醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  828号  白井一道

2018-08-22 14:20:00 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「啄木鳥も庵はやぶらず夏木立」  芭蕉


句郎 「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」という句を華女さん、知っている。
華女 知らないわ。誰の句なの。
句郎 鈴木しづ子という俳人が詠んだ句らしいよ。
華女 へぇー、はっきり言っていい。私は嫌い。
句郎 華女さんの好きな句は中村汀女の「外(と)にも出よ触るるばかりの春の月」のような句だったね。
華女 そうよ。お母さんが子供たちに外に出てきてごらん。大きなお月さんが出ているよと、呼びか
けている。なんとも家族の暖かな雰囲気があるでしょ。
句郎 そうだね。そういう句もいいけれど、鈴木しづ子の句には人間の真実のようなものがあるように思う。
華女 境涯俳句というのかしら。石田波郷の句「雁(かりがね)や残るものみな美しき」に代表される句ね。
句郎 そうだ。「俳句は私小説」と云った。召集令状が波郷に来た時に詠まれた句らしい。
華女 波郷がこの句を詠んだ時の事情を知ると語り始める句ね。分かるわ。自分を渡り鳥の雁に例えているのよね。
句郎 しづ子がこの句を詠んだのは一九五一年、朝鮮戦争に従軍した恋人の米兵が戦死したという連絡を受けた時に詠んだ句らしい。
華女 しづ子がこの句を詠んだ状況がわかるとなるほどね、と思うけど、やっぱり私は好きにはなれないな。
句郎 「木啄も庵はやぶらず夏木立」と芭蕉が詠んだ句の真実をしづ子の「コスモス╌╌」の句が継承しているように感じたんだけれども華女さんはどう思う。
華女 全然、感じないわ。芭蕉が表現したものとしづ子が詠んだものとは全く無関係よ。なぜ、そこに共通したものを句郎君が感じるのか、わからない。
句郎 そうかな。芭蕉が親炙した禅の師匠・仏頂和尚の霊験が啄木鳥から庵を守ったんだなと仏頂和尚の山居跡を見た感動を詠んでいるんだよね。
華女 それはそうだと思うけれど。
句郎 でしょ。だから、しづ子の場合も戦死した黒人米兵への思い出が優しく吹いているコスモスのように思い出されれると死ねない。恋人の霊験が私の身体を守ってくれたと、しづ子は詠んだのではないかと思ったんだけれどね。
華女 へぇー、なるほど。屁理屈にも三分の理。そんな感じもするわね。
句郎 屁理屈かな。
華女 私は、もともと芭蕉の句は好きじゃなかったから。なにか、暗そうな感じがするじゃない。寂びとか侘びというのは嫌なのよね。「春の海ひねもすのたりのたりかな」。こういう句が好きなのよ。
句郎 空高くコスモスがゆらゆら揺れる。ちっとも暗くないじゃない。コスモスが優しく吹くと表現したところにしづ子の才能を感じない。コスモスが風に吹かれて揺れる姿にしづ子は恋人であった黒人米兵を思い出した。愛を得た思い出があれば、生きていける。ちっとも暗い感じの句ではないと思うんだけどね。
華女 言われてみれば、そうかもしれない。私には注釈が必要な句ね。そういう句は面倒くさいのよね。もっとすっきり入ってくる句が私は好きね。
句郎 誰でも注釈が必要な句なんて好きじゃないと思うけど。
華女 芭蕉の句にも注釈が必要でしょ。だから私はどうも好きになれないのかもしれない。
句郎 「木啄も庵はやぶらず夏木立」と静かにこの句を読んでみると夏木立の中で啄木鳥が木をつつく音が消え、木立の中の静かさ、仏頂和尚の心に出会うように思うけど。