
名称不詳の花