城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

岐阜県図書館休館中(2) 20.5.4

2020-05-04 20:43:11 | 面白い本はないか
  まずは、ビールのおつまみの話から始める。今が旬の自家製おつまみ。4月下旬に取ってきたタケノコの堅いところを使ったメンマ風タケノコ、ごま油と中華の辛みでご飯のおかずともなる。次に赤タマネギ、収穫前の柔らかいタマネギ、水にさらして鰹節とポン酢でいただく。どれだけでも食べれてしまう。最後にスナップエンドウの浅漬け、食感を楽しみながら少しピリ辛。今の時期、そして生産者でないと味わえない贅沢を披露した。

 前にも紹介したとおり岐阜県図書館は現在休館中。このため図書館の本は利用できないので、4月からは本棚の本のうち適当に選んで読み出した。今から10年前以上に出版された本が多い。当時は新書を中心に結構買っていたことがわかる。

 最初の本は、加藤陽子著「満州事変から日中戦争」(岩波新書・日本近現代史⑤)。簡単に読めると思ったものの意外と難しい。日本(政府なかでも当時の陸軍)の言う満州や中国における特殊権益は意外と列強が同意していない=認めていない権益であることが著者の詳細な追求により白日の下にさらされる。この積み重ねがアメリカとの戦いに結びついている(ハルノートではこうした特殊権益は否定された。このことをもっていわゆる「自衛戦争」なるものが開始された。)

 次は、吉野俊哉著「ポスト戦後社会」(岩波新書・日本近代史⑨)。おじさんの生きてきた年代を網羅しており、勉強になった。「夢」(見田宗介の戦後社会「理想・夢」の時代から「虚構」の時代へ)の象徴が1958年に完成した東京タワー、「虚構」の象徴が1983年に開演した東京ディズニーランド。日本社会にとって90年代は、その存立の根底が揺らぎ、同質性が失われていく未曾有の危機の時代であった(バブル崩壊、震災、オウム、産業の海外移転の進行等々)。この危機は現在も継続中であり、「日本」という歴史的主体が分裂・崩壊しつつある。この本が書かれてから10年経った。ますます日本の行き先は不透明化していると感じる次第。

 吉田裕著「アジア・太平洋戦争」(岩波新書⑥)。この著者については別の本で紹介しているので省略。自分の無知を披瀝するようだが、若いときに家永三郎著「太平洋戦争」を読んだ。アメリカと戦争したことは習っていた(高校の日本史の授業は第二次大戦まで届いていない!)が、その前史として中国等との宣戦布告のない戦争が続いていたこと、そしてその結果としてアメリカの戦いがあったことを知らなかった。

 一ノ瀬俊也著「皇軍兵士の日常生活」。この本を読んでいると子どもの頃見た戦争映画を思い出す。花菱アチャコだったか記憶が定かで無いが、古年兵による激しいいじめを娯楽映画にもかかわらず描写していた。少なくとも、このような映画を何本かは見た。アメリカ海兵隊=ブートキャンプの訓練の激しさは有名であるが、これらのいじめはそれとは違うと思うが。日本のいじめは陰湿、ルサンチマン?

 日暮吉延著「東京裁判」。ポイントとなると思われる箇所を引用する。「東京裁判は日本人みずからの過去に直面する機会となった。だが、そのことを踏まえたうえで、この判決の歴史とは国際政治の営みにほかならず、科学的歴史とは本質的に異なることを確認すべきだろう。だからといって「東京裁判は無意味だ」などと否定したいわけではない。しょせん「国際政治の結果」と割り切れば、より冷静に理解出来るはず(252ページ)」「戦犯が社会で軽蔑される者になったドイツと違って、日本人は戦犯を犯罪者ではなく犠牲者だと見た。日本人にとって、これらの裁判は勝者の復讐だった。(中略)国際政治の冷厳さを知るドイツの方が戦犯問題で日本より巧みに対応してきたのは間違いない}。安部さんは戦後レジームの精算と言っているが、憲法とともにこの裁判を否定したいのだろう。しかし、この裁判を日本はサンフランシスコ講話条約で認めているので、公言(特にアメリカに対して)は出来ない。

 最後に保阪正康著「「特攻」と日本人」。明確な目的さらには終戦計画もなしに始めてしまった大戦争の行き着く先といった感じがする。かつてこの著者の本を沢山読んできた。それに触発されたように多くの本へと導かれた。著者の思いが込められた箇所を引用する。「少なくとも、もし自分があの世代に生きていて、あのような環境に置かれていたら、どういう生き方をしただろうかという自問は必要である。」「彼らは英雄でも、まして犬死にでもない。戦争指導など行う資格のなかった軍事指導者によって進められたあの戦争の犠牲者なのである。」「特攻隊を特殊なものとすれば、そこに美化が始まる。」この本を読んで、吉田満著「戦艦大和ノ最期」に出てくる臼淵大尉の言葉を思い出した。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩と言うことを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。」 

 ジローズの「戦争を知らない子どもたち」という歌を若い頃よく歌ったが、ただの団塊世代の年寄りとなった今、東京裁判ではないが、日本兵や国民に対して容認できない罪をおかした軍事指導者が多くいる。その代表は特攻作戦を開始した軍令部(大西瀧次郎は自裁したが、本当は軍令部という組織。特攻隊員を見送りながら自分も後から行くといった上司たち)、インパール作戦で白骨街道をもたらした牟田口廉也。もちろん当時の国民も無罪とは言えない。そうすると誰にも責任は問えないことになってしまう「一億総懺悔」。

 


 

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