死刑制度を廃止したい
死刑囚が書いた本『無知の涙』を本屋で手に取り、読んだ記憶がある。二十代の頃だった。読み終えた時、衝撃を覚えた記憶が鮮明に残っている。この本を世に出したのは作家の井上光晴のようだ。彼のところに連続射殺魔永山則夫から赤い字で書かれたノートが送られてきた。そのノートを読み、衝撃を受けた井上光晴が出版社を探し、世に出た経過を知った。
井上光晴は永山則夫の赤い字で満たされたノートに衝撃を受けていた。心が打ち震え泪が滂沱のごとく頬をつたった。永山則夫は井上光晴の知遇を得て、自分の心のうちを世に知らせることができた。井上光晴は永山則夫の生い立ちに共感を覚えたのだ。井上光晴は永山則夫の主張に真実を読んだのだ。それは愛を知らずに育った者の悲しみなのだ。
「生まれや育ちが劣悪でも誰しもあんたのようになるわけじゃない。甘えるなといいたい」。このような発言をする者が身近にいることを私は知っている。その頃、私は定時制高校の教員をしていた。確かに生まれや育ちが劣悪でも明るく元気に日が落ちると学校に通ってくる生徒たちがいることを私は知っている。しかし、親に愛されることなく育った子供たちの大人への不信感が強いのを何度も経験している。
徴兵され、結核を病み帰されてきた父はこれと言った治療を戦争中のため受けることができずに死んでいる。私は父の顔を知らない。戦後の貧しい生活の中でやむなく母は再婚した。私はこの義父に虐められた経験がある。年頃になった姉は風呂に入った裸姿を義父に覗き見られたと後に言っていた。大なり小なり無条件で受け入れられた経験のない子供の大人への不信感が強いのは実感をもって理解することができる。「生まれや育ちが劣悪でも誰しもあんたのようになるわけじゃない。甘えるなといいたい」。確かにそのような側面があることを認めざるを得ないであろう。しかし私は永山則夫の主張に共感する。永山則夫の主張には真実がある。永山則夫は拘置所に入れられ勉強し、知識を得ることによって人間として復活した。マルクスの『資本論』を読み、ヘーゲルの『大論理学』を学んだ。アウグスチヌスが『告白』に書いているように悪行に明け暮れた自分を反省し、神の愛に目覚めて復活したように永山則夫はマルクスやヘーゲルを読み、人間として復活した。永山則夫は著書『無知の涙』を書くことによって自分を知る事に感動している。自分は人間なのだというにことに気が付いた感動の書が『無知の涙』なんだ。永山則夫は東京拘置所の中で生きていた。人間として生きた。それ以前の拘置所の外では生きていなかったことに気が付いた。永山則夫は東京拘置所の中で濃縮された時間を満喫して生きた。このように人間として生きている人間を殺す死刑制度というものは単なる殺人に過ぎない。合法的な国家による殺人だ。
一九九七年八月一日、四〇歳の永山則夫は死刑になった。国家が行った殺人だ。国家とは、絶対的な強さなのだと国民に知らしめる法的行為が死刑制度というものだ。国家には誰もが歯向かうことができないということを認識させられる出来事が死刑だ。
今世界で一番死刑者数の多い国が中国のようだ。映画「死刑弁護人」の主人公、安田好弘氏は三千人の死刑者が中国にはいると述べている。絶対的な強者であると国民に徹底的に知らしめている国が中国のようだ。中国ほど日本の国は強くなくて良かったと思うと同時に私はもっと日本の国がそんなに強がらなくてもいいと思っている。永山則夫を殺す強さではなく、生かす強さを日本の国に持たせたい。永山則夫を生かし、被害者に償いをさせる強さを日本国にもたせたい。永山則夫を殺すことが犯罪を抑止するのだろうか。そんなことはあり得ない。人間を殺すこと認める社会は戦争を肯定するだろう。合法的な殺人が死刑と戦争なんだから。
「私たちは、死に向かって生きるのではない。迷い重ねながらも、最後の瞬間まで間違いなく自分という命を生き抜くために、生かされている。そうであるならば、どんな不条理に満ちたこの世であっても、限られた時間、力を尽くしていきたいと思う。どのような過ちを犯した時も、どんな絶望の淵に陥った時も、少しだけ休んだら、また歩き出す力を持ちたい。人は弱い。だからこそ、それを許し、時には支え、見守ってくれる寛容な社会であることを心から願う。」
堀川恵子著『教誨師』より